ティムに促されて、ウィンリィが渋々通路をあけた。その背後にはジャンには覚えのない暗がりが伸びている。
「あ、やっぱり隠し通路があったんだ」
「…やっぱり?」
思わずこぼしたジャンの独り言を拾ってウィンリィがますます厳しい表情になった。
「気づいてたんだ?」
「何となくだけど、この家、外から見たときと中に入ったときとで広さが変わるような気がしてたんすよね」
やたら林立する本棚のせいか、とか錬金術師の家なんだからそれくらいはあってもおかしくないか、とか思ったので、かすかな違和感を追求することもなくこれまで過ごしてきていた。
「壁の厚さもそぐわないし、床下にも何かありそうだし。」
かかとでこんこんと廊下の床を蹴ってみせる。場所によってわずかにその音を変えることには気づいていた。
あの蔵書を支えるためには相当の増強も必要だろう。だがどうもそれだけではない空隙があるような響きも感じていた。
「変だと思って調べてみる気はなかったの?」
「いや、だってほら俺毎日ここには寝に帰るばっかりだったし」
それに、と壁に手をはわせる。
「…何て言うかね、悪い感じはしなかったもんだから」
ジャンは面映ゆそうにそう告白した。どこまでも感覚的なそれを言うのは正直恥ずかしかった。
何せ根拠は『勘』ただそれだけだった。論理的かつ理性的な根拠など何もない。
ただ何となく、この家の主である錬金術師は悪いやつじゃない、と家のあらゆるところから聞こえてくるのだ。
子供たちに配慮している書棚の配置もしかり、玄関からまっすぐに続く廊下しかりだ。
廊下の壁にはわずかに指にかかる段差がある。そこがこの隠し階段への入り口だった。
ウィンリィを先頭にジャン、ラスト、ティムが続く。ティムは腹がつかえそうになりながらも器用に狭い階段をすり抜けるように上った。
階段はそう長くはなかった。中二階に当たるであろう高さのところでとぎれて壁に突き当たる。
ウィンリィは右側の壁に手をかける。継ぎ目もないのに音もなく壁は引き戸となって開けられた。
小部屋はそう明るくはなかった。だが、隠し階段がほとんど暗闇と言っていい暗さだったので十分にまばゆく感じられた。
だから部屋の中を把握するのにジャンは数回目をしばたたかなければならなかった。ぼんやりと明るいものが真っ白なシーツだと把握したのはその後だった。
部屋の中には質素な寝台が一つ、その脇に背もたれのない椅子が一脚、それから脇机が据えられているだけだった。脇机の上には数冊の本と銀色の時計が無造作に置かれている。
明かり取りの天窓から薄ぼんやりとした光が降り注いでいる。わずかな光を増幅するように寝台の上できらきらと光るものがあった。
「彼が、この家の…リゼンブールの錬金術師よ」
静かにラストが言った。
そう言われても、ジャンにはなかなか実感が湧かなかった。
寝台の上に横たわる人物はあまりに静かだった。よくできた人形のようにその面は整っている。
ウィンリィが椅子に腰掛けて錬金術師のこめかみに手を当てる。それから口元にかざして呼気を確かめる。
「…眠ってるんすか?」
「そうね。そう言うのが一番近いかしらね」
ため息混じりにラストも寝台のすみに座る。
見るのが怖いとでも言うように、ラストは錬金術師から目をそらしていた。
ジャンは改めて寝台の上の錬金術師を観察した。年の頃は二十歳前後だろう。シーツで覆われているものの、細身なのがよくわかる。
端正な相貌にはあまり血の気が通っている感じがしない。象牙を彫り上げ磨いたような肌だった。
純金のような髪の毛が輝いていて、それがいっそう作り物めいて見えた。
「10年ほど、眠りっぱなしなのよ」
「10年?」
「寝ぼすけにもほどがあるわよね」
そんなレベルの話ではなかったが、なぜかすとんとジャンは納得した。
「10年間、ずっとこのまま?」
「そうよ」
答えてからジャンの様子に気づいてラストは微笑んだ。
「…ああ、姿形や年齢のことを言っているのなら、それよりもずっと前から変わってないわ」
「……何となくそんな気がしました」
