気付けば日はすっかりと暮れていた。
歴史学準備室の鍵を閉め、廊下に出る。校舎内に人の気配は感じられなかった。
「ずいぶん暗くなっちまったな」
「そうだな、悪かった。…あーリン・ヤオ。エルリック先生を送って行けよ」
「は?」
いったん荷物を取りに教室まで行って戻ってきたリンに、当然のようにヒューズは言った。リンも、予想はしていたというように頷く。
俺は方向が違うから送ってはいけないんだ、と続く。
確かにエドワードの家は学校とリンの下宿先との中間にある。だが、エドワードは腑に落ちないものを感じて首を捻る。
通用口に向かう薄暗い廊下を3人は歩く。
「普通は逆じゃないか?教師が生徒を送っていくって言うならまだしも」
「普通ならな」
ヒューズは肩越しに手を伸ばし、エドワードの金髪を指し示す。
「今は普通じゃない。エルリック先生だって知ってるだろう、ここの所の連続誘拐事件」
非常灯の暗い明かりの中でもそれは見事に輝く。
「金髪の若い男性が立て続けに行方不明になってるって言うあれか」
実質若くはないけどな、と声に出さずに呟いてリンはそっぽを向いた。真面目な表情のヒューズに笑いを堪える顔なんぞを見られる訳にはいかない。
「その髪じゃあ狙って下さいと言ってるようなもんだ。どうして染めもせず隠しもしないんだ?」
「忘れてた」
あっさりとエドワードは肩をすくめた。
忘れていたのは本当だった。セントラル・シティにいる間は帽子くらいはかぶるようにソラリスに言われていたのだがついうっかりと忘れていた。
ちなみにエドワードの髪は染料を受け付けないので別の色に染めることはできなかった。染めても賢者の石が勝手に元の色に戻してしまうのだ。
軍人だった頃に作戦遂行上の必要があったのだが髪の色を変えることはできなくて部下と共に右往左往したことがあった。
「のんきだなあ」
呆れ返るヒューズに、笑ってみせるしかなかった。
「ま、万が一何かあったらこいつ置いて一目散に逃げろよ」
「ウワ!ひどッ!それが教職の台詞カ?!」
「確かにひでえなあ」
柔らかく苦笑したものの、歴史教師の目がめっきり本気だったのでエドワードは首を傾げる。
「ずいぶん信用されているな?リン・ヤオ」
「こいつはそこらのごろつき何かよりはよっぽど腕が立つ。だから何かあった時は、こいつの足手まといになる前に逃げるのが得策だ」
真面目なヒューズの評にまじまじとリンを見た。
手放しで褒められたリンは居心地が悪そうに頭を掻いた。
「…ひとつ質問だ」
「なんだ?」
「どうしてヒューズ先生はこいつの腕っぷしを知っているんだ?」
ぎくりとヒューズの肩が動く。リンは明後日の方向を見た。
ぴたりと足を止めて、エドワードはぎくしゃくと歩く2人を見る。
「………リン・ヤオ」
「ハイなんでしょうカ先生」
「何があった?」
「いえ別になにもアリマセンヨ?」
顎の下に軽く手を当てて、エドワードはしばし黙考する。
「いやまああれだ!細かいことは気にするな!」
「そうそウ!エルリック先生はちゃんと無事にお送りいたしますですかラ!」
あからさまに挙動不審な教師と学生に、エドワードはいっそ不審なほどの笑みを見せた。
「…つまりあれか。言えないような所で言えないようなことになってそこで華麗なるバトルを披露したって訳か」
「あ…」
「学生はもちろん教師もいちゃあいけないような所でお互い鉢合わせとか、でもってそこで乱闘になったとか、そんなところだな?」
「…なんでそんな見てきたような断定形で言うのかなこの先生は…」
「はーいその通りでース」
リンはさっさと観念して良い子の返事をする。
「あ!こらリン・ヤオ!」
「だって先生、多分エルリック先生に嘘だの誤魔化しだのは通用しませんヨ?」
事実ほとんどの概略を言い当てられてしまっている。…この分ではその場にアルフォンス・ノヴァーリスも居合わせていたこともうすうす勘付いているに違いない。友よ、すまん、と心の中で気のない謝罪を送る。
しょうがないな、と言う年長者の微苦笑でエドワードは再び歩き始めて二人を追い越す。
「ただのケンカに居合わせただけならヒューズ先生が言いよどむ必要はない。てことは、ヒューズ先生も、そこにいてはいけなかった。それくらい簡単に予想が付く」
誰にも言うつもりはないから安心しろ、とひらひらと手を振る。
その後ろ姿を見て、リンとヒューズは顔を見合わせて。
通用口にたどり着く前に追いついた。

「…とは言ったものノ」
裏門を出てヒューズと別れ、夕闇の濃くなった道を歩き始めてリンは独り言のように言った。
「エドに護衛は必要あるのカ?」
伝説によれば人間兵器の国家錬金術師だったと言うし、それが話半分だとしても元軍人であることは確実だ。
それ相応の訓練も受けているに違いない。リゼンブールでもグリード襲来の際に、彼とエンヴィーとであの人数を軽くのしてしまっていたのも知っている。
隣を歩くエドワードにそう言えば、気にするな、と言う。
「どうせ方向は一緒だ」
「それもそうダ」
「それにな。…これは何の自慢にもならねえんだけど。オレ、前科があるもんだから」
「何ノ」
「誘拐被害歴。未遂が4〜5件ほど」
「………俺より多いゾ」
「あ、そうなんだ。よっしゃ、勝った!」
「自慢にならないと言ったのはお前ダ。…にしても剛毅な誘拐犯もいたものだナ」
こんなんを誘拐するとは、としみじみとエドワードを見た。
