「それにしても色々な本がありますネ」
整理に一区切り付いた本棚を改めて見渡して、しみじみとリンは呟いた。
錬金術準備室のものよりは幾分ましなコーヒーを口にしながらエドワードも頷いた。
シン国の正史はもちろん、地理書もあり思想に関する書物もあり、そうかと思えば戯曲や講話、大衆小説からどうやって求めたものか古い(こちらで言うところの)ゴシップ雑誌まで、そのジャンルは多岐にわたっていた。時代も古いものからごく最近のものまで様々だ。
「ここは歴史学準備室だと思ってたんだがなあ」
どうやらお目当てだったらしい本をぱらりとめくってエドワードも言う。
「何言ってるんだ、いろんな本があって当たり前だろうが。ここは歴史学準備室なんだから」
歴史学講師、マース・ヒューズは胸を張って言った。
「歴史ってのは総合学問なんだ。ありとあらゆる知識が必要になる」
「そうなのか?」
錬金術師は首を捻る。
留学生の方を見れば、こちらも腑に落ちないといった顔をしている。歴史の国から来た人間だってのにしょうがねえなあ、とヒューズは大仰に溜息を吐いた。
「じゃあひとつ例を出そう。…エルリック先生もいることだし、ここは歴史上の人物、エドワード・エルリックに興味を持った、と仮定する。」
ぽん、と座っているエドワードの頭に手を置いた。
何が始まることやら、とエドワードは大人しく金色の目で歴史学講師を見上げる。
「ところが歴史上の人物、エドワード・エルリックは大方の歴史書では実在の人物ではないと言うことになっている。いたるところでその活躍は語られているのに、史実として残っていることはほとんどない。実在したという確たる証拠がないわけだ」
「それはどうしてですカ?」
「信頼できる史料にその名が残っていない。その当時の正式文書と言えば、軍政下だから軍事機密文書にでも残っていて良さそうなものだがきれいさっぱり残っていない。」
つくづくオレの部下ども優秀だったよなあ、と当の本人は心の中でだけ呟いた。
「そこで諦めずに、集められるだけの情報を集めていくと、次のことが分かる。エドワード・エルリック。鋼の錬金術師、軍政下における国家資格を持つ、天才的な錬金術師。金髪、金目で腕、もしくは脚が機械鎧という説もあり。両方というのもあったな。それが銘「鋼」の由来だとも。理由は定かではないが、アメストリス国内を巡って旅をしていた。行く先々で人々を助けている。」
リンは改めてエドワードを見た。
ヒューズはそんな生徒の様子に気付いて笑う。
「まあざっと150年ほど前の話だ。逸話はほとんどが荒唐無稽で本当なんだか作り話なんだか分からないものばかりだ。だが、そこにある種の「核」となるパターンが見出せるんだ」
「核?」
「そう、俺は今150年ほど前、と言った。何故そう言えるのか、とは思わなかったか?」
素直にエドワードは首を傾げた。
「さてリン・ヤオ。150年ほど前、この国で何があったかは授業でもやったな?」
「ええト、軍事独裁政権の崩壊と議会共和制の開始、ですカ?」
答えながら内心では「うわー課外授業が始まっちゃったヨどうしよウ」である。しかも教師二人に生徒が一人の特別体制だ。シン国にいた時でさえマンツーマンだったのに。
教師は満足げに頷く。
「その通りだ。では何故その頃に軍事独裁政権が布かれていたのか。何故それが崩壊し議会共和制へと移行したのか。…シン国は今も昔も皇帝による独裁制だな」
せっかく片付いた机の上にヒューズは地図を広げた。アメストリスと周辺諸国が描かれた大きなものだ。
「アメストリスは見ての通り内陸国だ。国境線をめぐっての争いが絶えなかった。人間が境界線を引く以外に彼我を隔てる手段がなかったのさ」
「…ブリッグズ山でも壁にもならなかったからなあ」
ヒューズの皮肉にエドワードも同様に返す。にやにやと笑い合う様子に、リンはふむ、と改めて地図を覗き込む。
「つまリ、軍事国家になるだけの地理的条件があったト」
「まあそうだ。国境を守る、あるいは拡張するために軍が強い権力を握る。軍事力を伸ばすために国内の生産力を向上させる。新たな技術革新を生み出す。その頂点が、150年よりもうちょっと前だ」
「…?150年前、ではなク?」
「崩壊直前、大総統キング・ブラッドレイによる独裁政権。そして彼による国家錬金術師の「兵器としての」戦争への投入だ」
ヒューズの指がセントラルシティをとんと叩き、そのまますっと東の端へと滑る。
イシュバールの内乱を指しているのだとすぐに知れた。エドワードの表情がかき消える。
「当時の国家錬金術師は今の万国びっくり人間大集合とは違って「人間兵器」、「軍の狗」と呼ばれていた。…その強大な力を畏れられたことはいくつもの証言が残っている」
