祭壇に跪いて一身に祈りを捧げていたクラリモンドは、顔を上げて破顔した。
「ロムアルド」
大輪の花が咲いたかのような満面の笑顔だったが、対するハボックはどこかぎこちない表情で笑った。
苦笑としか言いようのない顔で「こんばんはー」と気のないあいさつをする。
教団施設の中心に位置する礼拝堂は、礼拝のための場所と言うよりは講堂を思わせた。祭壇と教壇を中心に据えた半円状のステージを眺め下ろすようにひな壇型の席が並ぶ。実際、祭壇を背にして信者たちにワグネルが錬金術に関する講義をすることも多かった。簡素な祭壇は、一体何を祭っているのかアルフォンスには見当も付かなかった。
「会えて嬉しいわ、ロムアルド。どうなさったの」
「あー…えーっと、うん、」
「クラリモンド、今は説明している時間がないが一緒に逃げて欲しい」
一向に話の糸口を見出せないハボックに替わってラッセルが言った。
そこでようやくハボック以外の面々に意識が向いたようで、クラリモンドはふわりと首を傾げた。
「エドワード?何があったの?」
アルフォンスたちは扉の陰からその様子を窺っていた。
「多分クラリモンドは何も気にしないと思うぞ」とラッセルにもハボックにも言われたものの、全くの部外者が突如顔を見せるのは相手に警戒されるのではないかとの判断だった。
「確かに、客寄せ効果はあるな」
エンヴィーが呟く。壇上に立つ少女と説得する少年は丁度一対の人形のようだった。
二人とも淡い金髪を暗い礼拝堂の中で仄かに輝かせていた。
外見の及ぼす効果も含めて、ラッセルは自分たちを傀儡と表現したのだろう。
「ワグネルがろくでもないことをしていた。このままでは俺もお前も巻き込まれる。だから、逃げよう」
ラッセルは真っ直ぐに手を差しのばす。だが、クラリモンドはその手をきれいに無視してハボックを見た。
「ロムアルド」
「あー…うん、逃げた方が良いと思うよ、俺も」
「ロムアルドがそう言うのなら。」
微笑んで壇上をゆっくりと歩む。
いつになくモテている甥っ子が妙に居心地が悪そうなことにエンヴィーは気付いて眉を顰めた。
あれだけの美少女に無条件の好意を向けられているのに、浮かれた様子は全く見られない。それどころか、どうやら彼女に苦手意識を持っているようにすら見える。
ハボックに言わせれば「無条件だから気味が悪いんじゃないか」と言うことだったが、その辺りの機微はエンヴィーにはまだ分からない。
他人の名前で覚えのない好意を向けられても、自分ではない誰かに向かう感情としか思えない。
だから、「あなたのいるところならどこまででも付いていきます。」と言われても、微妙な笑顔しか見せることはできなかった。
ラッセルが呆れたように肩をすくめた。
その時、エンヴィーが背後の気配に気付いて振り向いた。
「どうした?」
しっ、と声を潜めてアルフォンスとフレッチャーに身をかがめるように手で示す。
礼拝堂のステージの脇に開くこの扉は、ラッセルのいた宿舎の建物と東棟と呼ばれる校舎のような建物をつなぐ渡り廊下をくぐり、真っ直ぐに東の通用門へと続いている。
その通用門の方から誰かが駆け込んでくる足音を、アルフォンスも耳にした。
エンヴィーは目顔でハボックに急げと告げた。
「どこへ行くんですか?」
不意に響いた男の声にラッセルは身構える。ハボックは「うわ」と小さく呟いた。
祭壇の向こうから、男はこつぜんと現れた。
「…ワグネル」
アルフォンスの傍らにいたフレッチャーが身を固くする。
こつりこつりと靴音を立てて、ワグネルは壇上に上がった。
「クラリモンド。こちらへ来なさい」
「はい」
何の感情も見せずにクラリモンドは従った。
