エドワードは静かにクラリモンドの目を閉じさせた。
「終わった…のか?」
「ああ。全ての機能は停止した」
エドワードが言うまでもなく、誰の目にも明らかに今のクラリモンドは作り物の人形だった。
壊れた人形の顔は、それでも穏やかに微笑んでいる。
動きの止まった蔦の絡まるひな壇を、身軽く飛び越えてエンヴィーが降りてきて壇上に飛び乗った。
そしてエドワードが支える人形の顔を覗き込む。唇の近くに手をかざして呼気を確かめるエンヴィーに、エドワードは首を傾げた。
「…そう言えば、どうしてお前たちがここにいるんだ?」
「それはこっちも聞きたいよ」
鎌を支えにアルフォンスが肩をすくめた。
「…いや、聞かなくても大体分かるけどな」
ハボックが小さく呟いた。昔からエドワードの事件体質は嫌と言うほど思い知らされている。
叔父も大体甥と同じ感想を抱いているようだった。
「こっちはただの付き添いだよ」
エンヴィーは軽くフレッチャーを指し示す。
「どういうことだ?」
「弟が人間使った錬成現場を見ちゃって逃げ出して、でもって兄を迎えに来たってわけ」
「なるほど」
と言うことは、ワグネルの言っていた「捜し物」はフレッチャーのことだったのか、とリンは推察する。
「あのまま錬成実験が明るみに出たらラッセルに全部のぬれぎぬがかけられそうだったから。」
「まあそれくらいやるだろうな」
少し離れた場所に伸びているワグネルを睨みつけて頷く。
「あ!そうだ、ラッセルとフレッチャーはここにいるとまずいんだった」
アルフォンスが唐突に思い出して叫んだ。
「何で?」
「通報者が現場にいるって不自然でしょ」
「あーそうか。だったらさっさと逃げた方が良いぞ。オレの会った方のお巡りさんたちもそろそろ到着する頃だ」
「…それにしては少し遅いような気もしますが」
銃をスカートの内にしまいながらリザとロイも降りてきた。
続いてラッセルとフレッチャーも壇の脇の扉へと向かうために降りてくる。
「うん、警官足止めしようと思って石人形2体ほど残してたから」
さらっとエドワードは言った。
「何の意味があるんダ何ノ」
「いやあだってあのいかれトンチキ殴る時間くらいは欲しいじゃんか」
「それだけのためにわざわざ残してたのか?!」
「まあクラリモンドが機能停止したから石人形も止まってるはずなんだよなー気配から言って、門をふさぐ形で止まったかな」
あっはっは、と笑う。
笑い事ではないと思うがこの際ラッセルたちが逃げる時間を稼ぐには有効だった。
「アルとエンヴィーもいない方が良いな」
エドワードはアルフォンスの錬成した鎌を受け取って、パンと手を合わせた。鎌はすぐに砂となり散り散りに消えた。
「え、でも…」
「ワグネルを止めたのはそこの士官学生、クラリモンドを切ったのはリンだ。アルもエンヴィーもこの場にはいなかった」
そういうことにするらしい。
「オレがやったことにしても良いんだが、学生で未成年がしでかしたことにしておいた方が表沙汰になりにくいだろ」
「何かずるくない?」
「ただの学生なら暴走かもしれないが士官学生ならちょっとした手柄だ。違うか?」
目をぱちくりとさせるアルフォンスににやりと笑いかける。
「…士官学生は分かったけど、何で切ったのはリン?」
「こんなにすっぱり思い切りよく切るのは素人には無理だぞ」
すっかり元のセラミックの硬度を取り戻したクラリモンドの胴体を一なでする。
どこでこんな技を覚えたやら、と内心溜息を吐く。
「あいつにそこまでの腕はないはずだ」
指さされたロイは居心地悪く目を逸らす。隣でリザが深く頷いている。
「リンならもう警官にも見られてるしな。…さあ納得したら早くいけ」
ひらりと手を振った。まだ何か引っかかるものもあったが、アルフォンスたちは指示に従ってその場を立ち去った。

明くる日、学校が終わってからリンとエドワードはエンヴィーと共にソラリス邸へと向かった。
そこにはトリンガム兄弟とヴィオレッタ、そして妙に憔悴したハボックがそろっていた。
昨夜遅くにどさくさ紛れで帰宅したものの、予想されていた母と姉の厳しい歓迎がなかなか始まらず、今か今かと待ちかまえている内に気力を消耗したのだった。
母に「今夜の晩ご飯は食べるんでしょう?」とにこやかに言われ逃げるに逃げられなくなっている。
その母は父の入院している病院へ、姉は仕事に出てしまっている。
エドワードはただ一言、「ご愁傷様」と言ったきりだった。
「あれ?お説教するんじゃなかったの?」
エンヴィーが楽しそうに尋ねた。
「昨日までならともかく、今のこいつに言う説教はないな」
ハボックの顔色がやや明るくなった。だがいくらかまだ懐疑的だ。
ソファに沈み込むように座る長身の頭を、エドワードは昔と変わらぬ調子でくしゃくしゃと撫でてやる。
