「よい夜ですね」
白々とした空気につい緊張がたわんでいたその時、背後から突然、声をかけられた。
振り向くと、いつの間にかそこに一人の男が立っていた。年の頃は40代後半から50代、黒い顎髭もきれいに整えられたきちんとした身なりの紳士然とした男が、にこやかに笑っている。
へたり込んでいたエドワードも胡乱げな目を向ける。まるっきり初対面の相手に態度の悪いことこの上ない。
だが、男もまた初対面の相手に対するにしては不審だった。
どこまでも穏やかな微笑を顔に貼り付け、上機嫌なのに隙がない。
そっとリンは男との距離を測る。男の背後は、ひどく暗い。ふっつりと街灯が消え、夜目にぼんやりと狭い路地が窺える。
そう言えば、その向こうはしばらく廃屋続きだったと思い当たる。空き家が数軒並び、その内の何軒かはもはや屋根すらないものもあったはずだ。
夜闇を背に、男は数歩、3人に歩み寄る。
エドワードも立ち上がり、男を検分するようにじろじろと見た。
「捜し物をしてここまで来たのですが。いやあ思わぬものを見つけました」
「捜し物?」
「ええ。でもまあ、大したものではないのですよ。それよりは新たに見つけたものの方がよほど価値はある」
男は確かに、惚れ惚れとした目をエドワードに向けていた。
それに気付いて、ロイも心の中で構えをとる。
「うん、見事な金髪だ。染めたのではないですね?」
「このご時世にわざわざ染める奴がいるかよ」
低い声でエドワードが答える。男は気にした様子もなくなおも笑顔でうんうん、と頷いている。
「金髪で男で若く美しい。健康にも問題がないようにお見受けする」
「!」
「…お前が連続誘拐犯か?」
「違いますよ」
エドワードの問いに、男はおどけたように腕を広げて答えた。
「失礼、私はワグネルと申します。多少、錬金術をかじっておりまして」
こくり、とリンは息を呑んだ。辺りに目を走らせて武器になりそうなものを探す。鉄パイプの一本でもあれば、エドワードが剣に錬成してくれるだろう。
(相手の使う錬金術がどんなものかは分からないけどな)
仕立ての良いスーツにコートを羽織る、そのどこに錬成の仕掛けを施しているかは分からない。いや、錬金術師だと明かされただけでも良い方だろう。
得体の知れない雰囲気に呑まれそうになる自分を密かに叱咤する。
「何の、錬成を?」
「ええ、大したものではないのですが。魂の錬成を」
「何!?」
愕然とした様子のエドワードに気をよくしたのかワグネルは続けた。
「あなたは、あなたの中に眠る本当の自分、と言うものを感じたことはありませんか?」
「…最近流行りの宗教のようですね」
ロイが静かに口を挟む。
「ええ、ご存じでしたか。本来の自分を見出すことも解放することもできない、そう言った悩みを抱える方々のお手伝いをすることもありますよ」
「宗教?」
「私もあまり詳しくはありませんが…確か自己啓発と怪我や病気の治癒が売りだったかと」
士官学校をドロップアウトした同級生や下級生がその信仰に走った例がいくつかあった。
公式にそう明言されたことはなかったが、学生達の間ではまことしやかに噂は流れている。
「知らねえな。宗教に興味はない」
「そう難しく構える必要はありません。はりぼての神を信仰して頂く必要はないのです。真実の神は、自分自身なのですから」
その言葉も表情も何もかもが胡散臭い。3人の内心は合わせた訳でもなく一致していた。
「あなたの中には、素晴らしく尊い魂が眠っています。それが真実のあなたです」
「…錬金術師の言葉として聞こう。人の魂を理解し、分解し再構築して更に高次のものへと転成させる、と言うことか」
「その通りです。いわば不純な卑金属の魂を、より純粋な黄金の魂へと錬成するのが私の錬金術なのですよ」
我が意を得たり、と満面の笑みを浮かべる。
「…理論的には、不可能とは言い切れない。魂を物質として捉えられるのであれば、だが」
ロイが独り言のように呟いた。エドワードがその声を拾いちらりと彼を見る。
「悪いが自己啓発としても錬金術としても興味はない」
エドワードは断言した。
「もし仮に、本当の自分とやらがオレの中で眠っているとして、どうしてそれは表に出てこないんだ?表に出ていないものの真贋をどうして知ることができるんだ?でもって、本当の自分とやらが眠っているからと言って、それの何が悪いんだ?」
