がたごとと、荷馬車が揺れる。
野良仕事帰りのおじさんのご厚意で、ボクと兄さんは荷馬車の後ろに乗せて貰っていた。
うちの馬はのんびりやで、着くのは遅くなるかもしれないが構わんか、と言われたとおり馬はマイペースに歩く。
このくらいゆっくりな方が今の兄さんには丁度良いと思う。少し顔色が悪い。
積まれた干し草に軽く身体を預けて、遠くを見ている。何処までものどかな田園風景だ。
「…───……」
小さな声で、兄さんが歌を唄っている。
風に乗って、おじさんの耳にも届いたらしい。
「何て歌だい?きれいな声だね、兄ちゃん」
「あ、すみません」
「いやいや、もっと大きな声で唄ってくれても構わないよ」
恐縮する兄さんに、おじさんは闊達に笑って見せた。
「聞いたことのあるようなないような歌だな。何て歌だ?」
「さあ、よく分からない。昔俺たちの母さんがよく唄ってくれた歌だったんだけど…」
「歌詞も、随分古い言葉みたいで。意味はよく分からないんです。」
何処か懐かしい旋律と優しい響きの言葉は母さんのお気に入りだったようで、機嫌の良い時にはよく口ずさんでいた。
兄さんも、それを口伝てに覚えてしまったようで、矢っ張り気分の良い時にはつい口をついて出る。
こんな風に、空が高くてよく晴れた時などは、特に。
「子守歌、なんだと思う。花が咲いて、鳥が歌う…とか、そんな歌詞だけど」
「兄さん、意味知ってたの?」
吃驚して聞き返す。
「いや…断片的にしか。」
吃驚したボクに、ちょっと戸惑ったみたいだ。
そうすると、その『本当の』意味には気付いていないと言うことだ。
ボクは心のどこかで安堵した。そうだよね、気付いてたら絶対に唄ったりはしないはずだよね。
この歌は父さんの研究書だ。
ボクも長い間気付かなかった。それはある日突然、天啓のように降ってきた。
眠れない身体になってから、夜兄さんが寝ている間は本を読んだり、考えを巡らせたりして朝が来るのを待っている。
そう言う時間つぶしの一つに、この歌の解釈をしてみたことがあった。
それが研究書だと知ってて取り組んだ訳じゃない。単に知らない言葉があまりに多かったのと、…それと、この歌が好きだったからだ。
唄う母さんと、傍らで聞いている兄さんと、一緒にいた時があまりに幸せだったのだ。
幸福な思い出と直結したその歌の意味が分からないのは、何だか悔しいような気がした。
その時は野宿で辞書もないから、朧気な知識や記憶からああでもないこうでもないと歌詞をひねくり返していた。
星が随分きれいな夜だったのは覚えている。
そろそろ行き詰まってきたその時に、はたと思い当たったことがあった。
昔、リセンブールのあの家の、父さんの書斎にあった交響曲の楽譜。
あまりに場違いだったのできっと研究書だろうと、兄さんと解読を試みたけど、どう頑張っても研究書には程遠くて諦めた。
あれと歌と、関係はなかっただろうか。
そう思いつくと、後はするすると解けていった。
あの楽譜は暗号解読表で、歌が隠された研究書だったのだ。
それは、完全なる生命を作り出そうとした研究だった。
両性具有の、人を超えた完全なる人を作り出そうとした。だが、生まれた子供は性を持たなかった。
何故失敗したのかを考え、やがてそれは失敗などではなかったのだと言うことに気付いた。
完全なるものならば、男性であることも女性であることも必要ない。
だが、それは完全であるはずなのに酷く孤独だった。…だから、『失敗』だったのだと思ってしまった。
それで父さんは兄さんの性を固定し『ただの人間』にした…と、そこまでは解読出来た。
続きの歌詞は、ボクも兄さんも覚えていない。母さんも唄っていなかった。
続きはまだ未完成なのかもしれない。或いは、この解読は間違いなのかもしれない。
兄さんが作り出された人間で、完全なる人だというのは、全くの作り話なのかもしれない。
それでもボクは、父さんに感謝した。
兄さんを孤独の淵に置かないでくれたことに、そしてボクの手の届く『女性』に固定してくれたことに。

兄さんは、歌の意味を知らずに唄う。
澄んだ声が柔らかなリフレインを繰り返す。
やっぱりこの歌は好きだな、と聞きながら思った。

(040904)
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