人通りの少ない道は街灯も少ない。ほの暗い中に輝く金の髪に端正な容姿、ほっそりとした体躯で確かに何も知らなければ格好の餌食に見えなくもない、とは思う。
だがそう言った印象もその瞳の強さで帳消しになる。眼鏡の薄いガラス越しとはいえ、その眼光は誤魔化せない。
「大体が自力で脱出したり…軍人になってからは一人トロイ作戦とかやってたからさあ」
「それは誘拐じゃないのでハ…」
「作戦知らせてなかった部下が死にものぐるいで特攻かけてきた。いやああん時はびっくりしたなあ」
そんな思い出話を聞かされても。かつての彼の部下達に心の底から同情しながらも、リンは途方に暮れる。
「で、かつての部下はじめ周りの連中に言わせると、オレはトラブルを呼び寄せる体質なんだと。」
非常によく分かる気がして、リンは深々と頷いた。それに気付いてエドワードは半眼で睨め付ける。
「だからな、何かが起こる確率は普通の人間よりも高いと見て差し支えない。で、その時に誰かがいると非常に助かる」
それが自分で自分を守れる奴なら言うことなし、と笑った。
「何か、と言うとたとえバ」
「うん、後ろを付いてきている奴は多分何かの内には入らねえと思う」
「そうだナ」
「…つーか尾行が下手だな。お前に心当たりはあるか?」
「シンの間者ならもっとうまく気配を消せル」
「そうだよなあ…とすると、オレが目的か?」
後半は背後の何者かに対しての言葉だった。くるりと振り向き建物の陰に向かって言った。
「一体何の用なんだ?」
「………。」
陰に潜む気配が動揺した。
「気付かれてるとは思っていなかったのカ」
呆れたようにリンは言う。
男は暗がりから街灯の明かりの届くところまで出てきて、エドワードを見て、大仰に溜息を吐いた。
「…アタリなんだかハズレなんだかな…」
「開口一番それかよ。オレは何の用なんだと聞いたんだがな?」
男の顔を見て、何故かエドワードの不機嫌度が増したようだった。それに気付いておや、と内心リンは目を瞠る。
「これで女性だったならばハズレでもアタリだったのだが…」
「だーかーら!何をぶつくさ言ってやがる!こっちの質問に答えろ!」
「うん、男性だな、間違いなく」
いらいらと地面をつま先で叩くエドワードをよそに男はマイペースに確認する。
「オレが女に見えるなら一度眼科に行って眼球取り替えてこい」
「眼科でもそれは無理だロ」
エドワードの悪態にリンのつっこみが入るが男は一向に気にしない。
「時に、君によく似た姉か妹はいるかい?」
「…いないが」
「そうか。それは非常に残念だ。」
男はまた大袈裟に溜息を吐いた。いちいち仕草が芝居がかっている。
かっちりとした制服とあいまって、薄明るい街灯の下に立つ舞台俳優か何かのようにも見える。
「その制服は士官学校だナ?」
「ああ、そうだ」
ようやく普通に会話が成立したのでリンはほっとした。このまま一人舞台が続いたらどうしようかと心配していたのだ。
「士官学生が何故民間人の後をつけている?」
「今時珍しく金髪の男が歩いているのでね。気になってしまって」
「ほーお」
「気になってみてみたのは良いが、遠目に見れば男か女か判然としない。男ならば誘拐犯も目をつけて行動を起こすかもしれない、そうしたら一連の事件解決の糸口がつかめるかもしれないだろう」
「女だったラ?」
「女性が夜道を歩くのは危険だからね、送って差し上げなければならないだろう」
エドワードが「けっ!」と思いきり吐き捨てた。…理解できなくもないが、それは少々正直すぎる反応ではないだろうか。
改めて、士官学生はエドワードの全身をくまなく見た。
「女性だったら大当たりだったものを」
つくづく残念だ、と首を振った。
その襟首をエドワードは左手で掴んだ。と言うことはその握り締めた右腕で殴りに行くのか、鋼の機械鎧で殴るのはさすがにまずいんじゃないかとリンが止めようとしたが。
エドワードは引き寄せた顔を無表情に睨んだ。
「ひとつ聞きたい」
「何なりと」
「お前の名前を付けたのは誰だ?」
リンにとっても男にとっても脈絡のない質問だった。
男は細身のエドワードの腕力を軽く見ているのかまるで危機感を感じさせずに小首を傾げた。
「質問の意図が分からないのだが…?」
名前を尋ねるならまだしも、何故名付け親が引き合いに出されるのか。
「良いから答えろ」
「…祖父だ。偉大なる先祖にちなんで、ロイ・マスタングと」
殴るかと思ったがしかしエドワードはぱっと掴んでいた手を離した。そしてその場にへたり込む。
「やっぱりか…っやっぱりそうなのか、どうなってやがるんだこの星巡りは」
「おい、大丈夫カ?」
何かの呪詛を呟いているエドワードの肩に手をかけようとしたその時。
だん、とエドワードは右腕で地面を叩いた。アスファルトの舗装にひびが入ったのを、リンもロイも確かに見た。
「呪われろ、ロイ・マスタング」
行き場のない怒りを載せた呟きも、確かに聞いてしまった。
「何故私が呪われなければならないんだ?」
ロイの疑問は当然だったが、たじろぎながらだったので少々見た目は情けなかった。
リンは空を仰ぐ。
「…多分、あんたが呪いの対象じゃないと思うヨ」
推測を口にしてみたものの、何の慰めにもならなかったようだった。

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