玄関先でエンヴィーが鍵を探している間に、子供はアルフォンスの背で目を覚ました。
「…あ」
「気が付いたカ?」
「ここは…、っ」
「ああ、動いちゃだめだよ。怪我してるんだから」
身じろぐと同時に痛みに身を強張らせた少年を、なるべく動かさないように背負いなおしながらアルフォンスは声をかけた。
落ち着かせようと、自然に声は柔らかいものになる。
子供の必死の目を見て、エンヴィーは一瞬考えた。それから明るく笑った。
「行き止まりで怪我して倒れてたから拾ってきたんだよ」
「え…?」
それからあいつは子供にどうしてやってたっけ、と思いだして、笑顔のまま少年の髪をくしゃくしゃと撫でた。
少年は目を瞠りエンヴィーを見ている。
リンも、同じようにあっけにとられて転校生を見ていた。
「怪我してる子供見捨てて帰ったりして、次の日『変死体発見』なんて新聞記事でてたら後味悪いじゃんか。だから拾ったんだよ」
「あの、でも…」
「そうね、確かにご近所に迷惑ね」
背後からの声にいっせいに振り向いた。
アルフォンスもリンも、そしてエンヴィーさえもその気配を察知していなかった。
声の主は腰に手を当てて胸を張る。
「…スゥ…」
「がたがた言わずにさっさと家に入りなさい。怪我人がいるなら尚更じゃないの」
呆然とするエンヴィーを押しのけて自分のハンドバッグから鍵を取り出して開けた。
スザンナは扉を開いて振り返り、少年達を招き入れる。
「話は中でもできるわ。入りなさい」
リンとアルフォンスは顔を見合わせた。エンヴィーは肩をすくめて指示に従い、2人もその後について家に入った。
「ヴィー!怪我人よ、手当てをお願い」
姉の声を聞いて、慌てて救急箱を手にヴィオレッタがぱたぱたと出てきた。
「エンヴィーったら転校初日からケンカしてきたの?」
「人を何だと思ってるんだ?ヴィー」
「違うわ。こっちの子よ」
スゥがアルフォンスの背に背負われた少年を指さした。
ヴィーは赤黒い血の滲む腕を見て口に手を当てる。きっと表情を改めるとアルフォンスを居間に通し、ソファに彼を下ろすよう指示を出す。
エンヴィーにも湯とタオルを持ってくるように言い、てきぱきと少年の上着の袖を引き裂いた。
「壊しちゃってごめんなさいね。後で直すわ」
「いえ。…あの、ごめんなさい」
「何が?…傷はそんなに深くないわね。でもばい菌が入ると良くないわ。他に痛むところは?」
すみれ色の目が少年の顔を覗き込む。安心させるように優しく微笑んだ。
少年は泣きそうな顔で首を振った。白い手が少年の額に触れた。
「今夜はゆっくりと休むと良いわ。ずいぶんと出血をしたせいで疲れているのよ」
「だめです、ごめんなさい、…ご迷惑はかけられません」
エンヴィーがタオルを絞ってヴィーに手渡す。傷口をそっと拭うと、子供は小さく悲鳴を上げた。
しみるわよ、と一言言うと思い切りよく傷口を消毒する。思わずアルフォンスは目を逸らした。
清潔な包帯が巻かれ一通りの手当てがすむと、スザンナが温かい湯気の上るマグカップを少年に手渡した。
「まずは飲みなさい、家出少年」
「…家出?」
エンヴィーが首を傾げた。じろり、とスザンナは彼を睨む。
「それとも誘拐の被害者なの?エンヴィー」
「ある意味」
「そうだったの?!」
「…アル、どうしてそこで本気で驚ク?」
「だってボクら誘拐犯だよ、どうしようか、リン」
「どうもしないだろ。どっちかって言うと落ちてるものを拾ってきた感じ?」
「それじゃヴィーと一緒じゃないの。捨て猫や捨て犬を見る度拾ってきて」
「姉さん、それはもうずいぶん昔の話よ」
「…と言うかこの子、犬猫と一緒?」
「まあそう変わらないでしょ」
そこで初めてスゥの視線が和らいだ。ホットミルクをおそるおそるすする子供の髪を優しく撫でる。
子供はまた小さくごめんなさい、と呟いた。
聞こえない振りでスザンナは子供の髪を撫で続ける。
(厳しそうな人だけど、優しいのかな)
アルフォンスは心の裡でそう判断を下した。
エンヴィーの家族(なのだろう、多分)の女性二人は顔立ちがとても良く似通っていたが、全体的な雰囲気は正反対だった。
スゥと呼ばれた年上の女性は、強い意志ときっぱりとした態度だったが子供を撫でる手はどこまでも優しい。
ヴィーと呼ばれた少女はアルフォンス達とそう歳は変わらないようで、優しく柔らかな気性のようで、でも応急処置を施す姿は毅然としていた。
その内に、子供のまぶたがすとんと落ちる。スゥは微笑し、空になったマグカップをそっと取り上げて、代わりにブランケットでくるんでやる。
「良く効いたみたいね」
「何を仕込んだ?」
「人聞きの悪いことを言わないで。ミルクを温める時にカモミールを一匙足しておいただけよ。」
それからいたずらっぽく笑って付け足す。
「それにブランデーを一垂らし」
「…怪我をしている子にアルコールは良くないんじゃないかしら」
ヴィーが軽い非難を込めた目で姉を見た。そんなものはものともせずに、姉は婉然と微笑む。
「今のこの子には休息が何よりの薬よ。違う?」
諦めて溜息を吐く妹から、少年達に視線を移す。
「そんな訳で、この子の事情聴取は明日にしてね」
「えっと…」
「転がってた胡散臭い男達はお巡りさんに引き渡したわ。拳銃なんか持ってて物騒で怖いわ、って言ったらこの辺の巡回強化してくれるって言ってくれたから今夜くらいは安全よ」
