晴れて人間となったエンヴィーは、姉に連れられてセントラル・シティに来ていた。
ソラリスは迎えに来た娘に「じゃこれお願い」と弟を押し付けると入れ替わりに夫の元へと向かった。
娘はちょっと首を傾げて、叔父の頭の天辺から爪先までまじまじと見つめた。
「…エンヴィー、何か変わった?」
末娘はひどく勘が良い。エンヴィーは軽く肩をすくめる。
「根本的に」
「そう。おめでとう」
ふわりと笑うとエンヴィーの手から荷物をひとつ取り上げて、すたすたと歩き出す。仕方がないのでエンヴィーもその後ろを付いていく。
「母さんはなんて?」
「人間社会の常識を一通り身につけろってさ。ああ面倒くさい」
リゼンブールではきっと100年かかっても無理だ、ときっぱり断じてソラリスは弟を引きずり連行した。
リゼンブールという土地が良くないのではなく、エドワードの下にいるのがと言う意味なのはエンヴィーにもよく分かる。
エドワードの常識は元ホムンクルスの自分から見ても十分に怪しい。
そんな怪しい常識を身につける前に徹底的に矯正してしまおうとのソラリスの目論見を、娘は理解し頷いた。
「それでうちでしばらく暮らすって言ってたのね。」
「多分ね」
「でも嬉しいわ。ほら、父さんが入院してからうちは女所帯だから。やっぱり心配で」
「そう言うもん?」
人口稠密なセントラルは色々と物騒だ、と聞いてはいても実感はない。
何せこれまで人間如きの犯罪者など恐れたことがない。怪我をしても簡単に治るし滅多なことでは死ぬこともなかった。
腑に落ちない様子のエンヴィーに苦笑する。
「そりゃ母さんも姉さんも強い人かもしれないけど、やっぱりねえ」
「彼女らがどうにかなるような事態に今男手が一人増えた所でなんの解決にもならないような気がする…」
「そんな事言わないで、頼りにしてるわ、エンヴィー」
荷物を客間に置くと、娘は窓を開け放った。部屋に風が入る。
「そう言えば、名前はエンヴィーで良いの?新しい名前はもらわなかった?」
「呼び名はそれで良い。名前は身分証明偽造で作ったけど」
「なんて名前?」
「ヴィーラント・エンデ」
結局、エドワードの付けた名前だった。
ヴィヴィアンなどという女名は断固として拒否したが、自分では思いつかずエドワードの上げた名前を受け入れた。
「良い名前ね」
そう言って目を細めた。
「ヴィーとかぶるだろ。だから呼ぶ時はエンヴィーでいい」
「そうね、ちょっと似てる」
ヴィーは嬉しそうに笑った。
姉の子供の中でただひとり姉と同じ色を受け継いだ末娘は、その瞳の色にちなんでヴィオレッタと名付けられヴィーという愛称で呼ばれている。
エンヴィーは両親の優しく柔らかい部分をまとめて受け継いだようなこの姪が気に入っていた。
長女のスザンナは髪や眼の色は父親譲りなのにそれ以外はまるっきり母親似で、しっかり者で今は病気の父親とその介護に忙しい母親とに代わり事業を一手に引き受けている。
姉妹に挟まれた長男は、父親の容姿と山っ気と母親の気ままさを受け継いで現在行方不明だ。
家族が特に心配をしていないのはたまに異国の消印で絵葉書が届くので生存確認はできているから…だけではない、とエンヴィーは見ている。
ヴィーは何が気に入ったのか子供たちの中でも特にエンヴィーに懐いていた。
今はもうすっかりと成長したヴィオレッタを見るに付け、エンヴィーは人間って不思議だと思う。
あんなちっちゃな生き物が今はこんなに大きくなるんだもんなあ、そう言ったら当たり前でしょうと笑われた。
大きくなっても変わらない部分があるのがまた驚きだった。
からかうと頬を膨らませて怒った顔とか、涙ぐんで拗ねる顔とか、今のように笑う顔とか。
考えてみれば、一人の人間の成長を追って行ったのはこれが初めてだった。
これからは自分も彼女と同じように年を取っていくのだという自覚はまだない。
「良いのかどうか分からないな」
「由来は知ってる?変身の得意な妖精王の名前よ」
それを聞いたエンヴィーは複雑な表情になった。
「知らなかったの?」
「…イヤミで付けたのか、あいつは」
「違うと思う」
「そうか?だってもう変身能力はないんだぞ?人間なんだから」