ウィンリィは黙々と診察を続けていた。胸元のシーツをはがして木綿のシャツのボタンをはずす。器用にシャツをまくって右肩をむき出した。
現れた金属部品にジャンは息をのむ。
「…機械鎧」
「見るのは初めて?」
「ああいうタイプのは。…錬金術師じゃなかったんすか?」
「錬金術師が機械鎧を着けちゃいけないの?」
「そう言う訳じゃ…」
ただ、どうしてもジャンの脳裏をよぎる名前があるだけだった。
鋼の腕の、金髪の錬金術師。おとぎ話の中の人物。
ティムの母親の語る彼の錬金術師は、まるで実在の人物のように生き生きとしていた。
「鋼の錬金術師が機械鎧を装着してないでどうするの」
あっさりとティムがジャンの幻想を打ち砕いた。むしろ砕かれたのは現実とか常識とか呼ばれるものだったかもしれない。言いしれぬ衝撃を受けてジャンは愕然とティムを振り返った。
「え?じゃあれが鋼の錬金術師?本当に?って、あれ実話なんすか?」
「あなたが何を作り話で何が実話だと信じていたのか知らないけど、この子がエドワード・エルリックで鋼の錬金術師と呼ばれていたことは事実よ」
ラストが軽くとどめを刺した。
「100年くらい前になるかしら、国家錬金術師になって軍人をやっていた時期もあるわ」
「100年ってこの人一体年いくつなんすか?」
「今年でちょうど130歳、だったと思うよ」
機械鎧の整備の手を休めずにウィンリィが答えた。顔をジャンへと向けようともしない。
「ちょっと長生きで若作りなだけだよ」
「いや!そんなレベルじゃないっしょ、これ!」
「そんなレベルの話なんだよ、結局はね」
ティムが苦笑とともに肩をすくめた。
「彼は本当に、ただの人間だった。ここの村の人間にとっては、そうなんだよ。」
「ロムアルド・ハボックにとっては違ったかもしれないけどね」
ウィンリィは言い捨てた。激しい敵意と憎悪がそこにはあった。ラストが静かに目を伏せた。
「…ロムアルド・ハボックにとっての彼は、吸血鬼だったみたいだね。他人の生き血をすすって命を永らえる不老不死の化け物」
「は?」
ジャンは耳を疑った。
「吸血鬼?何で?」
「どういう伝手でか、ロムアルド・ハボックは100年前のエドの写真を手に入れたみたいなんだよね。きっちり日付入りの。100年前の写真の中の人物が人知れず生きていた。これは吸血鬼に違いない、と思ったらしいよ」
「…どうやら、教授の専攻は吸血鬼伝説を主とする民間伝承だったようよ」
言われてみれば父の残したノートにそれにたぐいする単語が並んでいたような気もしないではない。
目も口もぽかんと開いたまま、まじまじとジャンは寝台の上の人物を見た。
「嘘だあ」
思わずそう口に出していた。ジャンにはとてもそれが吸血鬼には見えなかった。この家の主だというのならばなおさらだった。
だが、ロムアルド・ハボックに言わせればそれこそが周囲を騙すための巧妙な擬態だった、とのことらしい。
彼は、無辜の民を不死者から守るために白木の杭を吸血鬼の胸へと打ち込んだのだ。伝承によれば不死の者もそうすれば永久の命を失い灰になって消え去るはずだった。
「教授、意外と実践的な人だったようね」
存分に皮肉を込めた調子でラストが言った。
「…実践的って言うんすか、それ」
もしも写真の人物とは他人のそら似だったりしたらどうするつもりだったのか。
母ならば「思いこんだら一直線の人だったから」と述懐してくれたことだろう。ジャンにはそんな思い出すらない。
だが、彼が杭を打ち付けた相手は吸血鬼ではなかったから、灰になって消え去りはしなかった。
幸か不幸か、エドワードは「不死者」だった。
心臓に杭を打たれたくらいでは死ぬことはなかった。ラストの予想では賢者の石がたちまち彼の傷を修復してしまうはずだった。
しかし、彼女の予想通りにはいかなかった。蒼白な顔でウィンリィが何度名前を叫ぼうともエドワードは目を開けなかった。
傷は確かに数日のうちにふさがった。数ヶ月もすると傷跡すら残らなかった。
それでもエドワードは目を覚まさなかった。