「…今も、アメストリスでは錬金術を軍事目的に利用していると聞いていまス」
「否定はしない」
硬い表情のリンに、やはり無表情なエドワードが答えた。
「けれども今は錬金術師の絶対数がどんどん減ってきているから、そっちに回る人間も少ないって話だな」
「そうなんですカ」
「錬金術の知識が広く浅く薄く広まっていって、専門知識を持って高度な技術を持つまでにいたる人間が減っている、…らしい。オレにはよく分からない」
「ああ、少なくとも伝説の国家錬金術師クラスの錬金術師はほとんどいない。でも、この時代には人間兵器として実戦投入できるくらいの質と数の錬金術師がいた。…で、その頃に鋼の錬金術師も存在していたとほぼ特定されている。」
実在しているとしたら、と言う前提条件の下での話ではあるが。
「面白いことに、国内での鋼の錬金術師伝説は非常に古い起源を汲む昔話から比較的新しい逸話まで色々混ざってしまっていてそのオリジナルの時代を特定するのは難しい。だがな、国外ではそうじゃあないんだな、これが」
「………は?」
「国外にも鋼の錬金術師の話はいくつか残っている。眉唾物の話も多いが、国内と違って「史実」として記録に残っている」
たとえばだ、と別の棚からドラクマの本を取り出しぱらぱらとめくる。
「ブリッグズ山国境策定の際のアメストリス側の責任者の名前で「エドワード・エルリック」が残っている」
「うわ」
思わず呟いてしまった。さすがに国外の記録まではもみ消せなかったようだ。畜生あの無能め、とかつての上司を心の中で罵倒する。
「伝説とも符合するな。鋼の錬金術師は、戦争を終わらせふっつりと姿を消したことになっている。もしくは、戦争を終わらせるためにそこら中を旅して回っていた、とかな」
思わずリンはまじまじとエドワードを見た。つまらなそうにエドワードはリンを睨む。
「伝説の錬金術師の話だろ」
「そうだ、伝説だ。そう言った伝説が語られるためには、それが望まれる時代背景である必要があったと考えられる」
エドワードは首を傾げる。
「逆じゃなくてか?」
「ああ、民衆が伝説の錬金術師を必要とした。軍事政権下で常に国境線は緊張し、紛争とテロが日常化し、国民は疲弊し閉塞する。そしてそこに現実を打破する英雄の存在を求めて、結果伝説の英雄が立ち上がる」
そうしてみんなを救ってくれるんだ、と笑った。
呆れた様子でエドワードは鼻を鳴らした。
「そううまくいくものかね」
「いなきゃ想像で作り上げればいい。…で、できあがったのがエドワード・エルリック伝説じゃないかと俺は思っているし、教科書でもそれは通説になっているな」
「そっかーオレは作られた存在なのかー」
「いやエルリック先生じゃなくて歴史上の人物の話だよ。実際のところ、その頃の錬金術師や軍人や外交官なんかの逸話を寄せ集めてエドワード・エルリックと言う名に仮託した、って所じゃないかと推測しているんだけどなあ」
「…………そうかい」
寄せ集めか、オレ。ひっそりとエドワードはたそがれる。
「で、だ。ここまでのことを知るために今俺はここに地図を広げ年表を広げ、ドラクマの公文書集を広げた。」
ヒューズは指を折って数える。
「自然地理に関する知識はもちろん、地政学だろ。それから時代背景を知るために経済学や法学の基礎知識が必須だ。現在とは文化的背景の違いもあるから文化史も知っておく必要がある。その中には自国だけではなくて他国の言語や文化も当然含まれる。統計資料を読むための統計学の知識だとか、場合によっちゃあ化学だの物理学の知識もだな。最近は考古学資料の発見だのそれの分析方法だのもどんどん発達してきているからなあ」
畳みかけてこられて学生はふと気が遠くなる。教師は意地悪く笑った。
「つまり、歴史が総合学問だというのはそう言う意味だ」
「…非常によく分かりました、ヒューズ先生」
はあ、と重い溜息を吐いた。
そんなものはどこ吹く風と、ヒューズは明るく言った。
「まあやらなきゃいけないとか思うと気も重くなるが、こつこつ調べていって不意に今まで思いも寄らなかった点と点を繋ぐ線がすっと見えてくる、あの瞬間はもう何というかたまらんものがあるぞ」
「そう言うことがあるのか?歴史でも」
「もちろん。すでに分かっている歴史的事実を年号順に並べるのが歴史じゃあないんだからな」
「それは科学だな」
「その通り、科学だ」
顔を見合わせて錬金術師と歴史学者は笑い合った。
何となく取り残されたような気分で、生徒は頭を掻いた。
「それじゃ同じ科学者のよしみで、錬金術師からの質問だ。歴史学者のあんたがもしも永遠の命を得て、歴史の最果てまで見守ることができたとしたらどうする?」
表面上は笑いの形を作りながら、実は無表情にエドワードはヒューズに訊いた。
