クローゼットに収める服はそんなに多くはなかった。
それなのにフレッチャーとエドワードの二人がかりで結構な時間がかかってしまったのは、クローゼットの中や寝室の掃除に手間取ってしまったからだった。
床や棚に降り積もる埃を気にもとめずに、とにかくしまおうとするエドワードをフレッチャーは何とか押しとどめた。まずは扉を開け窓を開け、空気を入れ換えて埃を払う。
それで何とかエドワードの服が埃まみれになることは免れた。
「本当にこの部屋使ってなかったんですね」
「んー」
実のところ、引っ越してきてから居間と水回り以外に足を踏み入れてもいなかった。寝室のドアを開けた途端に「うお、懐かしー」と思わず呟いてしまったのを誰にも聞かれていなくて本当に良かった、とエドワードは密かに安堵していた。一人には呆れられ一人には叱られ一人には唖然とされそしてもう一人には腹を抱えて笑われたことだろう。
「兄さんたち、大丈夫かな」
ふとたたみじわを伸ばす手を止めてフレッチャーが呟く。
「大丈夫って、何が?」
書斎はあの二人に任せておけば問題ない、と家主は全幅の信頼を置いていた。約一名の不安要素はあるが、彼らならば負けることはないだろう。
フレッチャーの眉宇が困ったように揺れる。その不安要素がエドワードには分からない。
「あれ、あいつら仲悪かったっけ?」
「悪いってほどのこともないでしょうけど」
良いも悪いも、まだ出会ってからそう間もないのだし、と首を傾げた。
そんなフレッチャーを見て、いかん、とエドワードは黙って首を振った。彼らとよく似た奴らの記憶が無意識のうちに重なってしまったようだ。
直近の記憶を引っ張り出しながら、やっぱり首をひねる。
「見たところ普通に会話とかしてた気がするけど、オレの知らないところでなんかあったのか?」
フレッチャーはわずかに逡巡して、でも言っておいた方が良いと判断し口を開いた。
「初対面でアルフォンスさんに兄さんが投げられました。」
「投げ…?」
「はい。」
しばし神妙な顔で見つめ合ってしまった。
「…一体何をやらかしたんだ、ラッセルは」
「…やらかしたって、そんな」
アルフォンスに非があるとはみじんも思っていないようだった。
それはつきあいの長さ来る判断なんだろうか、とフレッチャーは心のどこかで何となく悔しいような心持ちがした。
「えっと、教団から兄さんを連れ出そうって迎えに行って、兄さんはクラリモンドさんもいるし信者の人たちもいるから逃げられないって言って。…それで」
「あーそれならしょうがないかな」
「しょうがないですか?」
「オレならそんな説得なんかしようとも思わないでとにかく簀巻きにでもして拉致っていくな」
うんうんとえらそうに頷く。彼と少年の間には到底埋めることのできない深い見解の相違が横たわっていた。
人の襟首掴んで投げることが説得に当たるのかとか無理矢理連れ去るにしても簀巻き一択なんだろうかとか、ぐるぐると素朴な疑問は巡る。
ただひとつ分かったことは、エドワードがアルフォンスに対して理解を見せたのはつきあいの長短とは関係なく、根っこの所でほぼ一緒なだけだと言うことだった。
「ここが一区切りついたら飯にしよう」
それでむこうの様子も見て、午後からのシフトも考え直して見ようぜ、と笑う。
その柔らかな笑みは、アルフォンスやハボックたちの見せるものによく似ていた。
「…どうして」
「ん?」
小さく聞こえないように呟いたつもりの声も、彼らはこんな風にちゃんと拾ってくれる。
子供のフレッチャーに視線を合わせ、きちんと話を聞いて信じてくれて、その上で間違っているときは間違っているとはっきりと言ってくれた。
その傾向はエドワードには特に顕著に現れていた。だから、フレッチャーも思い切った質問をしてみようと顔を上げることができた。
「どうして、そんなに親切にしてくれるんですか?」
突然の質問に、エドワードは軽く目を瞠った。
「お前からそう言うことを聞かれるとは思ってなかったな」
「そうですか?」
「お前より先にラッセルの方が言い出しそうだと思ってた」
当初の兄の警戒心むき出しだった様子を思い出して、フレッチャーは小さく笑った。
ラッセルは初めの方こそは何か裏があるのではないだろうかと疑ってかかっていたようだったが、ソラリスやハボックの口添えもあり、夕食を共にして一晩話し込んだところで納得し受け入れた。フレッチャーは、兄の決定に従うことには異存はなかった。
「兄さんは基本的に人が好いんです。ただどうしても何事にも構えてかかるところがあるから、最初のうちは警戒もしますけど」
「まあ人が好くなきゃ新興宗教の人寄せパンダなんか引き受けないよなあ」
「それは他にも目的があったから…」
「うん、だから信者に対して物凄く良心がとがめてたみたいだっただろ」
「…はい」
「開き直っとけ、と思うけどこればっかりは本人次第だからな」
埃だらけの軍手をはめたまま、がりがりと頭をかいた。
「うん。で、そう言う奴をそこらに放っておいて知らんぷりができるほどオレの神経は図太くはないんだ。そう言うことだ」
「本当にそれだけですか?」
なんの縁もない兄弟を引き取ることに、エドワードのメリットはほとんどない。
家事労働だとか家賃は出世払いでだとか言ってはいるものの、それはほんの表向きの方便に過ぎない。
エドワードはフレッチャーを子供だからと侮ったりしない。それだけの眼力をフレッチャーは持っている。
まっすぐに見つめてくる目に、降参とでも言うように苦笑して両手を上げた。
「分かった。…まあ、そんなたいそうな理由があるわけじゃないんだけどな」
エドワードは軍手を外すと、埃よけの布のかかったままのベッドに腰掛けた。そのままかがみ込んで、何やらベッドの下を探る。