「お前が意味もなく目的もなく各国の外人部隊を渡り歩いて傭兵で身を立ててたのは分かってる」
「…何で知ってるんだよ…」
母と姉もちゃんと知っていた。経歴のほとんどを把握されてしまっていたのには目をむいた。本人ですら曖昧なところがあるというのにだ。
一体どうして知っているのかと聞いたら「商人(あきんど)の情報網を甘く見てはダメよ」と高笑いが返ってきた。
商人の情報網恐るべし、とかうちのねーちゃんは商人だったのか知らなかった、とか新たな発見があったりもした。
だが、母も姉もエドワードには話していないと言っていた。
「話せるわけないじゃない」
ソラリスははっきりと顔を曇らせた。
「エドは軍も戦争も嫌いなのに、息子が国外で戦争やってますなんて、とてもじゃないけど言えないわ。…たとえもう知っていたとしてもね」
そう言っていた表情に嘘はなかった。第一嘘をつく必要がない。
だからハボックが傭兵をやっていたことを、エドワードがソラリスから聞いていないことは確かなのだ。
エドワードは撫でていた手でぺしっと軽くハボックの額を叩いた。
「元軍人なめるな。銃器の扱いだの言葉だの、お前みたいな癖のある奴をオレは何人も見てたんだよ」
ぺしぺしと何度も叩くが、その顔は笑っている。どうやら本当に叱る気はないらしい。ハボックは窺うように見上げる。
「…じゃ、何で…?」
「今はもう、目的があるんだろう?」
最後に1回、やや強く叩くとすとんとその隣に座った。
「…目的っつーか」
「銃を持つ意味を見つけた。オレにはそう見えたんだがな。違うか?」
「何であんたは何でもそうお見通しなんだ?!」
「さて、な」
敵わない、とハボックは大きく溜息を吐いた。
「…アメストリス軍に入ろうと思う。」
家を飛び出し国も飛び出した時には漠然と「ここではないどこか」に「何か本当のもの」を見つけたいとしか思っていなかった。否、それすらも曖昧で、ただのっぺりとした現実から逃げ出したかっただけだった。逃げ出したところで腹は減るし雨風に当たれば凍え日に照りつけられれば暑い。糊口をしのぐに手っ取り早かったのは、若く体力に有り余る自分には軍隊だった。銃をとって戦う理由などただそれだけで、殺し殺される意味を考えたのはもっと後になってからだった。戦場では戦争の意味なんて考えない。
そんないい加減さも含めて、もう見抜かれていたのだと思う。
「俺の覚えてきたことなんてろくでもないことばっかりだけど、それを役立てられそうな就職先と言ったらそこしかなさそうだし」
アメストリスという百年の平和の国に飽き飽きしていたのもまた事実だった。平穏の意味を考えず、内側から腐敗が進んできているのが見えたような気がして嫌気が差した。
腐敗は平和のうちに育まれたわけではないのに、どうしてか2つを結びつけて考えた。
腐敗を自分の手でどうしようとは思いもよらず、ただ外へと逃げた。
「将来有望そうな士官学生もいることだし、あのひよこちゃんの殻が取れるまで、せいぜい実績を上げておこうかなと思ってさ」
だから、ロイの言葉は目から鱗が落ちる思いがしたのだ。
「どれだけかかるか分からねえぞ。もしかするとドロップアウトするかもしれないし」
「その時は俺の見る目が悪かったってだけでしょ」
すると、エドワードが大きく溜息を吐いて頭を抱えた。
「あー…ったくせっかくお前の親父は回避できたと思ったのによ」
息子の方が引っかかったか、と大袈裟に肩を落とした。
一体何のことやら、と首を傾げているとびしりと鼻先に指を突き付けられた。
「お前のその顔は上司運が悪い」
「は?!」
「軍に入れば最悪の上司を引き当てる顔だ。…もう遅いけど」
「…遅いんだ。」
ぽつりとエンヴィーが呟いた。
「ま、すんだことは仕方ないよな、うん」
すっぱりと気分を切り替える。そうしてトリンガム兄弟に向き直った。
「で、本題だ。教団は解散する見込みらしい」
事実上の指導者であるワグネルは入院した。その理由は分からない。その場にいたはずのハボックもリンもただ黙って目を逸らすだけだったし、エドワードも口の端でかすかに笑い詳しくは語らない。ただ、警察が駆けつけた時には錯乱状態で、とても取り調べのできる精神状態ではなかったらしい。
だが状況証拠はありあまるほどだったので連続誘拐事件の犯人であることは特定された。
「クラリモンドは、錬金術師局が調査の後処分が決まるようだ」
「大丈夫なのか?そんなところに任せて」
エンヴィーは今の錬金術師局をあまり信用していなかった。
「大丈夫だろ。クラリモンドを動かしていた生命の水はあらかた流れちまったし、万が一もう一度動いたとしても、「あの」クラリモンドの自我が再び生じるとは思えない」
フレッチャーが顔を上げた。
それはつまり、あのクラリモンドにはもう二度と会えないと言うことだろうか。
ラッセルは少し考えて言った。
