雑踏の中、ぼくは赤いコートの端を懸命に追った。エドワードさんは不意に気付いて足を止めると、申し訳なさそうにぼくが追いつくのを待った。
「思ったよりも人が多かったな」
「週末ですから」
「そういやそうか」
市場にはぼくとエドワードさんのように買い出しに出てきた人々でごった返していた。
ようやく追いついたぼくは、差し出された左手につかまった。
「あ、リンゴだ」
今度は少しゆっくりとした足取りで、エドワードさんはするりと人波を抜けていく。手を引かれたぼくも、ぶつかることなく店の軒下にたどり着けた。
エドワードさんの見つけたリンゴはつやつやとしたとてもきれいなリンゴだった。ワゴンに山と積まれた上に立てかけられた値札を読む。
少し高いかな、と思ったけどエドワードさんは迷うことなく「これ欲しいんだけど」とお店の人に声をかけた。
「はいよ。いくつ?」
「んー…5つ、かな。」
ひょい、とひとつ取り上げて大きさをみる。それから嬉しげに頷いた。
「良いリンゴだな。もしかしてフォレダジュール産?」
「おや、良く分かったね」
「これだけ立派なのはあそこでしかみたことがないからな」
「行ったことがあるのかい、お兄さん」
「ずいぶん前にだけどな。村中にぴかぴかリンゴが実ってそりゃきれいだったっけ」
「嬉しいねえ、実は私はフォレダジュールの出身なんだよ。よし、ひとつおまけしとこう」
「あ、ありがと。ああ、道理でおばちゃん色白なんだな」
「あらあらそこまで言われたらもう一個だね。まいどあり」
紙袋に詰めた7つのリンゴを笑顔で受け取って、ぼくたちは店先を離れた。
ぼくがエドワードさんの顔を見上げていると、「なんだ?」と問いかけられた。
「結局割安になっちゃいましたね」
「ん、ああリンゴの値段のことか」
エドワードさんと買い物に来るとこういうことがよくある。
エドワードさんはものを買うときに躊躇をしない。ちょっと値が張るな、と思うものでもどんどん買ってしまう。でも、さっきのようにおまけしてもらえたり何だりで、結果的に帳簿は黒になる。
「ぼくはちょっと高いかなって思ってたんですけど」
「高くても必要なものなら買うさ」
だから、欲しいものがあったら遠慮はするなよ。そう言ってぽんと頭を撫でられる。
高くても必要なものなら買う。高くて必要のないものなら買わない。じゃあ安くて必要のないものだったら、と聞いたらやっぱり買わないらしい。
昔旅から旅の生活をしていた頃の名残なんだと言っていた。次にいつ必要なものが買える機会があるか分からないから買えるときに買う、必要のないものを買い込んでも旅の荷物が重くなるだけだから買わない。そう聞いたときはなんて明瞭なんだろうと思った。
でも兄さんは反論がしてみたかったみたいで。
「じゃあもし、必要なものを買いたいときに手持ちがなかったらどうするんだ?普段からそんなぽんぽん買ってたらいざというときになって困らないか?」
エドワードさんは、ちょっと首を傾げて答えた。
「いや、オレ、基本的に金に困ったことないし」
「……は?」
「小さい頃は田舎だったし、母さん死んでからも村の連中が何くれと世話焼いてくれてたし、あー自分で稼ぐようになってからはオレ同年代の平均年収を大幅に上回ってたし」
ちなみに、とエドワードさんは人差し指をまっすぐに兄さんに向ける。
「それがオレが今のお前と同じくらいの年の頃の話な。」
「…そんな実入りのいい仕事は是非紹介してもらいたいもんだな」
