バカ弟子その１の小さな身体が小気味よく飛んでいく。
悲鳴は聞こえたが綺麗に受け身を取ったのは分かっているので気にしない。
ついでの勢いでその２の方も放り投げる。こっちは大層派手な音を立てて倒れる。
「動きに無駄が多い。エド、技に力が足りないのを数でカバーするのは良いが精度を上げてかなきゃ意味がない。
先にスタミナ切れを起こすよ。」
アルの方は起き上がって拝聴の姿勢を見せている。
「アルは思い切りが悪い。だから動きが途切れる。やるなら思い切りよくやれ。」
「はい。…でも師匠や兄さんほどには思い切れないような気が…」
「何か言ったかい？」
「いえ何も！」
慌てふためいてぶんぶんと首を振るアルに一つ、溜息を吐く。
そう言えばエドの方はひっくり返ったままだ。
「どうした？何処か打ったか？」
何処も打ってはいなかったと思ったが、一応は訊いてみる。
地面に大の字になって寝っ転がって、ぼんやりと空を見ている。
あれじゃあ髪の毛まで埃まみれだ。後でちゃんと流させないといけない。
「なー師匠」
「何だバカ弟子」
「空がすっげえきれい。」
惚けたように空を見たまま、そう言った。
…本当に頭でも打ったんだろうか。そう思わないでもなかったが、つられるように空を見た。
何の変哲もない、抜けるような青空があるだけだった。
空の構成物質でも解析しているんだろうか。だとしたら筋金入りの錬金術バカだ。
そもそも大気組成が美しいって言うのは一体どういう感性だろう。いや美しいとは思うけど。
バカ弟子その２は首を傾げている。無理もない。
「なー師匠、何でこんなにきれいなんだろ？」
相変わらず転がったままのエドワードを見下ろした。
焦点の合わないぼーっとした目をしているのかと思いきや、金の瞳は殆ど地上の太陽だった。
強い意志と思考を映して、炯々と輝いている。
ああそうか、と不意に思い当たる。この目は世界を見ている目だ。
世界であり、全であり、一であり、真理である『それ』を見ている目で、蒼穹を見ている。
と言うことはだ。私は今『世界は何故美しいのか』を問われているのか？
難しい質問をしてくれるな、バカ弟子。
「この空のどっかでは、小悪党がバカみたいな陰謀を巡らせてたり、理不尽な理由で親を亡くす子供がいたり、
不条理に殺される人がいたり意味もなく悲しみに晒される人がいたりするのにさ。」
何処から声を出しているのかと思うほど、いつもと違う平坦な声で淡々と語る。
まるで何かの歌のようだ。ゆったりとした子守歌。
「禁忌に触れて色々持ってかれて、それでも無様に足掻いている罪人とか。
それでも矢っ張り、何処までも空がきれいなのは一体何故だろう」
アルフォンスは困ったようにこちらを見ている。アルとしても、こんなエドを見ることは殆どないんだろう。
「それでも、世界は美しい。」
はっきりと言ってやる。
エドワードもそんな答えはとうに知っていて、揺るぎもせずに聞いている。
「醜くても無様でも、そんなことは世界には関係はない。
悲しみや憤りに満ちていたとしても、知った事じゃない。」
多少の誤謬は見逃せよ、バカ弟子。これでも必死なんだから。
「喜びや楽しみがあるから美しい訳じゃない。
ただ世界があるがままにある、そのことが奇跡的で美しいんだ。…これで良いか？」
エドが静かに目を閉じた。何処か辛そうにも見える無表情で、だがそれは起き上がると同時に霧散する。
腹筋の勢いで立ち上がって、腕を２，３回回して首も回す。
いつも通りに笑うと、仁王立ちで偉そうに頷く。
「ま、よしとするかな！」
「何を偉そうに言ってんだお前は！」
「いってぇ！」
思い切り背中を叩いてやると大袈裟によろめいた。
「…何だったんですか？」
さっさと行ってしまったエドワードの背を示してアルフォンスがおずおずと聞いてくる。
「さて。何と言ったものかね。」
相変わらず雲一つないインディゴブルーの空を見上げる。
「ボクにとっても矢っ張り、世界はきれいなものだと思いますけど。」
柔らかな幼い声でアルは言う。
そりゃあそうだろう、と思わず頷いてしまいそうな声だったが、しかし。
「兄さんがいる限りはですけど。」
続きを聞いて物凄い勢いで顎が落ちた。
「…何だそりゃ。」
筋金入りのシスコンだと言うことは分かっていたから、どうにか持ちこたえはしたが。
「だって、ボクにとっては兄さんが世界そのものと言っても良いくらいですから。」
それでもダメージは小さくはない。無邪気な爆弾発言をただ黙って聞くしかなかった。
「だから、兄さんがきれいだと思うのと同じように世界もきれいだと思うんです。」
「………そうか。」
これはもう処置がない。
やっとの事でそれだけ返答する。
こんなバカどもでも、世界が美しいというなら、それで良い。
そう思いきると、まだ何処かぽややんとしているアルの腕を引っ張って店に向かった。