「それも少しは考えたとは思うけど」
ヴィーは機嫌がぐんぐん悪くなるエンヴィーをなだめるように苦笑した。
風に煽られるエンヴィーの髪を見て、ちゃんと結った方が良いわねと考える。
「ヴィーラントは優れた鍛冶屋でもあったの。幽閉されたけど金属で翼を作り空を飛んで逃げたんだって」
今日はとても天気が良い。リゼンブールとは違い、セントラル・シティの空は広くはないが高く澄んでいる。
エンヴィーは黙り込む。まだ納得はしてないようだが、ヴィーは笑って言った。
「大地に眠る金属を見出して火で清め命を吹き込んで、新しいものを創り出すのが鍛冶屋よ。その名前に込められた願いは、きっとそう言うことなのよ」
そのおとぎ話を、ヴィーは昔エドワードから聞かされたのだ。エドワードが知らずに付けたというのはありえない。
「…そこまで深く考えているのかね、あいつが」
ふいっとそっぽを向いて呟いた。
平静を装うがどうしても熱が顔面に集中する。人間って厄介な作りになってやがると内心で毒づく。
「でもきっと、エンヴィーには新しい名前と新しい命で生きていって欲しいと思っているわ。…多分、誰よりも。」
そんなことはとうの昔から知っている。それこそ彼女が生まれるよりもずっと前から彼は願っていたはずだ。
エドワードの中に取り込まれた「お父様」の石は、エンヴィー達ホムンクルスの核と強く引き合っていた。
「それでは駄目なんだ」と何度か言われたこともあった。何が駄目なのかはいまだにエンヴィーには分からない。
分からないと言えば、どうして突然自分が「人間」になれたのかも分からない。
エドワードによれば人間になるには本人が強く願うことともう一つ条件があるらしいのだが、彼はそれを明言したことは一度もなかった。
「それ」を自分で見つけ出さなければ人間にはなれないんだ、と諭すように微笑して言われた。
結局それがなんだったのかよく分からないままエンヴィーはあっという間に人間にされてしまった。
いささかならず腑に落ちないことはあったが、なってしまったものはしょうがない。
それならば好き勝手に生きてみよう、とエンヴィーは覚悟を決めていた。
いったんそう決めてしまうと、何だか今までとそう変わりがないような気もしておかしかった。
だんだんと気分が浮上してきた叔父にヴィーはほっとしたように微笑んだ。

「あなた、新学期から学校に通うことになったわよ」
少し遅くに帰ってきたソラリスは明日の天気を話すような気軽さで弟の進路を告げた。
「明日から制服作りに行ったり教科書準備したりしなきゃね。ヴィーも手伝ってやってちょうだい」
「はぁい」
「何勝手に決めてるんだおばはん!そんなこと急に決められても!」
「思春期に集団生活を体験するのは社会性を身に付けるのに良いことよ」
「本気で言ってるのかそれ!?」
「あら、楽しいわよぉ」
そう言って編入手続きに関する書類をエンヴィーにひらりとかざして見せた。
彼女の方がよっぽど楽しそうだったので、だったらあんたが通えばいいじゃんかと思ったが口にはしない。
…嬉々として制服など着られたら怖い。
「この学校。アルフォンス・ノヴァーリスの通う学校なのよね」
目を瞠るエンヴィーに、いたずらが成功した子供のような目で笑う。
そうして落ち着いてその言葉の意味を吟味して、エンヴィーもまたにやりと笑う。
「確かにそれは楽しそうだ」
「でしょ?」
アルフォンス・ノヴァーリスが誰だか分からないヴィーは書類に目を通していた。
「…ヴィーラント・エンデ。17才。…ってことは、私よりひとつ下ってことね」
「え」
エンヴィーは慌てて書類をひったくる。そうして隅から隅まで目を通す。
「まあいくつでも良いとは思ったんだけど、アルフォンス・ノヴァーリスと同じ学年の方が良いかと思って」
その心遣いはありがたいのかありがたくないのか。
それがエンヴィーにとって妹のような存在だった少女が、姉のような存在になってしまった瞬間だった。

(190206)
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