ダフネは目の前の弟子と、錬金術師だという男を交互に見た。
アルフォンスは以前別れた時から、少し変化している。それは背が伸びたとか、やや顔の丸みが落ちて顎の線がシャープになったとか、簡単に年月がその上を通過しただけではないらしい変化だった。年の割に思慮深い子供ではあったが、賢しいとか聡いとか、そう言う種類ではない別の考えの深さのようなものが垣間見えるようになっていた。
そう長くはない時間でそう変えたのは、どうやらこの錬金術師の仕業らしい。今は俯いて瞼の下に隠れている瞳は、ダフネの見間違いでなければ明るい黄色か金色だった。それに合わせるように、ひとつにくくった髪の色も見事な金髪だ。力無く膝の上に投げ出された手は鈍い金属光沢を放っていた。
金髪金目で機械鎧の腕、禁忌を犯した錬金術師、そのキーワードで連想される人物はこの国ではただ一人だ。
そんなバカな話があるか、とダフネは首を振った。それは伝説だった。仮に事実だったとしても遠い昔の話であって、今目の前に伝説の錬金術師その人がいるはずはない。
そこまで考えてから、彼のことをアルフォンスがなんと呼んでいたのか気付いた。その心理的ショックで「あ、駄目だ」と、思わず口にしてしまった。
エドワードがはっと顔を上げた。眼鏡のレンズ越しに、黄金の目が瞬く。
「あ、いや。何でもない。…今更だがあんたの名前を聞いてないことに気付いて」
「言ってなかったっけ?」
首を傾げる動作はずいぶんと幼く見えた。アルフォンスと同じくらいか年下なんではなかろうかとさえ思う。年上相手であればそれ相応の態度で臨むはずのアルフォンスの口調は砕けていたので、アルフォンスの同級生か後輩か、と思った。だがそれにしては制服を着ていない。代わりに白衣をはおっているところから実験助手か何かかとも思ったが見せつけられた錬金術の技がとてもそんなレベルじゃなかった。
「エドワード・エルリックだ。…今更だけど」
本人から決定打を喰らってダフネは天を仰いだ。それならば大体は納得できる、大した根拠もなく根拠もなくそう思った。
「…まさかとは思ったが、鋼の錬金術師と同じ名前だな」
「そうだな」
慣れているのか、目を細めてエドワードは苦笑した。すると今度は老爺のような表情に見えた。ダフネには彼の年齢が計りかねた。
大きく息を吐いてから、ダフネは目をつぶって考えを整理する。
「お前はエドワード・エルリックという名の錬金術師で、うちのバカ弟子に余計なことを吹き込んだ。ここまでは良いな」
「余計かなあ」
アルフォンスの太平楽な声ににらみつけてやる気力さえもごっそりと削がれて、より深く背もたれに身体を預ける。ぎしりと椅子が悲鳴を上げた。
「余計だろうが。…オレはやっぱりお前と会うべきじゃなかったのかな」
ダフネに倣うようにエドワードも背もたれに寄りかかった。頭を反らして天井を眺める。
「会うべきじゃなかったって?」
「…外から来たお前達の顔だって見ちゃいけなかったんだ。トリシャさんとリィには口止めして、リゼンブールに錬金術師なんていないんだってことにしておけばよかったんだ、いつもみたいに」
「…何を言っているの?」
「お前のことは知っていた。トリシャさんから写真を見せてもらっていたから。リィからも散々お兄ちゃん自慢も聞かせてもらってたしな。」
何を聞かされていたのかアルフォンスはちょっと気になった。だがそれ以上にここからでは見えないエドワードの表情の方が気になった。どこかで何度も見たことのあるような気のする、泣く手前のような顔で笑っている、そんな気がしていた。
「アルフォンス・ノヴァーリスがアルに…弟に外見も内面もよく似ていることは知っていたんだ。そんな奴に賢者の石の話をすれば、いつかきっと踏み込んでくる。踏み込んで踏み誤って、きっとまたろくでもない方向に進むんだ。それは分かっていたんだ」
「分かってないよ」
手が届いていたら、アルフォンスはあの頭を撫でるか殴るかしていた。うっかりと師匠に近い側に座ってしまったのがまずかった。その時のアルフォンスにはいざとなれば師匠を止めなければと言う思いしかなかったのだ。エドワードとアルフォンスの間には師匠によって叩き壊されエドワードによって復活した作業机が何食わぬ顔で横たわっている。
「ボクが道を誤るって?弟さんと同じように?エドは弟さんが間違っていたって思ってるの?」
エドワードは相変わらず天井を見ていた。
「…あいつが間違っていたわけじゃない。間違っていたのはオレで、最初から最後まで巻き込まれてた。そしてオレはまた、今度はお前を巻き込むんだ」
その時、アルフォンスは頭に血が上ると同時に芯がすぅっと冷えていく奇妙な感覚を覚えた。
この人は何も分かっていない、何も分かろうとしない、自分の想像だけが真実ではないんだと知ろうともしない。これはアルフォンス・エルリックの分まで怒ってもいいはずだ。たった3冊の本に三重の意味を込めたアルフォンス・エルリックは、決して受動的にただ兄に引きずられあの境地に至ったのではないのだ。

