エンヴィーは書斎に目的の人物を見つけてにんまりと笑った。見つけられた方は二人ともいやな予感がした。
「…何か用か?」
ラッセルは不機嫌を隠そうともせず、本を開いては副題を確認する作業の手を止めなかった。
彼よりはほんのわずかつきあいの長いアルフォンスは苦笑するにとどめる。
「何か見つかったの?」
「落書きは消されてた。結構会心の出来だったんだけどなー『厭彌夷参上!』ってわざわざシン国の辞書を駆使して書いたんだぜ?」
「その意欲はもっと有意義な方向に回した方がいいと思う」
もっともな苦言を呈されても一向に気にした風も見せず、エンヴィーはぐるりと書斎を見渡した。
「やっぱり結構埋まったな」
「本当にね、これだけの本棚に一体何冊入るんだろうって思ってたはずなのに」
「並べていくと後何冊入れられるのかの方が心配になっていくしな…」
うんざりとした表情でラッセルは足下の段ボール箱を見下ろした。ぎっしりと本の詰まった箱は、ラッセルとアルフォンスの尽力によりあと数箱にまで減っていた。
「リゼンブールにあった本を全部送ってきたのかな?」
「いや?多分これでも半分以下だと」
「これで?」
まだ開いていない箱の上にエンヴィーは腰掛けた。
「…確かにあの家、ちょっとした私立図書館並に本はあったけど」
「んーと、でも普段人を入れてる部屋の分だけしか見てないだろ?実はリビングの他にちゃんと書斎は存在していたし、地下にも書庫があったり隠し通路と隠し部屋があったりもしてるから」
「…人に見られたらまずい本とかは、さすがに厳重にしまっていたってことか」
「違う違う。自分がすぐに手にとって読みたい本がオモテにあって、そうでもない本は奥にしまってあったんだわ」
「何だそれは」
ラッセルの眉間にしわが寄る。アルフォンスは頭痛をこらえながら、したくはない確認をする。
「……つまり、一般的には危険な内容の本とかも堂々とあのリビングにあって、村の皆さまに開放されてたの?」
「うん、そう」
エンヴィーは何が楽しいのか満面の笑みだ。
「気付いてないようだったけど、人体錬成に関する本とかも堂々と並んでたよ?」
「いっそ悪趣味だよそれ…」
「で、悪趣味な張本人は?」
「主寝室とクローゼットの掃除。ここを任せると本に埋もれたまま日が暮れそうだったから」
「うん、良い判断だ」
大きな窓に面して設えられた机にアルフォンスは軽く寄りかかる。椅子にはラッセルが座っている。
手にした本をいったん脇の棚の上に下ろした。エンヴィーが腰掛けたと言うことは、何か長い話をしようとしているのだろうと察した。
普段は道化のように軽い調子で場を茶化そうとするエンヴィーが、どこかに腰を据えることはあまりない。
「でもって、今後もそう言うことはきっとよくあることだと思うんだよ。」
「そう言うこと?」
ラッセルが首を傾げた。
「あいつは一度本に集中すると周りの声が全く聞こえなくなる。…正直、今までちゃんと毎日学校に出てきてたのは奇跡だと思う」
「…暗くなって字が追えなくなったから時間の経過に気付いたとかじゃないのかな」
「…まさか、」
「多分それが正解なんだろうなあ」
エンヴィーでさえ遠い目になるんだ、とアルフォンスは妙なことに感心してしまった。
「で、一緒に住むあんたには、そうなったらあいつから容赦なく本を取り上げる役をお願いしたいんだ」
くるりと向けた顔はもう笑顔だった。ラッセルは思わず鼻白む。
「生活に影響するほどなら一応注意はするが、でも本くらい好きに読ませてやればいいじゃないか」
同じ錬金術師という生き物なので、耽読する気持ちはよく分かる。その辺はアルフォンスも同意見だった。
うーん、と錬金術師でも何でもないエンヴィーは頭をかいた。
「これはうちの一番上の兄弟の言ったことなんだけどさ」
エンヴィーは手を伸ばして適当な本を一冊取り上げる。ぱらぱらと中身に目を滑らせてみるが、何が面白いのか一向に理解できない。
「あいつが本に没頭するのは、現実から逃げ出して孤独な状態を作るためなんだってさ」
試しにもう一冊を手に取って開いてみるが、やっぱり無味乾燥な文字の羅列に魅力は感じない。
そんなものより面白いものは世の中あふれかえってそうだと言うのに、どうしてこんなものにのめり込むのかさっぱり分からない。
諦めて本棚の適当なところに置いてしまうと、ラッセルににらまれた。整頓済みの棚だったらしい。
「大体、あいつにこれ以上本を読む必要がどこにあるんだよ。間違いなくこの世の真理に到達している唯一の人間だってのに」
「…それはさすがに買いかぶりすぎじゃないか?」
エドワードが優秀な錬金術師であることは認めるにやぶさかではないが、常識的に言って褒めすぎだろうとラッセルは口を挟む。
エンヴィーの言ったことは比喩表現でも何でもないと言う事実は知らなかったので仕方がない。アルフォンスは曖昧に苦笑した。
