ゾンネンタールは谷間にある自治都市だった。いくつかの国境がそこで交わり方々からの旅人が行き交う、交通の要所でもあった。
都市は有力な商人たちの組合によって自治がなされているので領主といえども介入するのが難しい。
だからホーエンハイムはハルツ山への迂回路にここを選んだ。
旅人に混じって街の中に入ることは容易かった。フードを目深に被った程度でも疑われることなく城門をくぐれた。
ひとまず身体を休めるところを探そう、としたその矢先に人混みの中から裾を引かれた。
「…父さん?」
小さな声で確認する声は、確かに下の息子の声だった。
信じられない、と言った様子で目を丸くしている。
「アルフォンス…か?」
父も目を瞠った。アルフォンスはちょっと周りに目を配り、人通りの少ない方へと3人を誘った。
引かれるままにホーエンハイムたちは付いていく。
「予想通り、ゾンネンタール経由のルートをとったんだね。行き違いにならなくて本当に良かった」
「いや、まあ…」
「お前たちはどうしてここに?」
「あの、陛下…」
「大体は予想が付いてるんでしょ?兄さんが無茶したんで結果的に正門から逃げることになっちゃって」
「ええと…」
「やっぱりな。あれはやると思った。ほかのみんなは無事なのか?」
「あー…」
「多分、大丈夫。兵隊さんたちも付いてるし、確認した限りでは一人残らず森に逃げてる。オステンベルクの兵たちが森まで踏み込んでなきゃ大丈夫だと思う」
「あの、王子?」
「そうか」
「で、何ですか?」
アルフォンスはくるりとロイとリザに向き直った。ふわりと長いスカートの裾が揺れた。
「何ですかって、こっちのセリフです…」
「何ですかその格好」
ホーエンハイムは大して気にしておらず、アルフォンスもまたまるで違和感なく振る舞っていたのだが、王子は立派に女装していた。
「何って、変装ですよ?」
そう言ってにっこりと笑う。亜麻色のかつらがこれまたよく似合っていた。
あまりの屈託のなさに臣下たちは頭を抱えた。
「どうやらツェントゥーラから手配書が回っているらしくって、金髪の少年二人連れは結構厳しく見張られてるんですよね」
ホーエンハイムが生きているとは思われていないので、大人に関しては普段通りだったようだ。
「それで女装か」
「今のところは疑われてないよ。親戚に会いに行く途中の姉妹だと言うことで」
「姉妹…と言うことはエドワード王子も?」
ロイが信じられないことを聞いたという表情で聞いた。
弟王子は正直なところよく似合っている。元々顔立ちは母親似の優しげな風貌で、その上変声期もまだなので少女だと言っても違和感はない。
だが、兄は弟とは違い顔立ちはきつく性格も穏やかには程遠く、街の子供たちの間でガキ大将をやっていた頃の空気をそのまま残している。
(王子が街のガキ大将をやっていた辺りも小国とはいえ王族としては破格のことだったが、彼が規格外なのはそんなことに始まっちゃいないのでもはや問題にはならない。)
女物の服を着たところで少女に見えるとは到底思えなかった。
「今は兄さんは男物の服を着てますよ」
「…今は?」
「街に入る時には着てたんですけど、かえって目立っちゃって」
それで今は普通に男物の服を着ています、と言う。
そこはかとなく残念そうな口調に思えるのはリザの気のせいだっただろうか。
「…目立ったのか」
そうだろうな、と言う気持ちを込めてホーエンハイムは呟いた。
ただし彼の予想と現実とは方向性が正反対だった。
「今は男装の麗人扱いですよ、兄さん」
がん、とあらぬ衝撃を受けて一同地に突っ伏した。
一度フィルターがはまってしまうとなかなか修正はされないものらしい。生き生きとした隻腕の美少女の鮮やかな印象は街中にしっかりと焼き付き、女装をやめてもかえってそれがりりしい少女だと思わせるに到った。
そんな周囲の目がさすがに鬱陶しいらしくエドワードは、情報収集を弟と従者に任せて自分は宿に籠もりきっている。
姿を見せない姉に人々が想像をたくましくしているとは気付いていない。
「とりあえず、ボクらの宿でこの後のことも話し合いませんか?」
アルフォンスの提案に、王と家臣たちは頷いた。