「相変わらず聖女さまってば人の話は聞かないのに誰の言うことでも聞いちゃうんだなあ…」
ハボックがごくごく小さな声で愚痴を言う。
クラリモンドはもうワグネルの傍らに立っている。ここはさっさと頭を切り換えるのが得策、と思い直す。
「…お早いお戻りで」
「ええ、予定外の出来事がありましてね。急いで戻ってみれば、こちらも予想外だ」
いやみを含んだラッセルとワグネルの応酬を、扉の陰から固唾を呑んで見守る。
「ハボック君、だめじゃないか。ほら、侵入者だ」
開きっぱなしの扉の前に銃を構えて少年と少女が立った。
「追いつめたぞ、連続誘拐犯。」
黒髪の少年が言った。
それを聞いたアルフォンスは「…嘘から出たまことってあるもんだね」と囁いたがフレッチャーに答える余裕はなかった。
ハボックはほんの少し考えるそぶりを見せた後、持っていた銃をワグネルに向ける。
「いや東半分俺一人で受け持つってのは無理でしょ。せめてもう一人、通用門に置いてくれりゃあこいつらだってここまで入ってこられなかったと思うんすけどね」
「職務怠慢をシフトのせいにした上に、雇い主に銃を向けるのかな?」
「いやいや、俺が銃を向けてるのは犯罪者っすよ。」
あくまでも軽い調子で答えながら、ハボックは各人の位置を量る。
扉の陰にいる3人は良い。問題はラッセルをどう逃がすかだ。3丁の銃を向けられているはずのワグネルの余裕も気になる。
少年は士官学校の制服を着ていることからも明らかに士官学生だと分かる。と言うことはそれなりの訓練を受けているはずだ。花柄フレアスカートの少女の方は良く分からない。だが、ハボックの見たところ、少年よりも少女の方が構えに隙がない。
一方、ロイたちは何故ハボックたちがワグネルに相対しているのか量りかねていた。
ラッセルもハボックもワグネルに対して友好的とは決して言えない空気だった。
「敵の敵は味方」という単純至極な論理を適用し、プラス要因の方へ組み入れる。たった二人で敵の陣地に乗り込んできたのだ、いくらでも有利条件はあっても良い。
なおも睨みつけているラッセルに、ワグネルは笑いかける。
「私が何をしたんですって?ラッセル君」
「……」
「その様子だと知ったのですね。…うん、今日は捜し物でろくに実験はしていないから、知ったとすればフレッチャー君に聞いたとしか考えられない。とすると、フレッチャー君は戻ってきたんですね」
「っ、」
動揺するラッセルを満足げに見た。
「この近くにいますね。素晴らしい」
「何がだ!」
「小さいのにたった1日とは言え一人で逃げ切ったこと、兄を案じて戻ってきた情愛とその勇気。そして何より、手間が省けたことが素晴らしい」
祭壇がごとりと動いた。
「手間?」
「ええ。また後日探しに行かなければならないかと思っていたのですが、どうやら一度で済みそうだ」
心底愉しげに、今度はロイに向かって言う。
「先程あなたは私を追いつめたとおっしゃいましたが、誘い込まれたとは思わなかったのですか?」
「…虎穴に入らずんば虎児を得ず、と言う」
「勢いだけで追ってきたのも、そう言うと聞こえが良いものですね。」
「うるさい!」
「……図星か」
冷静に言ったラッセルをぎっと睨みつけた。
「君はどっちの味方だ!」
「あの男の敵でしょう。…現時点で分かるのはそれだけです。」
リザが辺りに目を配り静かに言った。教団施設の真ん真ん中の礼拝度に来るまでに、警備の一人にも出会わなかったことが気にかかっていた。
今もそれらしいのはハボックしかいない。囲まれてもおかしくはないのにその気配を感じない。
(そう言えば、あのワグネルとか言う男は一体どこから現れた?)
