「あのぉ…エルリック中尉に面会の方なんですが…」
いつになくおずおずとした下士官の声にアルフォンスは振り向いた。
その日は珍しく平穏な日だった。上司は補佐官に見張られながら逃げることもできずに書類を処理しているし、緊急の事件も入っていない。
そこにマスタング准将の部下は勢揃いしていた。それが吉と出るのか凶と出るのか、その時点ではまだ分からなかった。
「お父さん!」
困惑しきった下士官の足下から、そんな声が聞こえた。
それから何か金色のものが飛び出してきて、アルフォンスの膝へと飛びついた。
「はい?!」
当然のように、司令部の視線はすべてその小さな子供へと集まった。
「え…っと…?」
アルフォンスの頭の中は真っ白になった。
子供はアルフォンスの脚に抱きついたまま、満面の笑みで見上げた。
「やっと会えた!お父さん」
「お…お父さんって…おい、お前心当たりは?」
すぐそばにいたハボックが子供の耳には届かないように小さな声でアルフォンスに聞く。呆然と子供を見下ろしていたアルフォンスははっと気付いて首を横に振った。
だがそれは否定ではなく、自らの意識をはっきりさせるためのものにすぎなかった。いささか情けない泣き笑いにも似た表情でハボックに答える。
「この子の年から推定すると5〜6年前と言うところですよね?」
「…あー…あり得る、か…」
その時期のアルフォンスは非常に荒れていた。ハボックは何となく天を仰いだ。
ブレダはアルフォンスの足下にしゃがみ込み、子供の顔をのぞき込んだ。つられたように子供もブレダの顔をきょとんと見た。
大きな金色の目になるべく不自然にならないように笑いかける。
「お嬢ちゃん、一人でここまで来たのか?」
子供はこっくりとうなずいた。「そうか」と笑って子供の頭を撫でた。
「偉いな。それじゃ、自分の名前も言えるな?」
そう問われると、子供はアルフォンスを見上げた。動揺は収まったが混乱と困惑は収まっていない表情を見つけて唇を引き結ぶ。
見上げる首がつらそうだったので、アルフォンスも膝をついて子供に視線を合わせる。
最初にアルフォンスを見たときの喜色満面の笑みは消え、瞳が不安げに揺れた。
「お父さんは、わたしが分からない?」
「あ…うん、ごめん。」
素直に謝ると、たちまち涙があふれそうになった。こぼれ落ちる寸前でそれはとどまる。
小さな手がぎゅっとアルフォンスの軍服の裾を掴んだ。
「あの、だから、君の名前とお母さんの名前を教えてくれないかな…?」
「…知らない!」
ふいっと顔を背けた。
「もしかして家出少女なのか?」
上司も出てきて一番近くにあった椅子に腰掛けた。
「家出じゃないもん」
「では何だ?お母さんとけんかしてお父さんを訪ねてきたわけじゃないのか?」
「お母さんは、お父さんなら絶対にわたしが分かるはずだと言ったのに。お母さんは嘘ついたんだ」
小さな手がよすがのように服を握り込む。アルフォンスは小さく「ごめんね」と呟いた。
「ではお母さんは良いとして、君のことはなんと呼べばいいんだ?」
うつむいた顔を上げ、年の割に大人びた表情で少女はマスタングを見た。
「分からないなら好きに呼べばいいじゃない」
「では好きに呼ぶぞ。ダーリンでもディアでもハニーでもスイートハートでも地上に降りた天使でも今年最初の雪の精霊でも」
「…それはいかがなものかと思いますが」
ホークアイはかすかに頭痛を覚えた。
「すべてヒューズが娘に対して使っていた呼びかけだ」
「………今何となく類友という言葉が脳裏をよぎっていきました」
なんだかんだで言葉を選ぶセンスは近いのかもしれない。ただ相手が不特定多数の女性なのか愛する妻と愛娘なのかと言うところが決定的に違うだけで。
身元不詳の少女は軽く眉をひそめた。歯の浮くような呼び方をされた記憶はないのかもしれない。と言うよりは、呼びかけの言葉のほとんどが意味が分からなかったというのが正解らしい。不審そうな目でマスタングを見ている。
マスタングはこほんとひとつ咳払いをした。
「…エルリック中尉。今日のところはその砂糖菓子ちゃんを連れて帰りたまえ」
「そうですね、将軍と違ってアルフォンス君には処理する業務も残っていませんし」
砂糖菓子ちゃんと呼ばれた少女は軽く首を傾げた。白くて柔らそうで、けれどもまだ紅潮の残る頬は確かに甘い菓子のようかもしれないなあなどとフュリーは他人事のように思った。(実際他人事だったが。)
「分かりました」
大きくため息を付きそうになって、少女の視線に気付いてあわてて途中で止めた。
実際、ここにいても何の進展も望めそうにない。それどころかきっと他の連中にからかわれつつかれて事態はきっと混迷を深めるだけだろう。
上司の許可の出たアルフォンスは少女を抱き上げて司令部を後にした。

