熱を出したリィを寝かしつけて部屋を出たトリシャを、扉の外でアルフォンスは待っていた。
どうやら妹の容態は落ち着いているらしいことにほっとする。
「…母さんに聞きたいことがあるんだけど」
静かに扉を閉めて、トリシャはアルフォンスをダイニングへと促した。
アルフォンスもリンも、黙ってその後に従う。
「聞きたいことは、エド君の事かしら」
トリシャはたっぷりとしたポットにお茶を用意しながら、テーブルに着く息子たちに聞いた。
「母さんは、知ってたの?」
何を、とは言わなかった。どこか思い詰めたような表情の息子に、トリシャは静かに言った。
「エド君はあなた達に説明すると言ったのでしょう?なら私からはまだ何も言えないわ」
それは答えではなかった。
「母さん」
「…ここの人達にとって、エド君はただの錬金術師で、英雄でもおとぎ話の主人公でも何でもないの。」
ゆっくりと話し始める。それは小さな頃に聞いた子守歌のリズムにも似ていた。
眠る前にむずかる子供に、昔話を話して聞かせるようにトリシャは続ける。
「国中を旅して回る無敵の錬金術師ではなく、この国のために力を尽くした国家錬金術師でもなく。
困った時にほんのちょっとの力を貸してくれる、村の錬金術師なの」
それでアルは母が全て知っていたことを覚った。
「じゃあどうして村に錬金術師がいることを隠してるんダ…?」
ぽつりとリンが言う。
「普通の錬金術師がいてもおかしくはないんじゃないカ?」
「普通の錬金術師ならね…」
あいにくエドワード・エルリックでは全く普通の錬金術師ではない。
他国の人間であるリンにはその感覚は余りよく分からない。トリシャも苦笑する。
「どうして秘密なのかは、エド君に聞けば納得できるんじゃないかしら。」
「…分かった。聞いてみるよ」
母親は、留保を認めた息子を見てゆったりと微笑んだ。

次の日、二人はエドワードの家へと向かった。
緩やかな坂道に続く道を折れようとすると、見慣れぬ人に声をかけられた。
「すみません、ロックベル診療所へはこちらでよろしいんでしょうか」
どこか人のよさそうなおっとりとした眼鏡の女性が坂道を指さして訊いた。
「ええ、そうですよ」
「ああ良かった。地図も書いてもらったんですが距離感がつかめなくって不安になっちゃって」
「どちらからいらしたんですか?」
「イーストシティです。お二人はこちらの人ですか?」
「いえ、中央から来ましタ」
リンのイントネーションに女性は小首を傾げる。笑って自分は留学生で、アルは同級生だと告げれば納得したと頷く。
「休暇で来たんです。…ええと」
「シェスカです。学生さんですかぁ、良いですね。私はあいにく仕事です」
「お仕事ですか?」
手にした鞄から身分証を取り出して二人に見せる。錬金術師局イーストシティ支部勤務、とある。
「そうだ、お二人は『フェア・ネッド』って何だかご存じですか?」
「は?」
「何ですカ、それは」
「うーん、それがよく分からないんですよ」
身分証をしまい、代わりに取り出した手帳を開いて確認しながらシェスカは話した。
「こちらに優秀な錬金術師がいるという情報があって確認のために私が派遣されてきたんですけど、誰もそんなのは知らないって言うんですよ」
アルフォンスとリンは顔を見合わせた。
「あ、何か聞いた事ってあります?」
「いえボクらも10日ほど前に来たばっかりなんで…」
リィや母がリゼンブールの外にいたアルフォンスに、決して錬金術師がいるとは言わなかったことを思い出して口を濁す。
どうやら彼女達だけではなく、ここの人々全員にそれは徹底されているらしい。
シェスカはそんなアルフォンスの様子を不審に思うこともなかったようで、話を続ける。
「そうですか…でですね、それらしい話も聞いたことないですかって聞いて回っていたらもしかしたら『フェア・ネッド』の事じゃないかって言われて」
「フェア・ネッド…?」
「フェア・ネッドのことならロックベルさんが詳しいから行って聞いてごらんって言われて来たんですけど」
坂を登り切った辺りに、老ウィンリィ・ロックベルがキセルをくゆらせて待っていた。
3人の姿を認めると、軽く手を挙げた。
「シェスカさんだね?駅長さんから話は聞いてるよ」
そう言ってアルフォンスたちの方に向き直る。
「リィの具合はどうだい?ひどいようなら往診に行くよ」
「いえ、もう大分熱も下がってます」
「ふむ。じゃあ後で薬を取りにおいで。今はとりあえずこの人をフェア・ネッドの所に案内しなきゃならないから」
そこまで言ってから軽く思案する。
「そうだ、あんたたちも来ると良い。」
「え?」
「知っておくと便利だよ。さ、ついといで」
皆の同意を求めるより先にそれを決定事項にしてしまって、老ロックベルはすたすたと先に立った。
3人はしばし顔を見合わせたものの、大人しく彼女の後に付いていった。

