ゆっくりと意識が浮上する。
ずいぶん長い間眠っていたような気がする。時計を探すけれども、暗くてよく見えない。
重い頭をようやく回らせて、目を細めて時刻を見る。針はぼんやりと滲んで結局何時なのか分からなかった。
そもそも、今が昼間なのか夜なのかも分からない。昼にしては暗いと思うし、夜にしては薄明るい。
(そう言えば、今日は何月何日なんだろう)
兄さんは、3年で戻る、って言いきって出て行って。
あれからそろそろ3年になるんじゃなかったかな。ぐらりと頭の中が揺れる。
「シンとアメストリスとを往復して、錬丹術も習って3年で戻ってこれるの?」
「戻るっつったら戻る。だから待ってろ」
妙に怒ったような表情で、思わず笑ってしまったら「何がおかしい!」って怒鳴られた。
「いいか、3年で帰る。だからお前も3年、持ちこたえてろ」
真面目な顔で、そう約束して兄さんは旅に出た。
約束は守る人だから、きっと3年で帰ってくる。
…でも、ボクは約束を、守れるだろうか。
あれこれ手を尽くしても、症状は緩やかに深刻になっていく。この国の医学は対症療法的なものが多くて、根本的な治療法は見付からなかった。
人体に関する知識と研究なら、ボクも兄さんに決して負けていないと思う。
母さんを錬成しようとした時から始まって、賢者の石の錬成の時もボクは兄さんの傍にいてずっと見てきた。
賢者の石を取り込んだ兄さんを、元に戻す方法もずっと捜してきた。
ボクの身体を取り戻して、兄さんが不死の身体になってしまった時。ボクも国家資格を取って研究したいと言ったら反対された。
それどころか、自分は軍人になると言いだしたからボクは必死で問い質した。
「オレには責任があるんだ」
ぎゅっと左胸の辺りを握り締めてそう言った。
そんなの兄さんの負うようなことじゃない、そう言っても首を振るだけだった。
「この心臓抱えて混乱状態の国にいる訳にはいかないだろ?よそに逃げりゃ、よそで厄介なことになるだろうし。…だからさ、とりあえず、戦争と混乱を終わらせようと思って。」
「それでそうして軍に入るの?わざわざ一番危険な方法をとることないじゃないか」
「これが一番手っ取り早い方法だと思ったんだよ。…それでな、アル」
兄さんの金の瞳が、真っ直ぐにボクを見た。静かに、揺るぎなく輝く極北の星のように。
「お前には軍人でもなく国家錬金術師でもない人間にしかできないことを頼みたい」
「…たとえば、どういうこと?」
「それくらいお前が考えろ」
くすくすと笑って手を伸ばし、ボクの頭を撫でた。今はもう身長差があるから難しいだろうに、その仕草は変わらない。
「…実際、オレは正式に軍人になって、軍のやり方で色々なことをやると思う。…人を殺すことも、あると思う」
小さく声を潜める。
「でもって、人間として決して褒められたことじゃないこともやらなきゃいけないだろうと思う。そう言う時、お前は傍にいたらきっとオレを許すだろ」
「それは」
「どんなことをしても、お前がオレのすぐ傍にいてその行動を逐一見ていたとして。お前はきっと、それなら仕方がないと言うと思う。でもそれじゃ駄目なんだ」
「…どうして」
「それは許されてはいけないことだから。」
はっきりと兄さんはそう言った。
「近くにいるとどうしても感情移入って言うか、仕方がないなって意識が働くと思う。でも、距離を置いておけば冷静に見られるだろ」
「そう言うものかな。でも兄さん、一人でやってける?大丈夫?」
「大丈夫なようにやっていこうとしてるんだろうが。だからさ、アル。オレが胸張ってリゼンブールに帰れるように待っててくれって。兄ちゃんはそう言ってるんだ」
小さな子供にやるようにぽんぽんと髪を撫でながら笑う。ボクは大きくひとつ息を吸って、吐いて。
「このバカ兄!」
その手を取って軽く投げた。兄さんは咄嗟のことにびっくりしながらもちゃんと受け身は取っている。修行の成果が身に染みついてるよなあと変に感心する。
「そうやってまた一人で決めて一人で背負い込んで!ボクには相談なしかよ!」
「な!背負い込んじゃいねえよ!だからお前にはオレにできないことやってくれって頼んでるだろうが!」