「…で、実際のところどう見る?」
アルフォンスが出ていった後で、マスタングに問われたブレダは顎に手を当て考え込む。
「まあ血縁関係は確実にありそうですがね」
少女の肩の高さできれいに切りそろえられた髪も瞳もアルフォンスと同じ金色だった。金髪も琥珀色の目もなくはないが、そこに宿る強い光も込みでとなるとそう滅多にある色ではない。
「でも正直なところ、あれはアルの娘って言うよりは姪だと言われた方が説得力があると思いますよ」
「お前もそう思ったか」
「アルフォンスは気付いていたかどうか…あの子供、エドワードの方により似ている」
ハボックの表情が沈み込む。
子供はアルフォンスの柔和な表情よりは、ずっと凛とした表情をしていた。
それはその場にいた誰もが、6年前に亡くなったエドワード・エルリックを思い出すのに十分なほどだった。
6年前、エドワードは自分のすべてを引き替えにして弟の身体を錬成した。マスタングが駆けつけたときには精緻な錬成陣と、残された機械鎧の腕と脚を抱きしめて狂ったように兄の名を呼ぶ生身のアルフォンスがいただけだった。
エドワード・エルリックは錬成事故にて死亡。弟のアルフォンスを軍で保護。当時の報告書にはそう書かれている。
その後兄の死を受け入れてもしばらくの間アルフォンスの精神状態は不安定だった。それではいけないと他人からかつを入れられたか自ら発心したのか、元通りの落ち着きと人当たりの良さを取り戻すとアルフォンスは軍に志願した。元々兄弟そろって優秀な錬金術師として知られていたので軍もあっさりと了承した。
だが今でもアルフォンスの前でエドワードの名前を出すことははばかられた。本人は大丈夫だと言っても、端から見るとそうは思えなかった。
「鋼のに似ていると無意識のレベルでは思ったとしても、はっきりと意識することはないようだな」
「あー…でもほら、大将の娘って可能性は」
「それはないだろう」
あっさりとマスタングは可能性を否定した。
「あの鋼のに弟に完全に隠し通して隠し子作る甲斐性があったとは到底思えん」
「…結構ひどいこと言っちゃってませんか?」
だがその意見には誰もが納得していた。
「大体歳が合わないだろうが。あの子供は大きく見積もっても5才が精々だ」
「ですよねえ…」
マスタングはけりを付けるように立ち上がった。
「まあ後はアルフォンスの報告待ちだ。悩んだところで何かが変わるわけでもあるまい」

そのころアルフォンスは少女と手をつないで帰途に付いていた。
いくらか機嫌も良くなったらしく、何でもない道を歩くだけなのに楽しそうだった。時折ちらりとアルフォンスを見上げては小さく笑う。
「何?」
アルフォンスが尋ねても、何でもないと首を振るだけだった。
「君のお母さんは、心配してないの?」
たった一人で軍部にまで来るには少女は小さすぎる。そう思ったのだが少女はけろりとしたものだった。
「お父さんの所に行くのに何も心配はいらないって」
見たところ少女は身ぎれいに整えられている。よそ行きらしい青い小花柄のワンピースの裾が翻る。
歩き方や所作にもしつけがちゃんとなされているのが伺える。決して放置されているわけではないようだった。
ふと少女が足を止めた。前方の人だかりに目を向ける。
「あれ、何だろう」
アルフォンスもそちらを見た。人だかりの中に憲兵の黒い制服が見える。
「何だろう、何かあったのかな」
見上げてくる少女に安心させるように微笑んで、頭を撫でながら言った。
「ちょっと見てくるから、ここでおとなしく待っててくれるかな?」
「うん」
「誰かに声をかけられても付いて行っちゃ駄目だよ」
分かった、とうなずくのを確認してアルフォンスは人だかりの中へと入っていった。
人を分け入って顔見知りの憲兵を見つけ、事情を尋ねる。
「強盗ですよ。人質を取って立てこもってる」
野次馬を制止しながら憲兵は答えた。軍が到着するまでにまだいくらかかかりそうだった。
「犯人は何名ですか?」
「1人です」
「1人?」
「爆弾をね。こうぐるぐるっと巻き付けてまして」
改めて建物の中を窺ってみると、確かに男が店員を脅しあげている。
「先月解雇になった男の逆恨みだとかで、建物の内部にも爆弾の仕掛けられている可能性があるようです」
「何をするか分からなくて危険だってことか」
その時、中の男と目があった。
血走った目でアルフォンスをにらみつけている。
本能的にまずい、と思ったがとっさには動けない。男が腕を振り上げて窓ガラスを叩き割り、手にした筒状の何かをアルフォンスめがけて放り投げた。
「危ない!」
アルフォンスは憲兵を突き飛ばした。周りの群衆は恐慌状態に陥って蜘蛛の子を散らすように逃げまどう。
投げられてもなお消えなかった導火線の火がじりじりと本体の方へと近づいていく。
