「…だからさ、その当時の科学は神学あるいは哲学と不可分だったわけで、物質と精神は分かちがたいものだったわけだ。精神は物質を介さずには存在できなかったし、物質もまたしかりだ。互いに多大な影響を与え合っていた。と言うよりは、人にとって物質と精神は同じものだった。ここでは便宜的に「精神」と呼んでいるけれども、実際はそれは今現在オレたちが規定する「精神」よりもっと広汎なものだったと考えて良い。万物に宿る目に見えない何か、と言ったところかな。それは目に見える森羅万象と同じように多様で多数でオレたちの周りを取り巻いている。」
「アニミズムとかトーテミズム、のようなものかな。」
「うーん…、アニミズムようなもの、と付け加えておけばぎりぎりでセーフかな。トーテミズムは、あれは違うだろ?その部族にとって神聖な動物だったり自己と動物と同一視していたり、そっから共感呪術的に特殊な力や状況を引き出そうと試みたりする…んだよな。そんな特定的なもんじゃなくてさ。」
「汎神論…かな?それとも違うか。やっぱりアニミズムっぽいもの、っていうのが語感としては一番近いのかな」
「そんなところ。てかアニミズムの定義からまた始めなきゃならないから長くなるだろ。あーつまりは、だ。原初の「科学」は、すなわち「世界を知るための方法」だった。世界とは物質的なものも非物質的なものも、全部ひっくるめてのものだ。そもそも、その頃の人に物質的・非物質的の区別なんかなかった。ここまで良いか?」
「…良いけど、兄さん。」
アルフォンスはシャープペンをはたと止めた。
レポート用紙上にはアルフォンスとエドワードと、二人がかりで描いたすでに名状しがたいものになり果てた「何か」がそこかしこで踊っている。
時々は読める字で注釈が入っているが、それだって後から…つまりそれは今な訳だが、改めて見ると意味不明だ。これでは注釈の意味がない。
「それ、この論説文の読解と何か関係がある話?」
エドワードは大きく目を見開いた。そんなに驚くような話ではなかろうに、何回も目をしばたたいた。
(あ、やっぱりまつげ長いなあ)
思わずアルフォンスは頭の片隅でそんなどうでもいいことを考えていた。
生まれた時から見慣れた兄の顔に、今更見とれることもない。けれども、こうして時々意識のかけらを持って行かれる程度には好意を持っている。
そんな風に、兄に対するコンプレックスを自覚したのは丁度去年の今頃だったと思う。それは善悪好悪を問わず、ただ引き寄せられると言ったようなもので、だからこそたちが悪いかもしれない。
「え?何の話してたんだっけ?」
「もしかして忘れた?」
横道にそれたままどんどんと先走って出発点は遥か彼方、なんてことは日常茶飯事なので弟はただ小さくため息をついた。
ただ、こたつの上に問題集が広げてあるにもかかわらずそれはもう視界から消え失せているらしい。もちろん、アルフォンスが受験を目前に控えていると言うことは言わずもがなだ。
どれだっけ、と問題集をのぞき込んだ。問3、とアルフォンスが指さした先をたどる。
「文中傍線3、「それ」を7文字で抜き出せ…?って「清水のごとき声」だろ」
問題文を見て答えを導き出すまでに寸毫の迷いもない。かえってアルフォンスの方がとまどう。
「何で?」
「何でってそれ以外に当てはまる答えがないから」
さらりと言い切ってから弟の渋面に気付いて首を傾げた。
今度はちゃんとエドワードに気付いてもらえるように、アルフォンスはわざとらしくため息を吐き出した。
「うん、ボクもそうじゃないかなと思うし回答見てもそうなってるから、正解はそうなんだろうけど。ボクが聞きたかったのは「どうして」その答えに行き着くのかってこと。方法を知りたかったのに答えだけぽんと出されても困るよ。」
「あー…悪い」
やけに素直に反省する。エドワードにしても、悪気はないのだ。そして弟の言っていることにも納得はしている。
「それに兄さん、今問題文ほとんど読まずに答えたね。山勘にしてもすごいけど」
「え?こういうのって問題文全部読む必要ってあるのか?」
「ええ?」
