通されたのはいかにも錬金術師の研究室らしい部屋だった。
年代物の書棚には錬金術書がいかめしい背表紙を並べ、壁には複雑な意匠画が掛かっている。頑丈そうな机の上にも本が数冊、それから何本かのガラスの試験管が整然と立てられている。
「うわぁ…」
思わず呆然と声を上げるアルフォンスに、フレッチャーは振り返って首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「あ、いや何というか。こういう『錬金術師の部屋』っぽい部屋を見たのが久し振りだったから、何だか感動しちゃって」
「アルフォンスさんも錬金術師じゃありませんでしたっけ?」
「正確には錬金術師の弟子だよ、…まだ、ね。」
そう言って軽く笑ってみせる。エンヴィーも物珍しそうに棚のほこりを指で拾ってみながら遠い目になる。
「そうだなー…一番身近な『錬金術師の部屋』も今や『あれ』だしなー…」
「『あれ』?」
フレッチャーの素朴な疑問顔に、エンヴィーはしばし考えて答えた。
「フェア・ネッドの本棚。」
「何ですか、それ」
「おとぎ話だよ」
ぽん、とハボックがフレッチャーの頭に手を載せた。「今度時間のある時に教えてやるよ」と言われて素直に頷いていた。
「…ねえ」
こっそりと耳打ちするアルフォンスに、エンヴィーは喉の奥で小さく笑った。
「…リゼンブールはあいつの両親の第2の故郷みたいなもんなんだよ」
だからリゼンブールの錬金術師のこともよく知っているから心配するな、と言外に滲ませる。アルフォンスもその意を酌み取って頷いた。
「で、鋼の錬金術師サマはどこにいるんだ?」
きょろきょろと見回す。さほど広くはない部屋の中にそれらしい人影はない。
「多分奥の部屋です」
「ここは信者さんとの会話用の部屋だって話だから」
ハボックも言い添えて更に部屋の奥へとずかずかと進んでいく。
それでアルフォンスも、この部屋の作り物めいた雰囲気に納得した。つまりは、信者に『鋼の錬金術師』らしく見せる必要があっての『錬金術師の部屋』らしさだったと言うことだ。
ハボックはさりげなく置かれたついたての陰にある扉を叩いた。
「ラッセル!起きてるか?客だぞ」
「…客?」
程なく不審気な少年の声がして、扉が開いた。
ハボックはほら、と目顔で背後に立っていたフレッチャーを指し示すと、銀色の目が見開かれた。
「フレッチャー!お前どうしてここに?!」
「お兄さんを迎えに来たんだよ」
兄の心配と叱責がないまぜになったような声に思わず竦んだフレッチャーを、支えるようにアルフォンスは言った。
どうやらアルフォンスと同じくらいの年頃の兄は、見覚えのない相手に不信感をあらわにする。
「僕を助けてくれた人達だよ」
だがフレッチャーの説明は聞き流し、真っ直ぐに弟を見た。
「バカだな、お前は。逃げられて助けられたんなら戻ってくることはなかったんだぞ」
「そんな!」
「むしろ俺一人の方が安全なんだ。お前がいると足手まといになる。それくらい分からなかったのか」
それがフレッチャー一人を安全な場所へやるための、突き放した言い方だと初対面のアルフォンスでも理解できた。
口調は冷たく態度はとりつく島もないが、心配していることはひしひしと伝わってくる。
フレッチャーにも、兄の応対は理解できたし予測もできていた。それでも、予測といざ現実で言われるのとでは心に受ける衝撃は違っていた。
返す言葉を見つけることもできずに俯く。
「お前一人だと安全って言うその根拠は一体なんだ?」
口を挟むエンヴィーに、「おや珍しい」とハボックが目を瞠った。
「本当にどうしちゃったのおじさん。他人庇うなんてさ」
「うるせえ黙ってろ甥っ子。…お前は知らなかったかもしれないが、小さいものは割と好きなんだよ」
「…ああ!そっか、そう言われてみればおじさんの好きなものって「小さい」でくくれるな!今まで気付かなかった」
姉に聞かれたらまたからかいの種にされること必至の台詞だった。
けれどもひとまずこの場に姉もいないので、甥のエウレカを無視してラッセルに向き直る。
「で、お兄ちゃんが安全なのは鋼の錬金術師サマだからか?」
「…そうだ。信者達の目もあるから、ワグネルも表向きは俺を粗雑には扱えない」
「今まではね」
アルフォンスが笑顔で言った。
「でも、通報しちゃったから、そうも行かなくなると思うよ。」
「何を」
「フレッチャーの見たことを、警察に。市民の義務だからね。」
「それならそれこそ何でわざわざここに来たんだ?」
「分からない?」
不意に笑顔を消して真顔になった。
「新興宗教内で人間を使った錬成実験が行われていた。…ボクがその首謀者なら、傀儡だという君に全ての責任を負わせてスケープゴートにするよ」
ラッセルははっと顔を上げた。
その様子を見て、アルフォンスはやや表情を和らげる。
「…どうやら君は本当に知らなかったみたいだね。よかった」
「本当か、フレッチャー」
「うん、人間を材料に合成獣を錬成する現場を見てしまって…それで」
「何でそんなことを…」
「わからない」
うなだれて首を振る弟を更に問い詰めようとするのをハボックが止めた。
「今はそれより逃げる方が先だろ?」
「そうだよ、まずは自分の安全を確保しないと」
ラッセルは逡巡した。
「…いや、やっぱり行けない」
「何で!?」
「…まだ俺にはやらなきゃいけないことがある」
アルフォンスは、ふっつりと何かが切れる音を聞いたような気がした。
一瞬の間合いでラッセルのふところに入り込むと、その襟首をつかんで投げた。
あまりに無駄のない動作に、ハボックさえも止める隙がなかった。