爆薬の威力がどれほどなのか量れなかったが、このままでは危険だと言うことはいやと言うほど理解でき、急な出来事に思考は空転する。
その時だった。
もう駄目かと思われた瞬間、道路が歪みドーム状に盛り上がり爆弾を覆い尽くした。
堅い石畳の下で破壊音が響き、確かに振動が伝わった。
石畳を伝うように変形したその先には、少女が両手を着いていた。
「…錬金術」
確かにそこには錬成痕が見て取れた。けれどもあるべきはずの錬成陣はない。
少女は立ち上がり、軽く手を払った。
「犯人、逃げようとしてるけど捕まえなくて良いの?」
そばにいた憲兵がそう言われて我に返る。ちょうどそこに部隊も到着したようだった。
アルフォンスはそれどころではなかった。呆然と少女を見ている。
「…にいさん」
やっとの思いでそれだけ呟くと、少女は完爾と笑った。
「ようやく気付いたか、薄情者」
アルフォンスにも言い分はあったし、強盗犯のこともあったはずだったが何もかもそれどころではなかった。
アルフォンスは一気にエドワードの元へと駆け寄ると強く抱きしめた。

「薄情者はどっちだよ」
ひとまず自分の家へとエドワードを連れ帰って落ち着いたアルフォンスは開口一番文句を言った。
「何がだよ」
「6年間何の音沙汰もなく!何の前触れもなく戻ってきて!しかも「お父さん」って何?!」
「あれはウィンリィの悪のりに師匠も乗っかってきた結果がああいうことになったんだよ…」
まさか本気で心当たりがあって困り切ったことになるとは思ってなかった。自分と離れている間の弟にもいろいろあったんだなあと妙に感慨深くなってしまった。
「…つまり何?ウィンリィも師匠もかんでたわけ?ボクだけ蚊帳の外?」
「うーん、と言うかお前、オレのこの見た目に関しては何もないのか」
「かわいいよね」
「…お前は絶対そう言うだろうってウィンリィが言ってたけど、本当にそうだとはな」
遠い目で、今はラッシュバレーで独り立ちを始める幼なじみの慧眼に思いを馳せる。
「まあ最初から話すとな。…6年前、オレはお前の身体を錬成した。その代償はオレ自身だ」
あの時の痛みがぶり返すような気がして、アルフォンスはエドワードの白い右手を握った。
エドワードは苦笑して、その手の上に左手も重ねる。
「正確には、オレ自身の「時間」が代償だった。オレの時間は巻き戻り、お前を錬成した後のオレは赤ん坊の状態だった。…師匠はそんなオレを見つけて、軍に見付かる前に連れて帰ったんだ。」
アルフォンスはマスタングが保護したことを知っていた。それならばそう悪いことにはならないだろうと思い、あえて接触はせずにそのままアルフォンスの身柄をゆだねた。
それよりもエドワードの状態の方が深刻だった。赤ん坊、それも未熟児に近くしかも仮死状態だった。何とか息を吹き返しその後も無事に成長を続けたのでイズミは心底ほっとした。
「3才くらいまでは錬成以前の記憶も曖昧でさ。ばっちゃん経由でお前の様子とかも聞いたりしてたけど会いにはいけなかった。」
「ばっちゃんも知ってたんだ。」
「ああ。お前が師匠を訪ねに来るときには、オレはウィンリィの所に預けられてたからあいつも知ってる」
ラッシュバレーとダブリスなら近かったからだ。
「………でも兄さん。それで、何で女の子なの?」
確か自分の「兄」は間違いなく男性だったはずだ。時間が巻き戻ったところでそれは変わらないのが普通だろう。
スカートの中をのぞくようなまねは決してしないが、エドワードが単に女装をしているわけではないようだった。子供とはいえ性差はある。
「それなんだがな。オレと師匠の見解としてはリバウンドだ」
「時間だけじゃなくて?」
「時間の方は代償で、性別の方がリバウンド。…と言うかな。扉の向こうでの記憶の最後が「あ、間違った」とか真理のやつが呟いてとぎれてんだよな」
「…兄さん、ボクは世界の真理に対して新たな疑問を抱いたんだけど」
「オレもだ。常に新たな謎がオレたちの前に立ちはだかるな」
そう言いつつもその目に浮かぶのは紛れもなく諦観だった。
思わず突っ伏したアルフォンスの頭を、エドワードは小さな手で撫でる。
「…ごめんな。お前が一番辛いときにそばにいてやれなかった」
「良いよ。仕方のなかったことなんだから」
ほんの少し頭を傾けて、視線だけで兄を見上げる。柔らかな苦笑いは、確かにアルフォンスの知る兄のものだった。
「でも、兄さんが悪いと思うなら、これからはずっとそばにいてくれるかな」
6年間の空白に付け込んでそんな要望を出せば、案の定、もちろんだとの返事が聞けた。
満足してアルフォンスは微笑んだ。

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