「兄さん、父さんたち連れてきたよ」
「ああ、窓から見えた」
エドワードは何か書き物をしていた手を止めて目を上げた。
王子たちの取った部屋は客を迎え入れることもできる広い居間と、それを挟んで寝室が2つつながっている部屋だった。ハボックは寝室ではなく居間の長椅子に寝起きしている。
ペンを置き立ち上がる服装はやや生活に余裕のある商人の子供、と言ったところだった。アルフォンスとは違いちゃんと男物だったことにマスタングは心の底で安堵する。
4人が部屋に入り最後にホークアイが扉を閉めたことを確認すると、兄王子は父王の前へと立った。
「あ」
表面上だけは穏やかな兄に気付いてアルフォンスが止める手を出すより速く、エドワードのかかとが宙を切った。
鈍い音を立ててホーエンハイムの側頭部が横なぎにすっ飛ぶ。
「何攻め込む隙を与えてんだこのくそ親父!王族で錬金術師なんて二重でペテン師だってのにオステンベルクの臆病君主ぐらい口先三寸で丸め込めないでどうすんだ!」
「二重に…って」
「王族も詐欺師みたいなもんだし錬金術師だって世間的にはそうだろ」
リーゼンブルクの王が錬金術師であることはつとに有名な話だった。
弟王子は頭を押さえてひっくり返る父を気にもかけずに小首を傾げた。
「と言うことはボクらも詐欺師でペテン師ってことにならない?」
「自覚なかったのか、お前」
「普通ないでしょう、王子」
下手に間に入ればこちらにも飛び火するので迂闊にマスタングは手が出せなかった。しきりに首を押さえるホーエンハイムに手を貸すことすらせずに放置するのは、国王に対して臣下のとる態度としては不正解だっただろうが、この親子に関してはその限りではない。
「お前な。折角くっついた首がまたずれるだろうが」
「そう言う冗談はやめようよ父さん…」
アルフォンスのたしなめる言葉は途中で消えた。エドワードも気付いて息を呑む。
ホーエンハイムの襟元からのぞいた首筋に、はっきりと赤い線がくるりと描かれているのが見えた。エドワードは父の胸ぐらを掴み引き寄せてじっと見た。
「…斬られたのか」
「問答無用で斬首刑だったな。」
「……昔読んだ本に出てきた吸血鬼だって首を落とされれば死んでたけど」
アルフォンスもおそるおそる近づいた。父親は間違いなく生きている。
エドワードは手を離し、少しのごまかしも許さないと行った表情で聞いた。
「まだ痛むか?」
質問の内容はマスタングには予想外なものだった。他に聞くことはごまんとあるだろうに、エドワードが聞いたのはただそれだけだった。
それはホーエンハイムにとっても同様だったようで、軽く目を瞠った。
「いや。痛みはもうない」
その答えを聞くと、そうかと言って離れた。
その件に関してはそれ以上の興味も関心もないとばかりに、書き物机の前に戻った。

「確か王子たちにその王の体質は受け継がれていないだろうとのことでしたね」
その夜、ホーエンハイムたちは用心のために王子たちとは別の宿を取った。ふと思い出したようにそう切り出したマスタングに王は肯いた。
王は確かにオステンベルクで首を落とされた。それはマスタングもホークアイもその目で確かめている。だが事前に言われていたとおり、王の首を晒し台から盗み出し身体に乗せてみると、途端に目を開き息を吹き返した。王は不老不死の身体なのだとその時初めて知らされた。
詳しくはまだマスタングも聞いてはいない。聞いている暇も余裕もなかった。
ただ王が女王に出会う前から、不老不死であったことだけは聞き出した。流離っていたのもそのためだという。
「王が不死の身体だと言うことは王子たちも知らなかった。…そうですよね?」
「何か気になることでもあるのか?」
「いえ。…大したことではないんですが」
昼間のことを思い出してマスタングは嘆息した。
「私にはエドワード王子の方がよほど化け物じみているような気がして…恐ろしいと思ったんです」
父親の傷跡を見て、その意味を瞬時に悟ったにもかかわらず痛みはないかと尋ねた。
多分相手が父親でなくとも、どんな異形の化け物相手でもきっと同じことをまず尋ねただろう。
「仕方がないだろう。あれはある意味確かに慈悲の化け物だからな。」
「慈悲の、化け物?」
「女王トリシャは古い王の血を引いていた。エドワードもアルフォンスも、その血が色濃く出た。」
どうやらホーエンハイムの血が混ざることで先祖返りを起こしたんだろう。
分かり切ったことを言う口調で淡々と王は言うが、マスタングはわずかに眉根を寄せた。
「その、古い王の血というのは一体何ですか?」
「古代、人間は自然に対し無力だった。雨が降れば洪水に悩み、日照りが続けば干ばつに悩み、これに対抗するすべはなかった。それを憐れんだ天が下したのが古い王だ。」
ほとんど神話か昔話のようなものだが、とホーエンハイムは笑う。
「つまりその王がいれば天災から免れたと言うことですか」
「いいや。王がいようがいまいが天災は起こる。だが、天災で痛めつけられた大地に対して王の命で贖えば豊穣が約束された」
王の血が流れれば大地はその地力を取り戻す。
その時が来れば死ぬために存在したのが、「古い王」だった。
「だからあいつらは他者のために血を流すことをいとわない。本能的に自分より他人の命を優先する」
「それを本人たちは…いえ、知っているはずはないですね」
「ああ。トリシャも自分がそんな血を引いていることは知らなかったからな。…でも、エドワードの方は昔からうっすらと自分は王位につかないと思っている節があったな。」
王位に就く前に国かあるいは弟のために命をなげうつ予感があったようだった。
「それでもってアルフォンスはアルフォンスで兄が王になるものだと決めてかかっていて、兄に何かがあって自分が王位に就く事態は全く想定していないようだったし。」
思い返して目を細める様子は、ホークアイから見ればただの親ばかであった。王位に拘泥しない兄弟を、口では「困ったものだ」とうそぶきながら心の中では好ましく思っていることは、簡単に見抜けた。
「あいつら、これを良い機会に国も身分も投げ出して逃げ出しそうだと思ったんだが」
「お言葉ですが、王子は陛下よりずっと責任感が強いです。身分はともかく国民を見捨てて自分たちだけ逃げるなどと言うことは決してしないでしょう」
「…だろうなあ。」
それに乗じて自分も逃げてしまおうかという色を見せた国王にしっかりと釘を刺す。
「けどなマスタング、王族皆が逃げたらお前に念願の国がひとつ手に入るぞ?」
「丁重にお断りします。大体欲しかったらこんな小国ではなくツェントゥーラの実権握って大陸を制覇して見せます」
「…そう言えば10年前にも同じこと言われたな」
より正確にはこんな会話を10年間繰り返している。
ホークアイは進歩のない主従に心の中でため息を吐いた。

(121006拍手お礼/050207加筆)
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