反射的に受け身はとったものの、何が起こったのか理解できずにいるラッセルに向かってアルフォンスは言い放つ。
「やらなきゃいけないことが何だか知らないけど、今の君にそれができるとは思わない。君は伝説の錬金術師でも何でもないんだ。できることとできないことを考えろ」
ラッセルは気色ばんで反論しようとした。だが、だん、と頭のすぐ横を踏み抜くように蹴りが入り黙らされる。
「今の君にできることはひとまず逃げることと安全確保だ。それ以外にない」
感心していいものか思案しながら、ハボックはエンヴィーに囁いた。
「…おじさんの友達って過激だな」
「え、あれくらい普通じゃないの」
けろりと言った叔父に頭を抱えたくなった。その辺りの常識は以前とそう変わってはいないようだ。
「過激だけど言ってることはおおむね正しいな。確かにいざとなったらワグネルのおっさんはお前にみんなおっかぶせて自分は被害者面するくらいのことはするだろうな」
「そんな…」
「自分だけは安全と思わないことだね。フレッチャーは複数の男達に銃を向けられていた。ためらうような人達じゃないってことはボクにだって分かる」
アルフォンスは手を貸してラッセルを立たせた。それからまた表情を一転させて申し訳なさそうに笑った。
「それに、君に一緒に逃げてきてもらわないとこっちも困るんだよね」
「…何で」
「うん、目撃情報は君たち兄弟から寄せられたことになってるから」
それなのに片方教団内に残られたりしたらつじつま合わなくてちょっとまずいと思うんだよね、と笑う。
「出がけにヴィーと内緒話をしていたのはそれか、アルフォンス・ノヴァーリス!」
「兄さんが承知しなかったらどうするつもりだったんですか」
「どうって…そこらにあるものでロープとか錬成して簀巻きにして拉致ってしまえばいいかな、て」
あのカーテンなんか錬成しなくても使えそうだしね、と部屋を物色する目で見回すアルフォンスに初めて本気でフレッチャーは怯えた。
「なあおじさん、友達は選んだ方が良いぞ」
「バカだな甥っ子、あの手の人間は『友達』なら心強いんだよ、敵に回すと怖いけど」
「そっか、覚えとく」
「…兄さん、アルフォンスさんの言うとおり、一度教団から離れた方が良いよ。父さんのこと調べるのだって、外からだってできるよ、きっと」
フレッチャーが必死で説得する。
「お父さん…?」
アルフォンスが首を傾げるが、ラッセルは気付かずに黙考していた。
苦渋の表情で溜息を吐くと、顔を上げた。
「分かった、お前たちと行こう。でもひとつ条件がある」
「何?」
「クラリモンドも一緒に連れていって欲しい」
そのことか、とアルフォンスはほっとした。そう言い出すことは織り込み済みだったのでもちろん頷く。
だが、予想外なことに今度はハボックが難しい顔をしていた。
「えーっと、それこそ聖女さまなら大丈夫じゃないか…?その、ワグネルもどういう訳か聖女さまは崇拝しているみたいだし」
「だけど、傀儡って点なら俺もあいつも似たようなものだろ?色々ぬれぎぬ被せられたら、俺よりあいつの方がきっと危ない」
「うん、まあ、それはそうだと思う…」
「クラリモンドじゃ絶対全部自分のせいだと思いこむ。だからそうなる前に逃がした方が良い」
「それはそうだけど…あー…でも、聖女さまが大人しく逃げてくれるかね?」
「俺が言っても駄目かもしれないけど、『ロムアルド』が言ってくれりゃあきっと一発でいけるだろ」
「ええーっ、てーかあの人、人の話全然聞かないじゃないかー」
どんどんと情けない顔になるハボックの袖を引いてエンヴィーが問う。
「ロムアルドって、誰」
困ったように言葉に詰まるハボックに替わって、ラッセルが答えた。
「こいつはロムアルドとか言う男の生まれ変わりらしいよ」
「聖女さまがそうおっしゃってたんでオレはもうロムアルドで固定されてんだよ…」
「もしかして、エドワード・エルリックの生まれ変わりって言うのもそのクラリモンドさんが?」
「ああ。何が基準になってるのかは分からないけど、会っていきなり生まれ変わりに認定された」
そんな会話の横でエンヴィーがぶつぶつと呟いている。
「ロムアルド…ロムアルドロムアルド……どっかで聞いたような…」
「おじさん?」
「………よし、思い出せん!」
突如大悟したかのように開き直った。
「思い出せないってことは大したことじゃないってことだ!うん、間違いない!」
「思い出せないと気持ち悪くない?」
「言うな!そう思ったから気持ちを新たにした所なんだから!!」
「実際、誰のことなのか分かんないんだけどな、鋼の錬金術師みたいに有名どころじゃないことだけは確かで」
ハボックが遠くを見た。
「クラリモンドさんに聞けば?」
「聞いたさ、でも『ロムアルドはロムアルドですわ』って答えになってない答えしか返ってこない」
そんな彼女に逃亡を勧めるのは確かに困難なような気がした。
だが困難だろうが何だろうが、時は刻一刻と迫っている。不安を振り払うようにアルフォンスは笑った。
「とりあえず、クラリモンドさんに会いに行こうよ。どこにいる?」
「そうそう、いざとなったら簀巻きで拉致れば良いだけの話だし」
エンヴィーが笑顔でフレッチャー以下3人の不安を煽った。
そんなエンヴィーをアルフォンスが真顔でたしなめる。
「女性に手荒なことをしちゃ駄目だよ」
「はーい」
「………クラリモンドはこの時間なら礼拝堂だ。案内する」
本当に信頼して大丈夫なのかと思いながら、引き下がれないラッセルは先に立った。

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