ふとアルフォンスは師匠の前で足を止め、首を傾げた。
「お一人なんですね、クロエ師匠はどうかなさったんですか?」
ダフネ・ハーネットは満足げに目を細めた。
「今回も間違えなかったな。本当に面白くない弟子だ」
アルフォンスの錬金術の師、クロエ・ハーネットとダフネ・ハーネットは双子の姉妹だった。一卵性で何もかもそっくりな上、本人達もお互いの区別を付けようと言う気は更々なく、自分たちの好みのままの服を着て髪型をしていた。その好みもまたほぼ一致していたために、外見上はまるで見分けをつけることができなかった。
けれども彼女たちを的確に見分ける者もいた。弟子のアルフォンス・ノヴァーリスはその数少ない一人だった。
「クロエは少しばかり風邪をひきこんだので今回は留守番だ。お前の顔を見たがっていたぞ」
「大丈夫なんですか?」
「大事ない、毎年この時期には私かクロエかどちらかが必ずひくんだ。今年はたまたま向こうが当番だっただけだ」
心配そうな様子の弟子にひらりと手を振って見せた。
そう言えばそうだったかもしれない、とアルフォンスは修業時代を思い出す。その時はクロエではなくダフネが風邪を引き込んで寝付いていたが、確かにあの時も丁度今頃の季節だった。
ダフネは頭ひとつ分は背の高い弟子の方へと手を伸ばした。
「お前はどうだ?体調を崩したり鍛錬を怠って体が鈍ってたりは」
言い終わるか終わらぬかの素早さで伸ばされた手は腕を掴みアルフォンスの体は軽く宙に浮いた。師匠のにこやかな顔が逆さになる。
突然投げられてもいつものことだったので浮いた身体をうまく反転し地面に激突するのは免れる。とは言っても警戒していたわけでもましてや予期していたわけでも何でもなく、ほとんど反射的な動きだった。骨の髄まで叩き込まれている身のこなしで片膝と片手をついて体制を立て直し、やや距離を置いて立ち上がる。辺りの人々がぎょっとした目でこちらを見ていた。
「こんな人のいる場所でやったら危ないでしょう、師匠」
「お前なら大丈夫だろうと思ったからだ。うん、まあまあと言った所かな」
それにこんな駅前の広場だったら大道芸人に見えなくもないんじゃないか、と呵々と笑う。それならトンボのひとつでも切れば良かったかな、と密かに思う。
「…でも目立つから行きましょう」
「…そうだな」
素直にダフネも賛成し2人は場所を移した。