「……は?」
「オレは今の自分が自分であることに対して責任があるし、まあ多少の矜持もある。過去の自分の選択の全てが正しかったとは言わないが、全てが誤っていたとも思わない。ただそれらの積み重ねが今のオレにつながっている。オレの選択、オレに対しての周りの人々の影響、関わってきた全てに対する結果が今のオレだ。それが本物だろうが偽物だろうがどうでも良い。と言う訳だから今まで表に出てくることもなかった怠惰な「本当の自分」とやらには興味はない」
しかもそれが171年分なんだからそこらの青二才が言うのとは重みも違うよなあ、とリンは心の中で天を仰いだ。
「錬金術的に突っ込みたいところはだ。魂を転成させるとして、その対価は一体何なのかってことだ。等価交換は錬金術の基本だよな」
「ふむ。錬金術に関して多少の知識はおありのようですね」
さも感心したように見せかけているようにしか見えない表情でワグネルは頷いた。
確かこう言うのをどっかではガウタマに説法とか言うんだっけ、とリンの心の目は更に遠くへととんだ。
知っている限りでエドワードは最も優れた錬金術師だ。魂の錬成もその右腕を代償にやってのけたと聞いている。
少なくともこのやたら愛想は良いが目は笑っていない自称錬金術師よりはずっと上だろうと確信している。
「錬金術って言うか…一般常識だろう?」
「ええ、まあ。見解の相違というものは仕方がありませんね」
「残念だがな」
全然残念ではなさそうにエドワードはうそぶいた。
「こちらとしても、先程のあなたの言葉を借りれば「どうでも良い」のですよ。あなたの意思や見解、などというものは」
そう言って、ポケットから細い筒のようなものを取り出し口に当てる。
人の耳には聞こえない音を発する笛の類のようだった。吹いていたのはごく短い間だった。
「たとえば、あなたは森に行って木の実を取ったり研究に必要な薬草を採取する際に、木や草にその意思を問いますか?問わないでしょう。…そう言うことですよ」
「つまり、連続誘拐犯か、お前は!」
ロイの叫びに、ワグネルは鷹揚に頷いた。
「世間一般にはそう呼ばれてしまいますね。俗世界の理解を得られないのは哀しいことです」
「…オイ。本当にトラブル吸引体質なんだナ」
「おお、我ながらすげえや。いきなり大当たりだ」
ぽそぽそと聞こえぬようにエドワードとリンは言葉を交わす。目配せをし頷いて時を待つ。
しかし、ワグネルの向こうに沸いた気配に、ぎくりと二人の背筋が凍った。
「でも、あなた以外の人は材料としては必要ではないので、消えてもらいますね?」
男の背後の闇がのそりと動いた。
ずるり、と長く重い尾を引きずる音がする。鋭いかぎ爪がアスファルトを掴む。
「捜し物を追うのに犬ににおいを追跡させようと思ったのですが、先日これに使ってしまいまして。犬並みの嗅覚はあるのでまあ良いだろうと連れてきたのですよ」
「いやどう見ても犬じゃないだロそれハ」
「…あー前足と頭の一部が残ってるか」
「頭って…どノ?」
ロイの言うとおり、獣の前肢と胸部、顎から鼻先にかけてに犬の片鱗は見えた。
だがそれはあくまでも獣の一部に過ぎず、何匹もの動物がでたらめに組み合わされているようだった。
「…合成獣(キメラ)」
「ええ、まあ失敗作でお恥ずかしいのですが。それなりに使えます。…行け」
男は酷薄な声で獣に命じた。
「問答無用で抹殺カ!」
「でなければ顔さらしたり名乗ったりはしないだろうよ!」
「それもそうダ」
「だが…そううまく事が運ぶと思ったら大間違いだ!」
エドワードはロイの差し出した手を見た。
合成獣に向かい伸ばされたその手には、発火布の手袋がはめられていた。エドワードもよく知っている、ひどく懐かしい火トカゲの紋章も見て取れた。
どうやら彼が受け継いだものは血と名前だけではなかったらしい。
しかし、その指が弾かれ火花を創り出そうとしたその時、思わぬ方向から銃声が響いた。
銃弾は空き家の開いた門扉の陰からロイの頬をかすめた。
「…リザ」
ロイの呆然とした声に呼ばれるように、銃を構えたままで少女が姿を現した。

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