「ああ、あったあった」
「…なんですか?それ」
寝台の下に貼り付けるか何かされていたらしい手のひら大の木の札を持って立ち上がり、今度はクローゼットを開ける。
クローゼットの扉の脇に、ちょうどその木の札がはまるくらいの溝があり、そこに差し込んだ。
それで押さえられていた木の棒がはずれる仕組みになっていたようだ。かこん、と音を立てて滑り降りてくる棒を案配良く立てかける。
木の棒には等間隔に溝が刻まれていた。刻み目を梯子の段代わりに足をかけて上っていき、触れた天井を押し上げる。
すると人が一人通れる程度に天井板がはずれた。エドワードはフレッチャーを見下ろして笑って手をさしのべた。
「秘密基地にご案内だ。おいで」
「…秘密基地?」
「そう、秘密の屋根裏部屋。」
おっかなびっくりエドワードの後について上ってみると、確かにそこは屋根裏部屋だった。
窓から昼の光が入ってくるので充分に明るい。フレッチャーが立つのもやっとなくらいに天井は低かったが、窮屈な感じはしなかった。
寝室同様、エドワードが窓を開け放って空気を入れ換える。腰掛けるところを探して、古びたラグに顔をしかめた。
「…さすがにこれは買い換えなきゃダメか」
140年間放置だもんな、とは口にはできなかった。
持ち込んだ小さな戸棚は趣も変えずにそのままだったのでまあ家主としては満足だった。元々が骨董品だったのだが、手入れもしてなかった割には状態が良い。
「この部屋の存在は実は大家にも内緒なんだ」
「そうなんですか?」
ぼろぼろのラグを丸めて寝室へと落とす。まあ座れ、と窓枠を叩いた。
エドワード自身はラグのあった場所へ腰を下ろした。そこが屋根裏での定位置だった。
「実はオレがあんまり根詰めて本読んでばっかりいたんでソラリスに書斎に籠もるのは1日3時間まで、って制限された時期があってさ。もちろん寝室にも本の持ち込みは禁止。それで作ったのがこの隠し部屋ってわけだ」
「隠れ書斎なんですね」
戸棚を開くとライティングデスクと数冊の本が並んでいた。古びたインク壺も発見してしまい、エドワードは天を仰いだ。
結構高いインクを奮発したものだったが、そう言えば忘れてた。
「作ったは良いものの、天井裏だろ?あんまりたくさん本を持ち込むと床…つーか天井?が抜けそうになるんだよな。だからあんまり本来の目的には適わなかったわけだが」
でもな、とエドワードは窓の外を指さした。つられたようにフレッチャーも振り返る。
「ここからの景色は結構気に入ってて、息抜きしたいときに上がってぼんやりしてた」
セントラルは高い建物が多いのに、この窓からはその間を縫うように空が開けていた。良く晴れた空はどこまでも高い。
「…だから、ここのことはソラリスには内緒だぞ?知られたら大目玉だ」
「はい。…あ、兄さんにも言わない方が良いですよね」
「……うん、なんか叱られそうな予感がする。何となくだけど」
部屋の存在も秘密なら、これから話すことも秘密だ。
その意を酌み取って、くすりと笑う。
「…本当に、大したことじゃないんだ」
エドワードは眼鏡を外して文机の上に置いた。
「世の中は、等価交換で成り立っている。錬金術師なら誰でも知っている、世界の基礎の基礎だ」
フレッチャーは頷く。けれども、エドワードは兄弟に見返りを求めてはいない。それが錬金術師の端に連なるフレッチャーには不思議でならなかった。
「昔、オレが今のフレッチャーよりももっと小さい頃にオレの母さんは亡くなった。引き取ってくれる親戚なんかは全然いなかったけど、田舎の小さな村では皆親切にしてくれて、不自由なく育った。」
折り畳んだ膝の上で組まれた鋼の右手と生身の左手に視線を落とす。
「色々あって、右腕と左脚と…それからいろんなものを失ったときも、オレの周りの人たちは優しかった。失ったときには、もう夢も希望も消え失せたって思ったけど、もう一度目標を示してくれた人がいた。それからこの機械鎧の手足をもらった。望みを叶えるために立ち上がる足とつかむ腕を」
「望み…?」
「うん。…オレが望みを叶えるために、オレはいろんな人からいろんなものを受け取った。そうして、望みは叶った」
目を伏せて、うっすらと笑う。
「それなのに、オレは多くの人たちに受け取ったものを返せていない。それどころか、もう返せない人たちもいる。世の中は等価交換だって言うのに」
「それは…」
「で、オレは考えた。無関係に見える誰かにこの受け取ったものを渡してみるとどうなるだろうか。受け取った相手は、また別の誰かに渡すかもしれない。そうやって、やがてオレが本来返すべきだった相手につながる誰かに渡される日が来るかもしれない。その可能性はゼロじゃない。」
フレッチャーは首を傾げた。
「途中で留まっちゃったらどうするんですか?」
「それがな。東方には良い理論があって、そう言うもんの流れは塞き止めればあふれるもんなんだってさ。つまり、世の中に循環するべきものを欲張って自分の所で溜めておこうとすれば、洪水の時の堤防みたいに決壊して身の破滅を招く。そう言うもんらしい」
イメージはできたが、ピンとは来なかった。困惑が伝わったのか、エドワードは目を細めた。
「つまり、オレが誰かに親切にするとしたら、誰かのためでもなんでもなくただ自分のためなんだ。だからフレッチャー、お前がどうやって返せばいいかって思ったなら、同じものを誰でも良いから渡せばいい。その相手はオレでなくても構わない」
「…はい」
素直に肯うと、照れたように目を逸らした。

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