自分の学費は自分で稼ぐ兄さんにとって、それはかなり切実な話だった。本当は借りは最小限にしておきたいけれども、弟のぼくはちゃんとした学校に通わせたいと言って学費はエドワードさんに出してもらっている。それで自分は夜間学校に通いながら昼間は働きに出ている。早朝の新聞配達に夕方ぎりぎりのアルバイトも入れてたこともあったけど、倒れる寸前で止められた。「フレッチャーが立派に成人して婿に行くより先に死ぬ気かお前!」と一喝されてようやく無茶はしないようになった。…でもどうして婿入りが確定なんだろう。お嫁さんもらう、って言う方が普通じゃないのかな。兄さんもそれですんなりと納得していたのがまたちょっと引っかかる。
そんな兄さんに、エドワードさんはひらひらと手を振った。
「やめとけ。…思い出したんだけど、オレも金に困ったことが何度かあったわ」
「というと?」
「いやあ上司がオレの口座凍結しててさあ。オレの金なのにおろせなくって本当、参ったわー」
「一体何をやらかしたんだ」
「人聞きの悪い。オレの所在がつかめなかった上司が強硬手段を取っただけだよ。…それ聞いた部下もこの手を使い出したのがまた困ったもんだったなー」
「そんな手を使ってまでしてようやく連絡が取れるような奴の、上司と部下に心から同情する。」
「あーとにかく、そんな上司に当たりたくなかったら軍関係の仕事はやめておけよーろくな目に遭わないから」
口調はさらりとしていたけれども、兄さんは軍関係、という言葉に眉をひそめた。兄さんと同じくらいの年に軍関係で高収入で、しかもエドワードさんは優秀な錬金術師だ。そこに漂うきな臭さはぼくにだって分かる。エドワードさんは「だからやめとけって言ってるだろ」と苦笑した。
そんな話をしたことを思い出していたら、リンゴをひとつ持たされていた。
「今日の晩飯にしようと思って買ったんだ。だから、思いつきで買った訳じゃないぞ?」
「晩ご飯?」
「そう。ほら、塩漬けの豚肉があっただろ、あれと一緒に焼こうと思って」
それはおいしそうだ、と思ったのが顔に出ていたみたいだ。「うまいぞ」といってエドワードさんは笑った。
「でもってこのリンゴは、料理に使ってもそのままでもうまい優れものなんだ。食ってみな?」
そう言って自分もひとつ取り出して、服の裾で皮を磨くとかぶりついた。ぼくもしばらく悩んでいたけど、意を決してエドワードさんをまねる。しゃくしゃくと噛むごとに、甘酸っぱい果汁があふれそうになる。こんな風に食べながら歩いたりしてるところを兄さんに見付かったら、きっと行儀が悪いと叱られる。
でも、「な、うまいだろ?」と嬉しそうな笑顔を向けられたら、そんな恐れはどこかに隠れてしまって、どこか浮かれた気分で頷くしかなかった。
この人は、弟さんにもこうだったのかな、とぼんやりと思う。
エドワードさんに兄弟がいたという話は、実は1度しか聞いていない。たった一度、古い写真を見せてもらっただけだ。
写っていたのは軍服姿のエドワードさんと、アルフォンスさんにすごくよく似た、でもアルフォンスさんとは違う人だった。アルフォンスさんよりいくらか大人びていて、よりエドワードさんに近い雰囲気があった。最初はてっきりアルフォンスさんの兄弟か親戚かと思ったけど、エドワードさんの弟だと聞いてすとんと腑に落ちた。
だからこんな風に笑っているのか、とパズルのピースがはまるみたいに納得できた。
弟さんについて、それ以上のことは何も聞いていない。どんな人なのかとか今どうしているのかとか、…実は少し聞くのが怖い。聞けないまま、ぼくは想像する。
「もう一個食べるか?」
「まだぼく半分も食べ終わってませんけど…それに、晩ご飯のリンゴでしょう?」
「そっか、そうだよな」
この人の弟だったら、どう答えていたのかな。
埒もあかないことを考えながら、ぼくはもう一口リンゴをかじった。

(220407拍手お礼/180907)
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