声をかけたのにぴくりと耳を動かしたっきり動かない子猫に首を傾げ、ハボックは子猫に倣い空を見上げた。そしてすぐに納得する。
「ああ、雪っすか」
ねずみ色の空の下、ひらりひらりと舞うものが見え隠れする。
確かに冷たい白い結晶は、だが地表をぬらすほどではない。何かに触れた途端に溶け去ってしまう。
ハボックの見てる傍から、子猫の鼻先にふわりと落ちて、かすかな吐息にはかなく消えた。子猫が、瞬間の冷たさと幻のような感覚に目を瞠る。
ぱちりと瞬いた様子に、ああ、とひとつ思い当たることがあった。
「大将、もしかして雪を見るのは初めてっすか」
今年最初の雪を今年に入ってから生を受けたであろう子猫が見るのは間違いなく初めてだった。ふっくらとふくらんだしっぽと、次に落ちてきそうな結晶を狙い定めている目とがそれを物語っている。ちらちらと瞬くように降る雪に明らかに興奮している。
そこらの学生を上回る読書量を誇るこの子猫が雪の存在を知らないはずはない。古今の書籍でその存在そのものは知っていただろう。
だが、百聞は一見に如かず、とも言う。いくら古紙のにおいとインクのしみとに馴染んだところで、雪の匂いと冷たさ、軽さを実感はできない。
子猫は現実を体当たりで知る機会にようやく恵まれ、全身でこの現象を享受していた。
…などという小難しいことは考えずとも、初めての雪にわくわくとする子猫はハボックには充分微笑ましかった。雪の根元まで駆け上ってルーツを解明したいとでも思っていそうな子猫に笑みがこぼれた。
けれども子猫の小さい体では雲のむこうの雪の女王の住処はあまりに遠い。
ハボックがその体をすくい上げると、思った通りずいぶんと冷え切っていた。
先ほどまできらきらと輝く目で空を見つめていた金色の眸を、不満そうな様子でハボックに向ける。
「これじゃ風邪ひきますよ、大将。雪ならこの後いくらでも降りますから、とりあえずは中に入りましょう」
ゆっくりと背を撫でる手の温かさに、ようやく寒さを自覚したようだった。不機嫌顔を納め大人しく手の中で丸くなる。
積もりそうもない雪の観察を諦め、運ばれるままに屋内へと向かった。

「見たかった」
次の日、出張から帰ってきた上司は憮然とした顔で呟いた。
不在中の報告の最後に付け加えられた子猫の話に対する感想であることは明らかだった。
「や、目ぇきらきらさせてる大将なんてよく見るじゃないですか」
主に錬金術書を前にしたときの表情のことを指している。ページめくり係はそれでは飽き足らなかったらしい。
「私は初めての雪を目にして感動の嵐の最中にいるこれを見たかったんだ。生涯最初の雪を見るエドワードにはもう二度とお目にかかれないんだぞ?」
ああこの人本当にあの親ばか中佐と親友だったんだなあと部下は乾いた笑いを押し殺した。言ってることがまるで同じだと言うことに本人は気付いていない。
親友と言うよりは類友か。
子猫は机の上でお土産のセントラル夕刊紙および早売り雑誌を検分していたが、大佐をほんの半瞬だけちらりと見て、小さく鼻を鳴らした。
そしてすぐに雑誌の見出し確認作業へと戻る。
マスタングはいつになくまじめな顔で子猫と視線を合わせた。
「それで、雪を見ての感想はどうだ?」
「…にゃ」
邪魔すんじゃねえ、やかましい、鬱陶しいんだよ、あんたの知ったこっちゃねえだろ、聞いてどうするんだよそんなこと、と言う様々なセリフがぎゅっと凝縮された一声だった。
猫語の心得などないハボックにも良く分かったくらいだから、ましてやマスタングの心にはぐさりと刺さった。
「じ…時間がなかったんだ、これだってやっとの事で買って列車に飛び乗ってきたんだぞ」
「別に土産に不満はなさそうですよーつーか、大将が土産を要求した試しなんかないでしょ」
めぼしい専門書の発売日が出張期間と重なっていなかったことはとうに子猫も把握済みである。
大体読みたければ出張などには関係なく容赦なく取り寄せさせる。知的好奇心の小腹を満たす程度なら、三流ゴシップ誌程度の読み物であっても子猫は充分に満足するようだった。とやかく贅沢は言わず、足を知ると言うことを分かっている猫だった。セントラルシティであっても発売日でもないのに本が並ぶことはないと言うことはちゃんと知っている。…だから早売り雑誌にはそう言う意味で非常に興味を覚えたようだったが内容を見て実状を類推したようだ。
ハボックは軽く肩をすくめて書類箱を机の上に重ねた。
「…で、こちらが出張中にたまった決裁待ち文書その1です」
「……その1?」
「以下絶賛継続予定っす。出張前に大佐が振り切ってった奴もありますから」
書類は逃げずに待っていた。健気なもんだと他人事のように思う。目の前の上司の顔色が多少悪くなった気もするが気にしない。
「その2その3はまた後ほど持ってきますから、それまでにこれ終わらせておいてくださいね」
間違っても子猫と遊ぼうなどと言う気は起こさないでくださいね、と一応釘を刺したが多分必要のないことだった。子猫はもう夕刊紙の大げさな見出しに興味津々で大佐にかまってなどいなかった。
そんな様子にすっかり油断して執務室を後にした。
その1時間後。
「………大佐?」
書類箱その2その3を抱えたハボックを従えたホークアイが執務室の扉を開けたときに目に入った光景は、想像を絶していた。
執務室は純白に覆われていた。
「いや、そのこれはだな」
あわてふためいて言い訳をするマスタングを余所に、子猫は床に描かれた錬成陣の横でしきりに首をひねっている。
「人工降雪の錬成実験をだな」
「今やる必要がありますか」
「エドワードだ!あれがやりたがったんだ!」
「にゃあ」
即座に子猫の意見が差し挟まれた。猫語翻訳を介するまでもなく否定の声だ。
くるりと振り向いてマスタングに向けられた視線は雪のように冷たい。
「そもそも、猫は寒いの嫌うでしょうに。部屋をこんなに冷やしてどうするんすか」
机の上の雪を軽くはらってよっこらしょと書類箱を積み重ねる。ホークアイの方からかしゃんと硬質な音が聞こえたので、あえてそちらは視界に入れないように子猫をすくい上げる。
昨日の比ではなく子猫の足の裏は冷たくなっている。あーあ、と内心で呟いた。
子猫はちょっと首を伸ばしてハボックの腕の中からなお錬成陣を見ていたが、「ぐな」と一声鳴くと興味を失ったかのように丸くなった。
「…エドワード君の興味は充分に満たされたようですね」
「待て、中尉!話し合おう!」
「ハボック少尉。エドワード君を暖かいところへ」
「イエス、マァム」
上官の命に反するような軍人ではなかったハボックは、色々な意味で凍てついた執務室を辞去した。

なお、子猫が改良型人工降雪錬成陣で中庭を銀世界に変えたのはこの3日後のことである。

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