リンは思わず息を呑む。
エンヴィーが「悪魔のように見える」といった時も、エドワードはこんな表情ではなかっただろうか。ふとそんなことも頭を掠める。
歴史講師はしばし顎に手を当て考えた。
「永遠の命?…別に欲しかないな」
「そうか?歴史の帰趨を見届けられるってのは魅力的じゃないか?歴史学者にとっては」
煽るような言葉にも、首を振る。
「世界の歴史に興味を持つ奴ならともかく、俺の興味の対象はあくまでも人間の歴史だからな。人間の埒外の歴史は俺の手に余る。…永遠の命なんか手に入れちまったら、俺は人間の歴史を理解できなくなるだろうよ」
「そんなもんか?」
「そんなもんだ。ほれ、ジンジンツィも言ってるだろ、『不死と人とは相容れぬ』ってさ」
「………は?」
「あれ、知らないかジンジンツィ。シン国語が堪能ならてっきり知ってると思ったが」
「発音が少し違いまス」
エドワードはなんだかいやな予感がした。
「そうか?いや俺は読むのはできても発音とか会話はさっぱりでな」
「でもヤオ宰相ものくらいは読んでいても不思議はないかト」
「…………ヤオ宰相もの?」
ますますいやな予感は深まっていく。
「シン国で人気のある読み物だ。ああ、そういやあお前さんはヤオ宰相と同名だよな」
「音は同じですが字が違いまス」
「ああそうなのか」
「…シン国の宰相?リン・ヤオ?の、読み物があるのか?」
「ああ、シン国でも指折りの小説のひとつだ。読んだことないのか?貸すか?」
「あー…うん、借りる。」
「でも何というか、奇遇だな。こうも有名人と同性同名の奴がいるってのは」
「だから俺は字が違いまス」
「こちらの人間にして見りゃ違いはねえよ。」
歴史学者にしては乱暴な意見を吐いた。
そうして、どこか満足げに目を細めた。
「…その割にあんたらは真っ直ぐだな。ほっとする」
怪訝げなエドワードに、言い訳するように説明をする。
「俺の知り合いに、やっぱり昔の偉い人の名にあやかって名付けられたのがいるんだが、…あー…何というか、その名前も含めて周囲のプレッシャーがひどくてな、すっかりひねくれた奴がいるんだよ」
「…ほー…」
「表面上は全く優秀で非の打ち所もありませんってツラしてるから更に質が悪い。…お前ら二人はそう言うことはなさそうな感じなんでな、安心したって言うか感心したというか」
気を悪くしたら悪い、と言うヒューズに気にしてはいないと告げる。
肩の力を抜いたヒューズは遠くを見た。
「あいつもなあ、何かもっと別な楽しみを見つけられれば良いんだが。今んところ敷かれたレールを目をつぶっていくくらいしか娯楽がないみたいで」
「悪趣味ですネ」
「いつか爆発するぞと思ってみているんだがな」
「…楽しみにしテ?」
「そう見えるか?」
「どっちが悪趣味なんだか」
そう言うエドワードの顔もにやにや笑っている。
「…で、ヒューズ先生は人間の歴史を研究するのが目標な訳か」
「究極的にはそうだけどな」
科学者っては結局みなそうなんじゃないか、と言う。
視点は違えど、突き詰めていけばそこへ行き着くのだろうと言うことは錬金術師にも理解できた。
「でも俺にはそこまで行くのはちょっと道のりが険しすぎるんで、まず何より自分が興味関心を抱いていることに専心しようと考えて」
「ほう」
エドワードが先を促すように頷いてしまった。
まずい、と言うようにリンは後ずさる。だが逃げ場はない。
「今の俺の研究テーマはズバリ!チュ・インの実在を証明することだ!」
「は?!」
「あー…チュ・イン、あるいはチュ・ロンで分かるカ?」
リンの発音で理解したエドワードはまじまじとリンの顔を見た。苦々しい表情で頷くリンを見て、それから困惑の表情でヒューズを見る。
「…実在を、証明?無理だろ?」
「いーや!100%不可能とは言い切れないならいくらかは可能性があると言うことだ!いつか俺はシン国で実在のチュ・インを捕獲して「わーパパすごーい」とエリシアちゃんに言ってもらうのさ!」
「いやいやいや無理だろ!だってあれどう考えても昼と夜の象徴ってーか時間の象徴ってーか」
「あれだけ精巧な青銅のチュ・イン像が残っているんだぞ?古代人が実在のチュ・インを見て作り上げたとしか思えないだろ?」
「残ってるけれども!だったらトンハイチンロンワンとかの方がメジャーだし見つけたらわーパパすごーいだろうが!」
「何言ってるんだお前。あんなのはフィクションだろう?」
歴史学者の言いようにがっくりと顎を落とした。
「…そうか。じゃあ頑張って東洋のドラゴンをゲットしてくれ」
もはやエドワードはそうとしか言えなかった。

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