「お前一体いつから見てたんだ?!」
エンヴィーが声を荒げる。わずかに子供が身じろいだので、慌ててアルフォンスがその口をふさぎ、ヴィーが「しっ!」と口に手を当てた。
「たまに早く帰ってみれば、何か大がかりな錬成痕はあるし、男がズボンずり下げて倒れてるし。玄関先にエンヴィーは友達連れてきてるし」
ぽん、ぽん、と静かに子守歌のようなリズムでブランケットの肩口を叩きながらスゥは言う。
「詳しいことは何も分からないけど。…でも、私は勇敢な子は好きよ」
「何かから逃げてるだけのガキじゃないか」
「そうね。でも、時に逃げることの方が立ち向かうよりもずっと勇気が必要なこともあるのよ?」
エンヴィーは口を噤んだ。
「…ひとつ聞いても良い?…どうして、最初にあの男達のこと、この子に言わなかったの?」
アルフォンスは声を潜めて聞いた。「言えばボクらは敵じゃないって、安心させられたかもしれないのに」
だが、エンヴィーは酷薄な笑みを浮かべて言った。
「この手の目をした奴にそれは逆効果なんだよ、アルフォンス・ノヴァーリス」
「逆効果?」
「そ。自分の安全と他人の迷惑を引き換えにするくらいなら、一人で危険を抱え込んでた方が良いって思いこむ奴だ。自分より他人が大事って言う厄介な奴」
「厄介…なの?」
ぽん、とリンがエンヴィーの肩を叩いた。彼はどうやら理解できたらしい。
なおも首を捻るアルフォンスをよそに、二人は頷き会う。
「自覚がないので困るんダ」
「大概そうだな。非常に厄介。」
「…良く分からないけど、言えばこの子は無理をしてでもここからよそへ行こうとする、と言うこと?ボクらに迷惑をかけないように?」
「まあそんなとこ。でもって結果、より大きな迷惑がかかることになる」
そこの所、分かっておけよ、と笑う。
スザンナが時計を見て、アルフォンスとリンを促す。
「あなた達も、今日の所は帰りなさい。さっきも言ったけど、お巡りさんが巡回してるから適当に捕まえて送ってもらうと良いわ」
アルフォンスとリンは素直に彼女に従った。「明日もいらっしゃいね」とのヴィーの声に見送られて下宿へと急いだ。

「お、丁度良いところにいた」
明くる日の放課後、裏庭の清掃当番を終えてリンとエンヴィーが教室に向かう途中、そんな声と共に襟首を捕まれた。
「せ…先生?!何ですカ一体!」
「いやあ世界史準備室の本棚の整理が終わらなくてな、人手が欲しかったんだ。お前さん、確かクラブ活動も何もなかったよな?」
「確かにクラブはやってませんガッ!!」
「本当助かるわー今日中に終わらせないとひとまず本は全て焼却処分ですって言い渡されちまってさあ」
ひとまずと焼却処分は両立しないよなあ、と明るく笑いながら有無を言わさずリンを引きずっていこうとする世界史講師と、無駄な抵抗を試みようとする友人とを見てエンヴィーは的確な判断を下す。
「じゃ!アルフォンスにリンは遅くなるって伝えておくから!」
ちゃっ、と手を挙げて素早く身を翻し、逃げた。
「あーっ!裏切り者ーッ!」
「んーと、確かあれは転入生のヴィーラント・エンデか?」
あっと言う間に角を曲がり姿が見えなくなったエンヴィーをリンはなすすべなく見送った。
「先生!人手は多い方が良いですよネ!?言って呼んできまス!」
すかさずそう言って逃れようとしたリンの腕をしっかりと掴み、あっさりと引導を渡す。
「頼みたいのはシン国語の本棚なんだわ。だからシン国語の分かるお前さんにしか頼めなくってな」
引きずるように準備室までたどり着き、扉を開けてリンを招き入れた。
「茶ぐらいは出すし、それにお前一人でもないから安心しろ」
「はァ…」
諦めてリンは部屋に足を踏み入れた。
ひどく雑然とした部屋には、先客がいた。積み上げられた本の中に埋もれるように座り込み、書籍をひとつひとつ開いては別の山に積み直している。
その金髪には、見覚えがあった。
「エ……………ルリック先生」
振り返ってエドがちらりとリンを見た。わずかに細められた目は「良くできました」と言っているようだった。
「何デ?」
「シン国語ができるってうっかり口を滑らせた」
「で、ご協力願ってるって訳だ」
「つかまったが最後だって…ちゃんと忠告は受けてたんだがな…」
錬金術講師は遠い目になった。
「まあまあまあ先生、ちゃんと報酬は出しますって」
「うっかりさー、ここの目録に釣られちゃったんだよなー…」
「何か珍しい本でモ?」
「目録上は存在してる」
「ってことはこの部屋内にあると思うぞ。…持ち帰ったりしてなければ。」
世界史講師が涼しい顔で言った。ぎろりとエドワードが睨む。
「所で、報酬っテ?」
「お茶となごみだ。そーらかわいい俺の娘の写真だー存分になごめー」
「それは後にしろ!まずは片付けろ!!大体な、あんたここの本棚分類どうなってるんだ?!東方式四書分類なのかアメストリス式十進分類なのかはっきりしろ!」
ばん、と積み上げた本を叩いてわめく。
「その辺は臨機応変に頼むわ」
「そうやってこの混沌はできあがった訳だな、よーく分かった」
アルフォンスくんへ、ぼくは帰るのがおそくなりそうです。リンは心を遠い友へと馳せた。

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