『いつかこの文を読む人が現れたなら、(それはきっとエドワード・エルリックではないと断言できる)』

解読し終えたはずの随筆から立ち現れた三番目の文章に懸けて誓ってもいい。今は怒るときだ。
だがその時、糸ででも釣られたようにエドワードの首がこちらへと向けられ、その表情がはっきりと見えてしまった。
「それでもオレはただ、見てみたかったんだ。アルフォンス・ノヴァーリス、お前をな」
「…ボクを?」
怒りはたちまち空気の抜けた風船のようにしぼんでいく。まだわだかまる抜け殻のような何かは残っているが、この顔この声のこの相手を怒鳴りつけることは到底できなかった。
「もしもアルに、オレという兄がいなかったら。仕事で忙しくても家族をきちんと構う父親がいたら。…病気で夭逝したりしない、優しい母親がいたら。仲のいい家族がいて、気のおけない友達もいて、普通に学校なんか通ったり好きなことも好きなように学べて。そうしたら、どんな奴になるかなって」
「……それが、ボク?」
「うん。話を聞いててびっくりした。そんな、」
エドワードはそこで一呼吸置いた。本人としてはいつものにやりと人の悪い笑みを見せたつもりだったのだろう。
「…そんな、オレが全く想像もできなかった人物が実際に存在して目の前に現れるなんて、思っても見なかった」
「え?」
アルフォンスの予想したものとはまるで逆の言葉に虚をつかれた。
「想像してたんじゃなかったの?想像が現実になったのかと思ったとか、てっきりそう言う方向かと」
そこまで万能なのか賢者の石、って展開だとばかり思っていたのだが。
「違う違う。…まあ想像しようとしたんだができなかったわけだ。まずオレの弟じゃないアルフォンスってのが全く想像の範疇外だった」
エドワードは表面的に見れば笑っていた。本人も微笑んでいるつもりだっただろう。膝の上に組んだ手をほどいてまた組み直す。
「考えてみれば当たり前だよな。お前はオレの弟じゃないし、ましてやアルフォンス・エルリックと同一ではない。仮にだ、お前がオレの弟の生まれ変わりで、同一の魂を持っていたとしてもそれでもお前はアルフォンス・エルリックと同一の存在とは言えない。何故なら、人間は魂だけで構成されているわけじゃないからだ」
「精神と、肉体…」
アルフォンス・エルリックの肉体を形作るものとアルフォンス・ノヴァーリスのそれを形作るものは決定的に異なる。2人の間に血縁関係は皆無であって遺伝子レベルから異なっている。
エドワードが小さく頷く。
「そう。…それもあるが、オレはオレという人間がここまで来る間に色々な人に出会って別れて、色々なものを受け取ってあるいは何かを渡して、様々な影響を受け影響を与えてきた。それら全てのどれもが今のオレを形作っていると思っている。オレが意識しているものしていないものを含めてな。そしてそれはお前も同じだ、アルフォンス・ノヴァーリス」
重い機械鎧の手に午後の陽光が落ちる。アルフォンスはぼんやりとそれを目で追っていた。
(小さな猫が見たら、あの日溜まりに丸くなりそうだ)
そんな益体のないことさえ考えた。
「そんな当たり前のことに、お前を見てようやく気付いた。正直オレはずっと長い間、自分がアルを…弟を錬成するんじゃないかって恐れていた。けど、それは杞憂だった」
死んだものは甦らない。けれども、エドワードは魂さえも錬成できる錬金術師だった。魂と精神と肉体と、正しく錬成すれば死者を返すことも可能ではないか。対価ならば賢者の石がある。だが、存在しないものは錬成できないと理性が押しとどめた。知己が、彼のよく知る者たちが時に従い死んでいき、と同時にその血筋が続いていくのも抑制となった。特にロックベルの者たちはよく彼に付き合ってきてくれた。死んでも残るものがあるのだと、そう教えてくれた。
そして決定打を与えたのがアルフォンス・ノヴァーリスだった。
「オレは弟を甦らせることはできない。いや、アルだけじゃなくて誰も何者をも錬成することはできない。相手の経てきた時や経験、記憶やその時々の感情まで全てを網羅しなければ完全な錬成とは言えない。」
思い知らせてくれてありがとう。小さくそう呟いた。
「…けど、オレにとっては良いことだったけどお前にとってはよくない影響ばっかりだったな」
「そんなことはないよ」
「あるよ。リゼンブールでもセントラルでもお前ろくなことに巻き込まれてないだろうが」
「エドのせいばかりじゃないことだっただろ」
「甘いな。オレは自他共に認めるトラブル吸引体質の持ち主だ」
「認めちゃうんだ?」
エドワードはがっくりとうなだれた。自分で言ってて哀しくなったらしい。
気を取り直したように顔を上げ、穏やかな顔で笑う。
「とにかく。オレはお前に会ってオレの願いは果たされた。オレとは無関係な『アルフォンス』が幸福な人生を歩むのをこの目で見た。願わくば、そのまままっすぐに進んで欲しい、と願うのはオレの贅沢だろうか」
ダフネが静かに俯いた。

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