東方司令部はその日忙しかった。
消息不明だった連続殺人犯の目撃情報が得られたり、３日後にイーストシティ発の列車を爆破するとの犯行声明が出されたり、水面下で進めていた不正な帳簿に関する調査の報告が上がってきていたり、綱紀粛正キャンペーンのために中央からミス軍部を連れて肩書きだけは偉い人がやってきていたりとか、とにかくのっぴきならない忙しさだった。
書類は宙を飛び空を駆け、銃弾は容赦なく大佐の顔面すれすれに撃ち込まれる。
調査報告を受け取りに来たはずのヒューズが扉を開けた途端に「失礼しました」と言って回れ右をしそうになったほどの状態だった。
「待て逃げるなヒューズ！」
「そうです中佐！この報告書と調査書と帳簿と裏帳簿に目を通してからにして下さい！」
「中尉、仕事増えてる！俺は調査報告受け取りに来ただけだ！」
「ついでに大佐が逃げないようしばらくここでこちらの書類の処理をしながら見ていて頂けませんか？」
そう言いながらどさりと書類の束をヒューズに手渡した。
書類の処理係になってしまったのは確定済みらしい。手の内の重みに、深々と溜息を吐く。
諦めてヒューズは空いている机に着いて書類を下ろした。
「猫の手も借りたいほどの状態みたいだな」
目も上げずにマスタングは答える。
「だが猫は手を貸してはくれん」
見れば、窓際の日溜まりに子猫は丸くなって眠っている。
開きっぱなしの雑誌が数冊と少しかじった跡のある干した小魚が彼の脇で陽光に晒されている。
そこだけまるで別世界から切り取られてきたかのように平和だった。
「仕方がねえなあ、子猫は寝るのが仕事みたいなもんだ」
ふわふわと日に透ける金の毛皮を見やり、何となく穏やかな気分になる。
だがしかし。
「今朝方まで錬金術書の解読に夢中だった」
「それに付き合っていたために大佐の仕事がたまっているんです」
マスタングがうんざりした声で言い、ホークアイが怜悧に補足する。
ヒューズはまじまじと眠る子猫を見た。
「…でもまあ、まさか本気で猫の手借りるわけにもいかねえしなあ」
そう冗談に紛れるように笑って言った。
だがしかし。
「昨日までは借りていたからな…」
「そのおかげでこの程度で済んでいるんですが」
遠い目で遥かな昔を懐かしむように言われかくりと顎を落とした。
よいしょと段ボール箱を下ろしたハボックも、しみじみと述懐する。
「大将が書類の区分けをしてくれてたんでスムーズに行ってたんすけどねえ」
「………猫が？」
「その位は出来るぞ、さすがにペンで文字を書いたりは出来んが」
「……………猫が、か？」
「書類に目を通すのは早いわ分類は的確だわで大いに助かってたんすよ」
「猫だろ？子猫だろ？」
「でも一応国家錬金術師で少佐待遇だから問題はない」
「あるだろ大いに！！」
「あ、その書類は区分け済みですから。」
後は処理を待つだけになってますよ。ホークアイがさらりと言った。
よくよく見れば書類の隅に小さく爪を引っかけた後も見えないではない。しかしそれは言われなければ気が付かないほどの小さなものだった。
「で、そこの雑誌と錬金術書がその報酬だったというわけだ。」
子猫がわずかに身動いだ。いつになく重たげにしっぽを揺らす。
「今は英気を養ってもらって、午後からミス軍部の応対に出てもらおうと思っていたところだ。」
忙しくてそんなもんに割く人員はないので、子猫で骨抜きにしてしまおうと画策していた。
呆然とヒューズは呟いた。
「…そこまで人材枯渇しているのか？東方司令部は…」
「そう言われるのはやや心外ですがね」
ブレダが手は止めずに苦笑する。
「使えるものは猫でも使う。いわんや使える優秀な猫をや、と言うところですね」
「今から人事に掛け合って使えない新人入れるよりは数層倍役に立つ。それだけだ」
マスタングも素っ気ない。素っ気ないのは雑談に振り向ける心的余裕が不足しているせいだ。
下手に手を止めればどうなるかは机に撃ち込まれた銃弾の痕が雄弁に物語っている。
「それよりお前もその書類を片付けろ。猫以下と言われたいか？」
「その猫が本当に猫なのかは疑わないのか？」
「猫でなかったところでどうなんだ？今現在役に立つのならばそれで良い」
きっぱりと言い切る親友の顔がめっきり本気だったので、ヒューズもそれ以上何も追求せずに目の前の書類の山を消化することに集中した。

尚、子猫の優秀さはミス軍部を完璧に手玉に取った上、連続殺人犯を潜伏場所から引きずり出し列車爆破に用いられるはずだった大量の火薬を見つけ出したことでも証明された。
その場に居合わせた軍法会議所の中佐によりそれは確認済みである。