「失礼しまース。レポート提出に来ましター」
リン・ヤオは世界史準備室のドアを行儀悪く足で開けた。クラス全員分のレポートを抱えているのだから仕方がない。
「ご苦労。そこの机の空いてるところにでも置いておけ」
教師は何やら分厚い本から目も上げずに軽く顎で指示を出した。言葉はねぎらっているが態度は全く違っている。
だがしかし。もっと根本的なところで間違っている。
「…何でエルリック先生がここにいるんですカ?」
「ここが一番本が充実してる」
「図書室じゃなくテ?」
「図書室は学生向けばっかだからな」
区切りの良いところまで読み終えて、銀色のしおりを挟んで本を閉じる。本はリンには懐かしい母国語で書かれている。確かにシン国の本ならば図書室よりもここの方が豊富かもしれない。だがしかし。そう言う問題ではない。
その時、リンの背後で再び扉が開いた。
「お、リン・ヤオか。そう言えば今週の週番はお前だったか」
本来の準備室の主が戻ってきた。
レポートはそこに置いておけ、とエドワードと同じ指示を繰り返す。リンは素直に従ってようやくかさばる紙の束から解放された。
「エルリック先生がいたから一瞬部屋を間違えたかと思いましたヨ」
「ああ、大抵の奴はそう言うなあ」
苦笑しながらもヒューズは黙って差し出されたエドワードのマグカップにお湯を注す。どこで手に入れたのか、入っていたのはシンの茶葉だった。
「まさか赴任して1ヶ月も経たないうちに錬金術準備室を追い出されるとは誰も思わないよな」
「え!追い出されたんですカ?」
「見解の相違だ」
エドワードはむっつりとした表情で背もたれにふんぞり返った。
「準備室に学生を入れるのは好ましくない、とか言われてさ」
「エルリック先生はその辺全然気にしてなかったもんな」
「どうせ大した本置いてないくせに爺さん勿体ぶってまあ」
意外なことにエドワードは学生に対してまめだった。良く話を聞くし質問があってもなくても暇を作っては相手をし指導に当たる。ひっきりなしに学生はエドワードのもとを訪れ授業に関する質問や明るい悩み相談などを持ちかけた。エドワードもまた真摯に時に軽い調子で答えていた。
逆に元からいた錬金術のコマンチ先生は非常に神経質だった。エドワードの言うように、重要な本や研究は学校の準備室などには置いていないにも関わらず学生を部屋に入れることをかたくなに拒んだ。結果、先任のコマンチの方の主張が通り、エドワードは別の部屋で学生達の相談に当たることになった。その別の部屋として白羽の矢が立ってしまったのが、ここ歴史学準備室だった。
ヒューズもまたエドワードとさほど変わらないスタンスで、学生達と四方山話に花を咲かせることを好む質であったのでさして問題はなかった。
「エルリック先生はコマンチ先生と仲が悪いんですカ?」
「いんや?あの爺さん面白いよな、研究内容もだけど何よりあの爺さん自身が」
けろりと答える。
「結構気はあってるだろ。爺さんも錬金術の話できる相手が来て喜んでたし」
「うん、その辺りは話してて楽しい」
伝説の鋼の錬金術師と話して楽しいと言われるんだからあの爺さん侮れないな、とリンは心の中で老教師の評価を改めた。
「けどさあ、爺さん気にしすぎだと思うんだよな。学生ごときに爺さんの研究が盗めるとは到底思えないし、大体まず理解できるとは思わないな」
「ほお?」
「錬金術に年齢は関係なイ、とか聞いたこともありますガ」
「うん、まあ錬成に関するセンスとかはな。年齢だの経験だのでどうにかなるもんじゃないけど、オレが言ってるのはそれ以前の話」
エドワードはそこらにあったメモ用紙を引き寄せボールペンでくるりと円を描く。きわめて無造作に数本の線を引いて「よ」と軽いかけ声と共に構築式に力を乗せる。
紙は首をもたげて身を起こし、東洋の竜の形に持ち上がった。素人目にも単純な錬成陣なのにその造形は複雑だった。
「たとえばこの錬成陣を見て、構築式の構造を正しく読みとってオレと同じ錬成ができる学生がいるか、と言えば一人か二人いるかいないかだ。爺さんならちゃんと理解した上で、自分なりのアレンジも加えられる。そのくらい実力に差があるんだ」
「それはすごいことなのか?」
錬金術に関しては全くの門外漢のヒューズは首をひねった。
「錬金術師としてのレベルで言えば初歩も初歩だから威張れるこっちゃねえけどな。学生に関しちゃ…うん、雛鳥以前の卵の状態。abcと数字が読めたところで経済新聞株式欄は理解できないとか、そんな感じ」
「…分かるような分からんような」
「…実際、ここ100年ほどの間に錬金術の理論は単純化され洗練されすぎたんだ。説明は明確に単純になって、すっきりとした形に落ち着いた。誰もが理解しやすいように体系化して、雑多な法則は基本律に収束された」
もう一度エドワードは紙の竜に軽く手をかざして錬成を解いた。元通りの平面の状態に戻った紙に、細かく複雑な文様を書き足し始める。
「誰もが分かり易く覚えやすい、科学知識としての錬金術ならそれでも良い。けれど、錬金術師にとってはそれでは済まない」
ヒューズは意味不明な錬成陣をうーむとうなりながら眺めて考え込んだ。自分なりに整理して別のたとえをひねり出す。
「数学でたとえるなら、便利な計算機ができて誰でも簡単に複雑な計算でも何でもできるようにはなったけど、全く新しい法則を発見する数学者は少なくなった、って所か?」