「どこがだよ!そんな風に兄さんの中で確定事項になっちゃってたら、ボクは頼まれてやるしかないじゃないか!」
床に転がった兄さんは、ぽかんとボクを見上げている。ボクはなるべくふんぞり返って、兄さんを見下ろして言う。
「待ってるよ。安全な片田舎で兄さんの身体を元に戻す研究続けてる。」
「…アル」
「兄さんのろくでもない噂聞いたら、師匠より先にぶっ飛ばすからね?」
兄さんは心底ほっとした表情で頷いた。
それから数年で、本当に事態をほぼ収束させてリゼンブールに帰ってきた。
思ったよりも早いなあと思っていたら、兄さんはボクの容態に気付いていたらしい。
後から事後処理のために来たロス中尉の話だと、急な話に泣いて引き留めにかかった部下の人とかもいたんだそうだ。兄さんはきっちり説得したらしい。…拳で。
「でもそんな事情なら仕方がないですね」とロス中尉に何とも言えない表情で言われた。
その時はまだ目だった症状も出ていなかったはずなんだけど、兄さんの目は誤魔化せなかった。
兄さんの中の賢者の石を取り出す研究は中断して、ボクの治療に専念することになった。
けれど決定的な治療法は見付からない。
そうして兄さんは突破口を見いだすためにシン国へ行った。
兄さんが行ってしまった後も、ボクは手に入る文献を片っ端から読んでみた。
それが見付かってばっちゃんには怒られトニーには心配をかけて(何がきついって、「それじゃまるでエドと一緒だよ」と叱られたことだ。言われてみたらそうかもしれない)それでもやめる訳にはいかずに隠れて調べて。
そうしておぼろげに分かったことは。兄さんが錬丹術を身につけて帰ってきても、ボクはその治療に耐えられないかもしれないと言うことだった。
体質そのものを時間をかけてゆっくりと変えていく。その時間も体力も、ボクにはほとんど残されていない。
まぶたが重い。自分の目が開いているのか閉じているのかも分からない。
(暗いなあ)
朝と夜の間がずっと続いているようだ。
鎧の頃、息を詰めて朝を待っていたのを思い出す。
眠れない身体で、たった一人で朝を待つ。東の空が明るんでくると、どうしてか緊張した。無事に太陽が昇ると、安心した。
夜でもなく昼でもない、あの境目にはらむ緊張は一体何だったのだろう。
(…だんだん暗くなってくるみたいだ)
夜より暗い深淵に、するすると引き込まれていくような感覚。
(怖くはない、な)
少しずつ少しずつ、意識がそこへと沈んでいく。
それに飲み込まれたら、もう戻ってはこれないと思う。
(…うん、真理に取り込まれた時よりは怖くない)
心残りは山ほどあるけど、恐怖感はない。
兄さんの身体を戻せなかったこととか、兄さんの帰りを待っていられなかったこととか、もっと兄さんと一緒にいたかったとか。
…あれ、ボクの未練って兄さんのことばかり?
だってあんなバカ兄を一人残していくなんて心配に決まってるじゃないか。
もう人体錬成はしないだろうけど、それ以外のことで周りに迷惑かけまくって心配かけまくっていくに違いない。
それに。きっともう兄さんは、自分が元に戻ることを諦めてる。
だから、ボクがその方法を探さないで誰が探すんだよ。そう思っていたけど、どうやらもう時間がない。
どんどんと暗くなり、ボクの世界が閉じてゆく。
「アル!」
ばん、と扉の開く音を聞いた。
途端に光が射したような気がした。
「アル、おい目を開けろ!帰ってきたから!」
必死な兄さんの声で、ボクは何とか目蓋をこじ開ける。部屋は暗くて、視界は狭い。
兄さんだ。
そこだけぽつりと明るい。金色の光。
ボクは、嬉しくなって笑った。本当に笑えてたのかは分からない。兄さんは泣きそうな怒っているような表情でボクのすぐ傍にいた。
(笑った顔だったら、もっと良かったのに)
きっとこれが、ボクの見る最後の世界だ。
最後の最後に、一番見たかったものが見られた。それでもう、ボクはあの深淵に向かっていける。
ボクは、目を閉じた。

(090106)
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