「さ、着いたよ」
そこで足を止め、老ロックベルはくるりと振り向いた。
言葉もなくぽかんと口を開け目も瞠る3人を見回した。
「の…野ざらし図書館?」
シェスカがようやくそれだけを呟く。端的だがそれは正確だった。
柱と土台を残しただけの建物の、かつては壁だったとおぼしき崩れた石に寄り添うようにいくつかの本棚が並んでいる。
年月を経て風雨にさらされた本棚にはぎっしりと本が並んでいる。
そこがエドワードの家の居間だったと知っているだけに、アルフォンスとリンの驚愕はシェスカ以上だった。
シェスカはシェスカで、無造作に詰め込まれた書架に時折稀覯本が混ざっているのを見抜いて愕然とした。
「ここがフェア・ネッドの本棚だよ。村の連中はここを図書館代わりにしている」
「フェア・ネッドって…何なんですか?」
「昔ここに住んでいたと言われてる錬金術師の事さ」
老ロックベルはツタの絡む石の上に腰掛け淡々と話し始める。
「この本も、その錬金術師の蔵書だったと言われている。今はもうごらんの通りだがね。」
どこを見渡しても紛れもない廃墟に、アルフォンスは軽い眩暈を覚えた。
「そんな…もっとちゃんとしたところにきちんと保存しておくべきですよ!こんなに立派な蔵書なんですから!」
「うん、でもこれはフェア・ネッドの本だからね、あたしらがどうこうして良いもんじゃあない」
元々が本好きなシェスカには、無造作なようでいて体系立った排架で並んでいることに気付いていた。
「あたしには分からないけど、高い値段の付く本も少なくないんだろ?その辺りに目をつけたのは昔から何人かいるんだけどね」
こんなに風光明媚なのどかな田舎にもそう言う人っているんだ、とリンは少し意外に思っていた。
「借りていく分にはフェア・ネッドも何も言わないけど、売っ払ったりするとさすがに怒るんだよ」
「…は?」
「一番最近だと15年くらい前に何でも初版本だかなんだかで偉い値の付いたのを売った金で買った高い酒を一晩で酢に変えられたって話があるね」
「………亡くなった錬金術師の家じゃなかったんですか?」
「誰も死んだなんて言ってないだろう?」
にやりと笑って老ロックベルは言う。
「錬金術師は旅に出たとも、錬金術の実験で姿を変えてしまったとも、目に見えない状態で今もここに生き続けているとも言われている。
少なくとも、リゼンブールの錬金術師と言えばこのフェア・ネッドのことだというのが土地のもんの間じゃ定説だね」
「…公正な(フェア)ネッド?」
「そうそう。正直にしていれば、困った時には力を貸してくれるとも言うし、ずるいことをすりゃあ何らかの形で制裁を加えられることもある。
あんたの田舎には、そう言う話はなかったかい?」
「え?」
「どこにでも『良い隣人(グッド・フェロウ)』の話の一つや二つ、あるもんだと思ったがね」
似たような話を最近したことを、リンは思い出す。
「これがこの村の錬金術師の正体だ。納得したかい?」
シェスカはまだ困惑していたがそれでも納得するしかなかった。

今日のうちにイーストシティに戻るというシェスカと別れ、言われるままにアルフォンスとリンは診療所へと向かった。
「あ、役所の人帰ったか?」
中に入れば、あっけらかんとしたエドワードに迎えられて思わず脱力する。
「…あれ?アルフォンスとリン?何でいるんだ?」
「何でも何も…」
「フェア・ネッドの野ざらし図書館に度肝を抜かれたんだろ」
老ロックベルの説明にきょとんとする。
「あれ?知らなかったっけ?」
「聞いてなイ。と言うかその辺りも含めて説明を受けるつもりで来たラ」
「廃墟に野ざらし図書館なんだもんね…」
そりゃ力も抜けるよ、とアルフォンスは溜息を吐く。
少しばつが悪そうに頭を掻いてエドワードは釈明する。
「だってなあ…オレはここにいないことになってるし…お役所が錬金術師を喉から手が出るほど欲しがってるのも分かっちゃいるけど」
特にオレみたいな優秀な人材なら、と付け加えウィンリィにスパナで後頭部を叩かれる。
声もなくもだえるのを見て、ものすごく痛そうだと思う。
「でも役所に知られるのが一番まずいでしょあんたは」
「そうなの?」
「だって人頭税払ってないし」
「………今はそう言う言い方しないと思うよ」
「あ、住民税か。」
「まあそう言う冗談はさておいてだね」
強引に祖母が漫才を打ち切る。
「あまりよその人にエドワードの存在を知られたくないんだよ」
「…どうしてですか?」
アルフォンスの問いに、老ロックベルは顔を曇らせた。
「…不老不死の鋼の錬金術師、エドワード・エルリックがここにいると知ると、困った客が来ることもあるのさ」
「昨日みたいにね」
「あ…」
「ま、昨日とはまたちょっと違うけどな。吸血鬼と勘違いされて心臓に白木の杭を打たれたりしたこともあったからさ」
さらっと言うがその内容は結構とんでもない。
老ロックベルがきっとエドワードを睨んだ。
「あん時あんたは10年以上も目を覚まさなかったじゃないか」
「うん、まあ久し振りだったし油断もしてたからなあ」
心配させて悪かった、と柔らかに苦笑する。ふいっと老ウィンリィ・ロックベルはそっぽを向いた。
そうしてみると、不思議に老女よりも彼の方が年上に見えた。
「所で、フェア・ネッドって言うのは…」
「それは単にオレが金髪だから」
あっさりと答える。それらしく聞こえれば何だって良かったらしい。
「公正には程遠いわよね…」
「るせ。」
この人に会う度に目的を忘れかけてるなあと呆然としながらアルフォンスは思った。

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