「面白い文章だったら頭っから終わりまで読んでみもするけどさ、大抵はだからどうしたって感じのつまらねーのばっかじゃねえか。」
「つまらないには同意する。でも読もうよ!全体読んで把握はしようよ!」
「いやこういうのって始めか終わり読めば大体分からねえ?あと傍線ひいてある前後」
「大体かよ!ほぼ野生の勘だけで解いてるね?」
「だってオレ文系科目苦手だし」
「苦手科目でどうして毎回満点取ってるのさ…」
「さあ?本は読んでるからじゃねえか?多分」
読書量では負けてはいないはずの弟はがくりとうなだれた。エドワード本人曰く得意の理数系は何故か点数の乱高下が激しい。理由はよく分からない。
「…まあ、本は読んでるよね、確かに…」
「新聞もな。いっくら読んでても試験には出ないけどな!」
「それは読む本の傾向の問題だと思うよ。多分ね。」
「新聞はどう説明付けるよ」
「日本鉄鋼新聞読んでる人に何を言えっての」
「あ、知ってるぞ、お前だってオレが読んだ後こっそり読んでるじゃねえか」
「読んじゃ駄目だったの?」
「試験には出ないぞ、受験生」
「つまりそれは晴れて合格したら読んでも良いと言うことですかー?そうなんですかー?」
やけになりつつあるアルフォンスだってそう言う問題ではないことは理解している。
エドワードは世間一般の基準から言えば天才児なのだろう。昔から異常なまでに飲み込みが早く頭の回転が速かった。
「脳の回転が速くて記憶力もあってその上努力するのもいとわないって、神様はなんて不公平なんだろう…」
「安心しろ、そんな神様なんていないから。と言うか、それはお前だろうが。オレはただ好きなことを好きなようにやるにやぶさかではなかっただけだ」
こたつの上に突っ伏したアルフォンスの髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
「あ、やぶさかではないってたまに試験に出るから覚えとけ」
「出るの?それどこのいつの過去問?」
「そこまで覚えちゃいないって」
やぶさかの由来ってどこの坂だろう、とやや見当違いなことを思っているとエドワードの手は離れていった。
しばらくふてくされて頭を伏せたままでいたら、何かさわやかな香りが漂ってきた。小さく名前を呼ばれて顔を上げると、口許にミカンを押しつけられた。
「休憩もビタミン補給も大事だぞ」
「ありがと…ってすっぱ!何これすっぱ!」
「うん、どうやら外れひいた」
「自分で処理しろよ!」
「でも目、覚めたろうが。ほら、今日のノルマはまだ終わってないんだろー?」
終わってないのは誰のせいだよ。アルフォンスのまっとうな抗議は聞き流される。
エドワードは問題集をぱらぱらと懐かしげに眺めていた。
その表情から、兄にとっては受験というイベントは過去のものなのだ、と改めてアルフォンスは思い知る。
それなりの通過儀礼だったあの様々なごたごたから、もう1年も経っているのだ。
我が道をひたすら邁進するだけと思われた兄の表情が、微妙に、徐々に変化していく様をアルフォンスはすぐ側で見ていた。
口の中の、渋みと酸味をぐっと飲み下す。すっかりぬるくなった茶で洗い流してはみたものの、さっぱりとはしなかった。
「…同じ高校に、入れると良いな」
ぽつりとエドワードは呟く。
「…うん、頑張るよ」
呟きを実際声に出しているとは思っていなかったようで、アルフォンスの声にエドワードははっと口をつぐんだ。
しまった、と言う顔をする兄に苦笑する。
「そのためには、まずはこの問題集を片付けないとね」
「あー…うん、そうだな。…がんばれ」
「うん」
アルフォンスは心も新たにシャープペンを握りなおした。

まだるっこしい長文読解と四つに組んで、どの位立った頃だったろう。
「所で、旧唐書って紀伝体だっけ編年体だっけ」
知らないよ。くとーじょって何。明らかに受験に出ないよねそれ。
弟が兄さんと同じ高校に行くための最大の障害はこの兄なんじゃなかろうか。
そんな万感の思いを込めて、アルフォンスはこたつの中の足を思い切り蹴飛ばした。

(020209)
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