「今日は大将来ますかね。」
「来るだろうな。」
執務室の扉が少し開けられているのを見て言ったハボックに、つまらなそうな顔でマスタングが答えた。
「どうして分かるんすか？」
「今日は『月刊・錬金術の友』と『季刊・暮らしの錬成』の発売日なんだ。」
分厚い専門雑誌を無造作に書類の上に放り出す。
『特集・鉱物錬成Ｑ＆Ａ』などと言うどこが購買意欲をそそるのか（少なくともハボックには）分からないあおり文句が表紙を飾っている。
「まず間違いなく、これを目当てに来るだろうな」
「…猫が、本を読みに、ですか？」
「本なら図書館に行っても読めるのでは？」
ホークアイが素朴な疑問を投げかける。
確かにこれだけ軍内部に好きなように入り込んでこれる猫ならば、図書館に潜り込むこととて何の造作もないだろう。
そう言うと、大佐は苦り切った表情で首を振った。
「図書館では入り込んだ所であれのためにページをめくってやる人間はいないだろう」
「まあ確かに、普通追い出されるでしょうね。」
「…あの、スミマセン、あの猫字読めるんすか？」
「何だ今更。お前だって食堂であれが新聞読んでいる所を見ているだろう」
「え、いやだってあれは新聞の上で寝てるもんだとばっかり」
「結構くまなく見てるぞ、三面記事から株式欄まで」
新聞紙は軽いので自分でも何とかめくれるらしい。
しかし読んでるものが経済社会面だと途端にファンタジー色が薄れていく気がするのは何故だろう。
「言ってる側から…来たぞ。」
「にゃあ」
足音もさせずに子猫がするりと部屋に入ってくる。一声鳴いたのはノックの代わりのつもりらしい。
真っ直ぐにデスクの方へやって来て雑誌を目に留めると眼を細めて喉を鳴らす。
「…本当に本が目当てだったんだー…」
俺がビーフジャーキーやった時より嬉しそうだ、とハボックは呟いた。
子猫を抱き上げたホークアイが「子猫に上げるには不適切じゃないかしら」と注意する。
すぐにも読みたそうな子猫に、中尉はすまなそうに詫びる。
「ごめんなさいね、大佐はまだ仕事が溜まっているの。読書はもう少し待ってくれる？」
「ぐなぁ。」
猫は恨みがましげに大佐を睨む。
「ページをめくるだけなら、俺がやりましょうか？俺は取り敢えず業務に一段落付いてますし。」
子猫の小さな頭を撫でながら少尉が申し出た。滑らかな毛並みを撫でていると心が和む。
「駄目だ、私だって読みたいんだ」
「なら仕事終わらせましょうや」
「私より先に猫が読むのは納得がいかん！」
まあそうでしょうけどねえとしらけた眼で大人げない上司を見る。
「そういえば…この猫には名前はないんですか？」
「…名前？」
「そう言えば、皆勝手に呼んでるっすね。猫とかチビとか…っていってえ！」
チビ、と言った所で派手に引っかかれた。子猫はホークアイの手の中でうなり声を上げている。
「…他にもそう呼んで引っかかれたものが多数いまして。それで、出来れば正しい名前を教えて欲しいとの要望が」
「多数案だと引っかかれるのか？厄介だな。」
マスタングにも躍りかかって行きたそうな勢いだったが、ホークアイの手を振り切る訳にも行かずに子猫は盛んにうなっている。
「取り敢えず適当に付けておこうか。アリシアとかベアトリスとかクレアとかダイアナとかエミリーとか」
「全部女性の名前ですね」
「オスでしょ、こいつ。」
「分かっているが男の名前など羅列した所で面白くも何ともないだろう」
一同の大佐を見る目の温度が更に下がった。子猫さえも金色の目を眇めて呆れている。
場の空気を変えようとハボックが調子を変えて提案してみる。
「あ、でもＡＢＣ順で羅列してみるのは良いかもしれないっすね。」
「アーサーとかバーナードとか？」
「そうそう、チャールズとかダニエルだとかエドワードだとか」
「にゃあ」
「…………」
しっぽをぶらんと揺らして子猫が鳴いた。
「………エドワード？」
「にゃあ」
「………」
「…エドガーでもエドモンドでもエスターでもユークリッドでもなく、エドワード？」
「にゃあ」
マスタングがしつこく確認を取るために名前を上げると、やはり『エドワード』で返事が返る。
あっけにとられたハボックは、さりげなく混ぜられた女性名につっこめなかった。
しなやかな身のこなしで子猫はデスクの上に降りると、雑誌の表紙に見入っている。
「…少尉。猫の名前はエドワードだと、皆に知らせておけ。」
「アイアイ、サー。…あ、エドって縮めてもいいんすかね。」
構わない、と言うようにゆるりとしっぽが振られた。
子猫は本の下から書類を一枚引き出すと、マスタングの眼前に置いてぺん、と前足で叩く。
さっさと終わらせろ、オレは本が読みたいんだ。と言うことらしい。
「私は君の何なんだ、エドワード…」
「飼い主でないことだけは確かですね。」
その後、大佐は部下と子猫に見張られてどうにかこうにか書類の山を片付けた。