国家錬金術師にのみ閲覧を許されるえぐい資料に目を通し終え、エドワードは大きく息を吐く。
「お疲れ。どうだ？」
「ハズレ。ちょっと表現がエグいだけで、内容そのものは凡庸。」
「そうか。」
気を悪くした様子もなく大佐は自分の手元の紙の束をとんとんとまとめた。
先刻までどっぷりとつかっていた陰鬱な空気を振り払いたくて、エドワードは珍しく自分から雑談を振った。
「そう言えばこの間、オペラ座で椿姫やってたよな。どうだった？」
「あれこそ凡庸だったよ、プリマドンナももう少し声量が欲しかった。…って鋼の。何故私に聞く？」
「だって見に行ったんだろ？ブルネットの彼女と。」
つまらなそうな澄まし顔を装ったまま、ちらりと視線を投げて寄こす。
だがいかんせん、瞳にはしてやったりと面白げな色がありありと浮かんでいる。
「３ヶ月前のブロンドと、そのまた前の赤毛のお姉さん達はどうしたんだよ。」
「…良く見ているんだね。」
「たまたまな。…てーかあんた、他人に見せているんじゃないのか？」
胡乱げに問われてもマスタングはにやにやと笑って答えない。
エドワードは大きく溜息を吐いた。
「まあどうでも良いし、よく分かんないし。」
「そうかね？」
「そうだよ」
疲れたように椅子の肘掛けにもたれかかる。
「もしかしたら、やきもちか？」
「主語と目的語を補足しても尚見当違いなことをほざいてるんじゃねえ」
身を起こそうともせずにばっさりと切って捨てる。
それなのに、上司はどこか愉しそうだった。
「どうでも良いのは、あんたが誰と付き合おうとどうでも良い。よく分かんないのは、相手がしょっちゅう変わるのと副次的な目的があっても白々しく付き合える神経だ。」
「子供だな。」
揶揄する口調で言ってやれば、案の定反発するように強い視線で睨まれる。
だが、すぐにそれは真摯な光に取って代わられた。
「それじゃ、大人になれば分かるのか？」
感情の海は凪いでいる。
いつもは苛烈な太陽のように輝く金の眸が、今は水面に映る月のようだ。
大佐は慎重に言葉を選ぶ。
「分かるかもしれない。…分からないかもしれない。」
選ばれた言葉はさざ波すら立てなかった。
だらしなく椅子に身を預けた少女の眼は静かなままだ。
不意にその眼が諦めたように伏せられる。
「…やっぱ分からなくて良いや。どうでも良いし。」
「冷たいな。」
「冷たくて結構。」
投げ出した脚を引き上げて、片膝を抱き込む。
小さな身体を小さくかがめて、目を閉じる。
「…もしもアルがあんたみたいに色んな女の子と色んな理由で付き合うことになったら、って考えてはみたけど」
疲れたように一呼吸置く。
「どうもしないんだよ、結局。だから、どうでも良いかって思って」
「どうもしないのか？君にとってアルフォンスはどうでも良い相手ではないだろう」
どこか狼狽したような口調のマスタングを、エドワードは片目だけを開けて見て微かに笑った。
「アルがどう考えてどう行動しようと、それはアルの考えであり行動である訳だから、オレが口を出す問題じゃないって事だよ。」
「…それを君は恋愛に関することにさえ当てはめようと言うのか」
「それこそごくごく個人的な領域だろ？それは。だったら尚更だ」
何か基本的な所で決定的に間違っている。
マスタングは頭痛をこらえて別のアプローチを探った。
「…それでは目先を変えて君はどうなんだ？」
「オレが？何？」
「君がアルフォンス以外の別な異性に目を向けることはあるのかと言うことだ。それでアルフォンスがどう思うか、は考えたことはないか？」
尋ねてすぐに答えは分かってしまったが今更聞かなかったことには出来ない。
青天の霹靂だと言わんばかりに目を見開いている。
「ない。」
「…うん、そうだろうな。聞いた私が馬鹿だった。」
「そもそも、オレがアルフォンス以外を好きになるって事はないと思うぞ。まるでそういう風に出来てるみたいだから。」
「そうなのか？そう言う自覚があるのか。」
「まず基本がアルだし。アルより強くて、アルより優しくないとイヤだけど」
分かり切ってはいたが今更ながらマスタングは深く後悔した。聞くんじゃなかった。
「でもってアルより強くてもアルより優しくなかったら意味ないし、逆にアルより優しくてもアルより強くないのもやっぱり駄目だし」
「もう良いから黙れ。」
うんざりとした上司に無頓着な笑顔でとどめを刺す。
「結局アル以外で条件に当てはまるのっていないんだよ。」
「…いや聞いた私が悪かった。のろけはヒューズだけでたくさんだ。」
「これってのろけなのか？」
小首を傾げる保護下の少女をいっそ燃やしてしまいたい衝動に駆られる。
「………もう良い。君が弟を愛していることはよく分かった。」
「羨ましかったのか？なら大佐も相手を絞れよ。」
「羨ましくない！」
子供は大人をそうからかうと、楽しそうに笑った。