「それにしても、本当にお前は私たちを間違えないんだな」
改めてつまらない弟子だ、とダフネはアルフォンスをにらみつけた。だがその目は穏やかに笑んでいる。
会って間もない頃は見分けもついていなかったが、程なく間違えなくなったので姉妹そろって拍子抜けしてしまった。
取り違えたりしたら破門だ家に帰れ、と言われていたアルフォンスは必死だっただけだったのだが、じきにアルフォンスには2人がちゃんとそれぞれ別の人間に見えてきた。双子とは言え、全く同じ人間ではあり得ないのだから、当然ではある。
アルフォンスは小さく笑った。
「確かにぱっと見て瓜二つですけど、結構色々違ってますよ?」
「そうか?」
ダフネは首を傾げた。逆に細かいところまで好みや嗜好の傾向がかぶっている自覚はあったし、違っていると言われたのはこれが初めてだった。
「うーん、たとえば…そうですね、分かり易いところだと、食べ物の好き嫌いとか。」
「好き嫌いはあまりない方だが」
「そうですね。お二人とも、オレンジは好きですよね」
その通りなのでダフネは頷いた。好むものもクロエとはほとんど同じだったので昔から必ず2で割り切れるように買っていたものだった。
「でも、ダフネ師匠は少し堅めの酸味の強い方が好きで、クロエ師匠はよく熟れた甘い実が好きですね。」
「…そう、だったか?」
自分に関してはその通りだった。言われてみればクロエはオレンジに限らず果物は甘く柔らかいものを好んでいたような気がする。記憶を掘り返す師に構わず、アルフォンスはそれから、と指を折って別の証拠も引っ張り出す。
「嫌いってほどではないんでしょうけど、クロエ師匠は脂身の多い肉があまり好きじゃないです。ダフネ師匠は小骨の多い魚が苦手でしょう」
「よく見てるな、お前は」
「そう言われましたから。よく見てろって。」
そうでしょう、と笑う弟子に内心舌を巻く。ダフネもクロエも、言葉で教える代わりに身体で覚えるようにと指導していた。言語や論理で知りたいのならば世の中に書物や資料があふれている。けれどもそれでは身に着けることのできない何かは確かに世界に存在していて、それこそが錬金術師には必要なものだと思っていた。ダフネもクロエも、同じように「錬金術師としての世界に対する姿勢」を教わって会得してきた。弟子に同じものを伝えられたのかどうか確信はしていなかったが、この分では弟子はちゃんとそれを見出すことができたようだ。しかしまさかそれを人間観察に演繹しかつそれを自分たちにも適用されていたとは夢にも思わなかったが。
ふと、アルフォンスは何かに気付いた様子で考え込んだ。
「どうした?」
「いえ…ちょっと、」
しばらく考えをまとめるためにうつむいて、それから顔を上げた。
「あまりによく似ているから、違いが際立つ、と言われたのを思い出したので。多分、それと同じなんだろうなって」
「?何の話だ?」
「ええとですね」
冷めかかったコーヒーに手を伸ばし、自らを落ち着かせるように一口すすった。何かを逡巡するような様子を見せるのは、この弟子にしては珍しい。
「…実は、好きな人ができました」
唐突な報告に、ダフネは目を瞠った。
「…それは、良かったな」
あまりに唐突でとっさにはそれしか口にできなかった。この場にクロエもいてくれれば、もう少し冷静に野次馬根性も発揮できたかもしれない。ようやっとの思春期到来か、相手はどんな娘なんだ、きっかけは何だと根ほり葉ほり聞いてやれたものを、ダフネはただ呆然とするだけだった。
「その人には、ボクにそっくりな弟がいたのだそうです」
「弟?と言うことは、弟のようにしか見てもらえないとか、そんな悩みか?」
「悩み相談はもっと別な悩みを聞いていただきますよ。いいえ、その人に弟扱いされたことはないんです。…聞いたところによると、本当に生まれ変わりなんじゃないかってくらいに瓜二つなんだそうですけど、その人に言わせれば似ているけど違う、んだそうです」
それが先ほどの「似ているからこそ違いが際立つ」と言うことにつながるのだろう。ダフネは首を傾げた。
「…今お前は弟がいた、と過去形で言ったな?」
「はい。ずいぶん昔に亡くなったのだそうです」
「それは…つらいな」
色々な意味を込めてそう言ってやれば、アルフォンスは曖昧に微笑んだ。
「本当に辛いのは、ボクじゃありませんから」
その表情で、これは本物だな、とダフネは内心匙を投げた。だがアルフォンスはがらりと笑みを納めて真面目な顔つきになった。
「それでここからが相談なんです」
「お前が相談とは珍しいな」
「ええ、錬金術に関することなので」
そこでまた一呼吸置く。覚悟を決めたようにまっすぐに顔を上げ、師を見た。
「人体錬成についてです」

明くる日の放課後、アルフォンスは当然のように歴史学準備室にいた。
これまた当然のようにいるエドワードが小さく「あ、しまった」と呟いた。
「どうかしたのか?」
「テキストを錬金術準備室に忘れてきた」
「だから言ってるだろうが、こっちに置いといても構わないって」
エドワードは妙なところでけじめを付ける性格だった。ヒューズの好意はありがたいが、これ以上侵食するのも申し訳が立たないと本気で思っているようだった。
仕方がない、と立ち上がる。
「ボクも行きます」
エドワードの後を追い、準備室を出ると扉を閉めた。エドワードは軽く首を傾げた。
「レポート用紙を買っていかないとって思って」
確かに購買部は途中にあったな、と納得して頷いた。ついでに自分もチョークを買い足そう、と思いつく。学生の前で錬成陣なしの錬成をやってみせるわけにはいかないので、自然チョークの消費は以前とは比べものにならないほど増えていた。
必要なものを買い込んで錬金術準備室の方へと向かっていくと、何かの破壊音が聞こえてきた。
エドワードとアルフォンスは思わず顔を見合わせる。
「…また誰かの実験失敗か?」
「…何かのリバウンドかな?」
有志による放課後実習は、今日はなかったはずだ。先日の錬金術実習で見事にリバウンドを喰らった後輩学生がいたのを否が応でも思い出す。
2人は足を速める。錬金術準備室の扉は開いていた。と言うか、扉そのものがなかった。何かの壊れる音は、なおも続いている。どうやら中から聞こえてくるようだ。
そっと中を窺うと、エドワードは硬直した。
そんな様子に首をひねりながら、続いてアルフォンスも恐る恐る中を覗く。
「うちの弟子に妙なことを吹き込んだのは、あんたか?」
「せ…師匠…」
ダフネ・ハーネットが今まさにジョリオ・コマンチ先生を壁際に追いつめたところだった。コマンチ先生の頭部すれすれの所にだん、と蹴りが入り壁にひびが走る。
「師匠!それは違います!」
「アルか。違うとはどういうことだ?」
ゆらりと振り向いたダフネに気圧されそうな自分を叱咤しアルフォンスは釈明する。このままではコマンチ先生があまりに気の毒だ。
「それは古い先生です!別人です!」
さりげなく別方向にひどいことを言われた気がして老教師は内心傷ついた。

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