心臓の拍動は極端に少なくなっている。体温も通常より低い。
「…ロムアルドの攻撃を受けたときに、何か錬成しようとしていたのが関係しているのかもしれない。それが何かは分からないけど、とにかくエドは仮死状態のままずっと10年間眠り続けてる。」
ラストがエドワードの腕に手を伸ばした。力無い手首を、その重さを確かめるように持ち上げる。
「死んじゃったわけでもないのに、どうして目を覚まさないのかしらね」
ぽつりと呟く。心底不思議そうに小さく首をかしげる仕草が、あどけない少女のようでもあった。
「ロムアルド・ハボックがそれからどうしたのかは残念ながら誰も知らないんだ」
「この人殺し!ってなじってやったらいつか自分が正しかったことを証明してやる、そのためにきっと帰ってくるから待ってろ!…みたいな捨てゼリフを残して逃げてったけど」
「…ウィンリィちゃん、それはまた穏便な表現だね」
ティムがやれやれと首を振った。
「実際は言葉の限りを尽くして悪口雑言浴びせた上、ウィンリィちゃんがバイクで教授をひき殺そうとしたんだけどね」
「ひき殺そうなんてそんな物騒な。たまたまバイクを走らせた先にあいつがいただけじゃないか」
「と言うか、轢いてたわよね確実に」
「うん、死ななかったけどね」
舌打ちをするその顔は本気で口惜しがっていた。
「だめよウィンリィちゃん。あんな奴のために罪を犯したりなんかしちゃ。」
「そうそう」
「エドも言ってたじゃない、むやみに人を殺したり騙したり盗んだり犯したりしちゃだめって。うっかりとか手が滑ったとか言う言い訳もなしだって何度も何度も言われてたでしょ」
「…言われてたのはラストおばさんだけでしょうに」
「あら私だけじゃないわよ、エンヴィーだってしょっちゅう叱られてたわ」
「……本当、エドは苦労してたんだなあ」
ティム・グラムはしみじみと呟いた。横たわるエドワードがうなずきを返すことはなかったが。
「と言うわけで、君のお父さんはこの人たちが追い払っちゃったんで、その後はどこに行ったのかさっぱり分からないんだ。ごめんね」
改めて告げられたことは新事実には違いなかったが、事態を進展させることはなかった。つまりロムアルド・ハボックは相変わらず行方不明のままだった。
いっそこのまま行方不明のままの方が八方丸く収まるかもしれない。そう考えずにはいられなかった。
「いや…こちらこそ父が大変なことをしでかしまして」
「まったくよ」
「ウィンリィちゃん…」
「でもあなたはとりあえず関係ないでしょ?お父さんのこと本当に知らなかったみたいだし」
吹っ切ったように顔を上げた。未だわずかに苦いものは残るものの、初めてウィンリィはジャンに笑顔を向けた。
「もう関係なくはないけどね」
ラストが妖艶な笑みを浮かべて言ったセリフに思わずジャンはおののいた。
「え?」
「あなたはこの村の錬金術師の秘密を知ってしまったもの。そう簡単に村から出してあげるわけにはいかなくなってしまったわ」
「え?ええ?」
「そうだねえ、鋼の錬金術師が無防備に眠ってますよーなんてよそで吹聴されたりしたらたまったもんじゃないからね」
そんなことはしないだろうけどね、とティムが心の中で呟いた。表面的には苦笑しただけでジャンに助け船を出すようなことはしなかった。
「じゃあとりあえずどうするの?」
「とりあえずは、エドが起きるのを待つのが妥当じゃないか?」
「エドの裁定待ちと言うこと?」
結論は目に見えているけど、と改めてジャンを眺め回したラストが小さく呟いた。
「父親よりもさらに似てるから、絶対に評価が甘くなると思うけど」
その声は誰の耳に届くこともなかった。届いたとしてもその意味を正確に知るものはエドワード以外にはいなかっただろう。
「…それはこれまでとまるで同じだってことじゃないか…?」
「そう言うことだねえ」
のほほんとティムが答える。
寝台の上の錬金術師は今しばらく目覚めそうになかった。

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