「たとえそうだとしても、本を通じて他の人を通した目で見ることは有意義なことだと思うよ。エドもそれを知ってるんじゃないかな」
「知識をより豊かにってんなら上の奴らも何も言わないだろうさ」
「上?」
「上の兄弟連中。姉さんとかも蔵書を増やすのはこの書斎の床が抜けない程度にしておけって釘を刺してた」
だがエンヴィーもソラリスも知らない。すでにこの床は一度本の重みに耐えかねて陥没し、とうの昔に補強済みだった。145年ほど前の話である。
「本の中の世界に没入することで現実世界とのつながりを絶って、擬似的に孤独を作り上げてる。いつか否応なく向き合わなきゃならない、絶対的な孤独に耐えるために」
「…それならやっぱり、本人の好きにさせておけばいいんじゃないか?自分から閉じこもりたがってる奴を引っ張り出してどうするんだ」
「ああ、…本人が好きで閉じこもりたいと思ってるわけじゃないんだ。うまく言えないけど。」
絶対的な孤独、と言ったときのエンヴィーの声音の暗さにアルフォンスは横っ面を張られたような気がした。
エドワード自身もこのまま賢者の石を抱えて永遠に生きていく、その行き着く先をそう見ているのだろう。
「これも一番上のが言ってたんだけど、人間にとって孤独って奴は毒にも薬にもなるもんなんだそうだ。程々ならそれは薬になるけど、過ぎればじわじわと蝕んでいく。…侵食されてからじゃ遅いから重々気をつけろってさ」
ラッセルは渋面を崩さずにエンヴィーが置いた本を正しい位置に直した。
「…良く分からないが、あいつが本に熱中して周りの声も聞こえなくなったら、無理矢理本を取り上げてやればいいのか」
「うん、そう言うこと。出来れば時計の針が十二時を超えたら読書禁止くらいのルールで良いと思う」
「良いのかそれで」
「そう姉さんが言ってた、とでも言っておけば文句は…言うだろうけど従うはずだから」
それにそう言ってたというのは嘘でもないから、とへらりと請け負う。
「分かった。ソラリスさんの頼みなら俺も断れない」
「そうそう。…まあひとつ、頼む」
目を細めてそう言ったエンヴィーの表情は、今まで見たこともないものだった。
「…じゃあその代わりにひとつ質問がある」
「等価交換?うわー本当に錬金術師って奴らは」
「お前たちとあいつは、一体どういう関係なんだ?」
ひたりと据えられたラッセルの視線は、エンヴィーとアルフォンスに等しく向けられていた。
「え?ボクも?」
「つながりが良く分からないんだよ。教師と学生だとか、そうは言ってるけどそれだけじゃないだろ?大体教師に対する態度じゃないし、あいつも学生に対する態度じゃない。」
「遠い親戚、かな」
エンヴィーが軽く手を挙げた。
「似てないな」
「あんなんと似てるのは死んでもごめんだ」
「その点は同意する」
「…名付け親、なんだ」
ふと上げた目は、ひどく静かだった。アルフォンスははっと息を呑む。
「いろいろあって、一度生まれ直したようなもんでさ。…で、新しい名前と新しい命とをくれたのがあいつ。姉さんたちも似たようなもんだから、あいつには何とか幸せになってもらいたいと思ってる」
幸せって何なんだかまではつかめてないけどな、とそこだけ投げやりな感じで言う。かすかに頬が染まっているところを見ると、照れているのだろう。
「いやこれ結構重大な秘密だぜ?等価交換とか言うからうち明けたんだ、お前はしっかりあいつを見張ってなきゃなんないんだぞ?」
「秘密なのか」
「墓場まで持って行けよお前ら」
「分かった。地獄の底まで抱えてく」
アルフォンスは微笑みながら誓った。同じく、とラッセルも頷く。
「…で。お前は?」
それからラッセルはアルフォンスに水を向ける。
「ボク?」
「お前はあいつとどういう関係なんだ?」
言われてから改めて考えてみる。
「…そう言えば、何だろうね。友達…ではあるんだろうけど…」
「教師と、か?」
「知り合った後で向こうが教師になっただけだから。」
ことあるごとに教師だと強調するのでつい忘れがちだが、彼の教師歴は未だ半月にも満たない。
「こちらとしても、その辺ははっきりしてもらいたいかなあ」
エンヴィーもチェシャ猫のような笑いで乗っかる。
「何で?」
「あいつが本に没頭する癖は、ここしばらくはそんなに酷くなかったんだ。」
ここしばらく、と言うのが十年二十年のスパンだと言うことはラッセルの手前伏せておく。
「隣のお嬢ちゃんとかの努力の賜物でね。はっきり言って、お前と出会ってからあいつは不安定になって、あの読書癖が復活したんだ」
「そうだったの?」
「と同時に中央に出てくるなんて動きも見せるようにもなったし、…本当に、あいつにとってお前って何だろうな?アルフォンス・ノヴァーリス」
その答えは、今のアルフォンスには見つけられなかった。

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