アルフォンスはその背後に目を凝らす。
左右対称の作りをしている礼拝堂は、壇を挟んで向こう側にもこちら側と同様の扉がある。しかしそれが開閉した様子はなかった。
アルフォンスの疑問に対する回答はすぐに得られた。簡素だがそれなりの重さはありそうな祭壇が音を立ててたおれる。
闇が身を起こすように、獣の足が覗く。
「隠し通路か」
エンヴィーも呟いた。
強靱な足が壇上に爪を立てる。ぞろりとその身をステージ上に乗せる。
「お前は一体何体合成獣を作ってたんだ」
ロイが苛ついたように言ったが、ワグネルは変わらず薄く笑っている。
「…おそらく、犠牲者の数だけ作ったんだろうな」
ラッセルが合成獣の上部を見て吐き捨てた。何体もの獣をでたらめにつなぎ合わせ、それを統合するようにはっきりと人の体が見て取れた。
アルフォンスも息を呑む。
「…認めない」
「…は?」
我慢の限界を超えたエンヴィーが突如立ち上がり、ぞろりと牙を剥く合成獣数体を指さして叫んだ。
「合成獣ってのはもっと滑らかかつ有機的に結合しているもんだ!そんなつなぎ合わせただけのシラもどきのフランケンシュタインの怪物を合成獣とは認めないぞ!」
「怒るところそこなの?!」
「…って出てきちゃダメだろ、おじさん…」
アルフォンスが愕然とし、ハボックががっくりと肩を落とした。
せっかく隠れていたのに、こんなタイミングで出てきてしまっては不意も突けない。
それでもワグネルは充分に面食らった様子で、ラッセルはすかさずポケットから錬成陣を描いた紙を取り出した。
だん、と床に叩きつけるように置いて即座に錬成を発動させた。
錬成反応の光が走り、壇上を細い蔦のようなものが伸びていき合成獣を捉えた。
蔦は合成獣の四肢を絡め取りその動きを制してゆくが、合成獣のむやみやたらな力には敵わずにぶちぶちと引きちぎられる。
「ラッセル君の錬金術、ようやく見せてもらえました。やはり植物の生体錬成でしたか」
「…くそっ」
ラッセルは引きちぎられた蔦を向ける方向を余裕の笑みを見せるワグネルに向かって修正する。
無数の蔦はだがしかしワグネルの寸前で雲散霧消した。
「今の、何」
蔦が消える時にアルフォンスの目には錬成光が確かに見えた。
けれどもワグネルは指ひとつ動かさず、その身に錬成陣を帯びているようにも見えない。
エンヴィーの思い当たった可能性はただひとつ。
「賢者の石を持ってるな?!」
「?!」
「でなきゃ合成獣ひとつまともに錬成できない三流錬金術師が一瞬であの蔦の構築を分解できる訳がない!」
「賢者の石って…」
ハボックは困惑を見せる。
その間にロイはラッセルの元に駆け寄った。
賢者の石の有無はともかく、あの蔦の強度を上げれば合成獣の動きは止められそうだと踏んだ。
「今、空気中の酸素濃度を上げる」
手袋に描かれた錬成陣をちらりと見せた。ラッセルはその意味を正確に解して再び錬成陣に手を伸ばす。
先程よりも蔦は色濃くその太さも増して合成獣の周囲を取り巻いた。網の目のようだった蔦は頑丈な檻と化した。
合成獣は動きを封じられた。
「高濃度酸素による成長促進ですか。これはなかなか」
「あんたも諦めて大人しくしろ」
「諦める?なにをですか」
じりじりと距離を詰めたエンヴィーに不敵に笑って見せて、ワグネルはクラリモンドを引き寄せた。
床から不格好な石人形が立ち上がる。床の敷石から錬成したらしい。
はっと気付くと扉の外にも石人形の姿はあった。アルフォンスはフレッチャーをその背に庇う。
「ワグネルさん」
クラリモンドが涼やかな声でワグネルを呼んだ。
不自然なまでにそこには何の感情もこもっていなかった。
「うん、ここは皆さんに死んで頂きましょうね」
「みんな?ロムアルドも?」
ロムアルドという名を呼ぶ時だけはわずかに別の色が入る。石人形はその間にも数を増やしている。
「ええ、残念ですが。」
「どうしても?」
「ええ。また次に生まれ変わってくるのを待ちましょう」
「この次…」
「そう、きっとこの次に彼が生まれてくる時には、師も復活されていることでしょう。そうすればあなたのロムアルドが完全に帰ってきますよ」
「お父様も…私の、ロムアルドも帰ってくるのね」
その言葉にうっとりと微笑んだ。
そうして花がほころぶような笑顔のまま、ハボックに別れを告げる。
「しばらくのお別れね、ロムアルド。でもきっと、またすぐに会えるわ」
それまで漠然とハボックが彼女に対して抱いていた不安感が見事にここに花開いた。
だがそんな予感が当たっても全く嬉しくなかった。

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(200806)
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