「んー…計算機ができて、計算そのものが計算機に任せっきりになって簡単な足し算引き算も自分の頭ではできなくなった、の方が近いかな」
「悪化してるじゃねーか。そんなことになってるのか、錬金術師の世界は」
「うん、だから錬金術師志望の学生どもは教科書に載ってる公式通りの構築式をお手本通りに書いて師匠に言われたとおりの錬成をして、回答例通りの形になったらはい合格、君も今日から錬金術師だ、って感じ。で、そいつらがまた錬金術の教師になって学生に錬金術を教えるわけだからそりゃ薄ーくなりもするわな」
複雑になった錬成陣を発動させると、今度はきわめてシンプルな恐竜の形に変化する。
「そりゃ錬金術の基本法則や構築式の意味は習うけれども、ただそれだけだ。何故、この形なのか、どうやって変化するのか、何故等価交換の世界法則に従うのか、そもそも何故その法則が成り立つのか。…錬金術とは、一体何なのか。そこまで疑問に思うことさえなく表面をなぞっておしまいだ」
まあ、学生だけが悪いわけじゃないけどな、とエドワードは苦笑した。
「カリキュラムがそうなってるから仕方ないっつっちゃー仕方ないんだがな。学生さんは覚えることが多すぎてこの世の不思議を考えてる暇もないようだしな」
「あーそれは俺も心当たりがあるわ。年表完全に暗記して歴史は万全だとか抜かす学生が昔っから後を絶たない」
実際テストはそれで何とかなっちまうしなあ、とがりがりと頭をかく。
「…と言うか、俺自身がそう言う学生だったしな。」
「え?ヒューズ先生が?」
「ああ。恥ずかしながら真の歴史のおもしろさに目覚めたのは実は教師になってからだ」
「へえ」
「根性ひねくれまくったガキ相手に死にものぐるいで教えているうちに、ふとこれがもっと面白いものだったら奴も興味を持つんじゃないか?とひらめいて。年表覚えるだけじゃ面白くないのは当たり前だよな?…で、ガキもろともにはまりこんだって訳だ」
正確にはその当時のヒューズはまだ学生の身分で、教師と言っても家庭教師のバイトでの話だった。懐かしそうな面映ゆそうな表情で語るヒューズを見上げて、エドワードは尋ねた。
「もしかしてそのひねくれたかわいくねーガキ、ロイ・マスタングとか言う有名人と同姓同名のガキだったりしないか?」
リンもはっとして顔を上げた。ヒューズはびっくりしたように目を瞠った。
「何だ知ってたのか」
「ビンゴかよ。」
がっくりとエドワードは机に突っ伏した。微妙な笑顔のリンに気付いて、ヒューズは首を傾げる。
「お前も知ってるのか?」
「はイ、この間の合成獣騒動の時に少シ」
事件にエドワードとリンが関わっていたことは職員の間では知れ渡っている。理解した、と頷いて、それから深々と頭を下げた。
「すまん」
「何でヒューズ先生が謝るんですカ?」
「良く分からないがきっとあいつが迷惑をかけただろうから」
「…だからそれをどうしてあんたが謝るんだっての」
「いや…何となく。」
ロイが先頭に立って突っ走り、その斜め後ろにリザが付き従い後からヒューズがフォローする、そんな図式が確立してからもう何年も経っている。つい代わりに謝罪してしまうのももう習性のようなものだった。
「話を戻しますガ、となるとアルは錬金術師として結構すごいってことになりますカ?」
リンの出した名前にエドワードは再び顔を上げた。
「アル…アルフォンス・ノヴァーリスか。確かにあいつはすごかったな」
何がどうすごかったのか、エドワードはあえてヒューズに尋ねなかった。ああなんか厄介なことにみんなで巻き込まれたことがあったんだろうなあと生ぬるい笑顔になる。
「ああ、あれは半分は才能だな。生まれながらの錬金術師という奴だ。」
たまにああいう奴が生まれるんだ、と他人事のように言った。
「そう言うエルリック先生はどうなんだ?」
「オレ?オレは8割才能。」
衒いでもなくましてや謙遜でもなくエドワードは正直に答えた。彼を知るものならば納得したかもしれない数字だった。だが、何も知らないものが聞けば当然鼻白む。
「自分で言うか普通」
「うん、残念ながら10割じゃない。でも努力の割合も足りない。だから半分才能で半分努力のアルフォンス・ノヴァーリスは、良い指導者に恵まれれば稀代の錬金術師となるだろうな」
バランスが大事なんだよ、と笑うその顔が、いつものような人を煙に巻く意地の悪い笑みではないことに気付いてヒューズはおや、と眉を上げた。やがて大木となるであろう若い木を見つけた老学者のようにも見えた。今は小さな苗木の成長を誰よりも心待ちにしている、そんな雰囲気が見て取れた。
「そう言えば今日は来てないんだな」
エドワードがここに居座るようになってから、毎日のように顔を見せる生徒が今日は見えない。まさか隠れているわけでもなかろうが、ヒューズは辺りを見回した。
「ノヴァーリスか?あいつは今日は用事があるから早く帰らなきゃならないって言ってたぞ。…何でオレに言って行くんだか」
はははは、とリンの口から乾いた笑いが漏れた。友よ、敵は相当に手強いぞ。少なくとも、リンの目にはエドワードが何も分かっていないように見えた。

丁度その頃、アルフォンスはセントラルの駅に立っていた。
「お久しぶりです、師匠」
雑踏の中涼やかな空気をまとう人を見つけ、駆け寄った。

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