「同じような仕組みの自動人形を再構築することは不可能か?」
「それは可能だが、「あの」クラリモンドではない自動人形ができあがるだけだ。…つまり、クラリモンド・ノードの「魂」はもうどこにも存在していないから錬成もされない」
エドワードはゆっくりとソファーに背を預け天井に視線を泳がせる。
「死んだものをよみがえらせることは絶対にできない」
ふとエンヴィーは、エドワードがクラリモンドを「人間」として扱って話していることに気付いた。
とするとエドワードにとって「人間」と「それ以外」を分ける境界は一体何なのか。どうも良く分からずに首を捻った。
「ところでお前たちの方はこれからどうするのか決まっているのか?」
急に振られて兄弟は顔を見合わせた。
正直、セントラルにもその他にも身よりはなかった。
「行く当てがないなら、うちにいても良いのよ」
ヴィーがそう言った。それはすでに母や姉も了承済みのことだった。
「それなんだがな、この家こいつも帰ってきたしもうすぐジャンも退院してくるしで大変だろ?だから」
「ちょっと待て、今何つった?」
「ジャンも退院してくるし。確か3日後って決まったんだったよな?」
「ええそうよ」
ヴィオレッタも頷いた。がばりとハボックは立ち上がり、エンヴィーの胸ぐらを掴んだ。
「親父の命はあと半年だって言ってなかったかおじさん」
「うん言ったよ」
「…嘘吐いたのか」
ヴィオレッタが間に割って入り兄の手を叔父から離させた。
「そう言われたのは3年前の話よ。今は悪くなったり良くなったりで入退院を繰り返してるの」
「嘘は言ってないよー」
「…確かに嘘は言ってないな」
ハボックは妹の顔を見て、エドワードの顔も見て、それからがっくりとくずおれた。
喜んで良いのか騙されたと憤ればいいのか分からずに、胸の内のわだかまりを床に垂れ流す。
エドワードはそんなハボックを一瞥し、それからラッセルに視線を戻す。
「で、ここんちは何だかんだで大変になるから、お前らうちに来ないか?」
「え?」
「勉強しなおすにしろ働くにしろ住むとこは必要だろ。うちなら部屋もありあまってるし、宿代は食費も込みで出世払いで構わない」
「…そんな良い条件はかえって胡散臭いな」
警戒もあらわなラッセルに気分を害することもなく、エドワードは言った。
「大家に犬か猫か飼えって言われてたんだ。犬を飼うよりは簡単だろ。散歩は要らないし将来下宿代返ってくる可能性もあるし」
犬では宿代は払えない。
「犬扱いか!」
「犬と言うよりは大きな猫っぽいな」
顔を真っ赤にして怒る兄とどこ吹く風なエドワードをフレッチャーはおろおろと見た。
(アルフォンスが知ったら泡吹きそうだ)
リンはこの場にいない友人に思いを馳せる。ちなみにアルフォンスは昨晩の門限破りのペナルティのため、下宿の廊下磨きをやらされてここには来られなかった。(リンは警察の方から事情を伝えられたため逃れた。)教えるのは自分なんだろうなーちょっと嫌だなーとリンは遠い目になる。
「急いで決めることはないわよ。とりあえず母さんたちとも相談しましょ」
ヴィーが笑顔で割り込んだ。
「とりあえず、今日はエドもリン君も晩ご飯食べていくんでしょ?」
「良いのカ?」
「人数が多い方が楽しいもの。…と、でも材料がちょっと足りないから買い物に行くけど。兄さん、荷物持ちお願いね」
それでエンヴィーとエドは留守番ね。その間にラッセル君たちと親交を深めておくと良いわ。ソラリスの末娘は有無を言わせぬ笑顔でそう言うと、財布と兄の腕を掴んで家を出てしまった。

夕暮れ時の街は人通りが多かった。誰もが帰宅を急ぐように足早でせわしない。
さほど多くはない荷物を持って、ハボックは妹の後に付いていく。
「他には何かあったっけ」
晩ご飯の材料とは思えぬ雑貨の買い足しを細々と数え上げる。玄関先で帰宅した母と姉と入れ違いになったことで初めて、ハボックは妹の意図を知った。
妹は少しでも自分が姉たちにお説教されるのを先延ばしにしようと考えてくれたらしい。でもこれ以上足を伸ばせば夕餉の支度に間に合わなくなる。
もう良いから帰ろうぜ、と言おうとしたその時だった。
黒いコートに金の巻き毛の、ほっそりとした女性とすれ違う。
「また会いましょうね、ロムアルド」
すれ違いざまにそう囁いて、紅い唇がかすかに笑ったようだった。
「っ!!」
ばっと振り向いて女を探したが、人混みの中にそれらしい姿は見えなかった。
「どうしたの?兄さん」
ヴィオレッタが怪訝そうに兄を振り返った。
「…いや。見間違いだ」
ハボックは静かに首を振る。夜の夢の残滓を振り払うように。
「何でもない。もう帰ろう」
妹を促して家路を急いだ。

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