ホーエンハイムは書き物をしていた手をふと休めると、こちらを伺う視線に気付いた。
振り向くと、エドワードはびくりと身を竦ませた。
少しだけ開いた扉の陰に身を隠そうとした所に声をかける。
「エドワード。」
名前を呼ぶと、諦めたように顔を出すが、まだ全身が強張っている。
怒っているつもりも怖がらせているつもりもホーエンハイムにはさらさら無かったが、抑揚のない声は小さな子供には不吉な遠雷のように響いたようだった。
「兄ちゃん、どうしたの?」
「アル」
弟がやって来て、エドワードの袖を引いた。
アルフォンスは書斎にいる父と、部屋の内に入ることをためらう兄を不思議そうに見た。
「…アル、母さんの所に行ってろ。」
「なんで?兄ちゃんは?」
「確か裏の畑で母さん芋を掘ってたと思う。手伝えば、きっとおやつにポテトケーキを焼いてくれるぞ」
お前好きだったよな、と弟の目を覗き込んで笑う。
無邪気で無条件のその表情は、かつての妹や妻のものをありありと映していた。
こくりと頷いたアルフォンスの頭を撫でてやり、「後からオレも行くから」と付け加える。
ぱたぱたと去っていくアルフォンスを見送ると、小さく溜息を吐いて覚悟を決める。
少し俯いた後に真っ直ぐにホーエンハイムの顔を見て、書斎に足を踏み入れた。
微かな不信感を見せるその顔には、先程までの柔らかな笑顔はどこにもなかった。
「こちらへ来なさい」
促してやると、ようやく机の側まで寄ってくる。それでも手の届く範囲には入ってこない。
ホーエンハイムの手元に開いていた本に目を留めると、ちょっと意外そうに見開かれた。
丁度天使の寓意画の頁だった。
鳶色の翼を持つ天使は、目を閉じて導きの声を待っている。
だが、天使に必要なのは他者の誘導ではなく、その目を開いて自らの目で先を見据え、その先へと進むことだ。
その翼は風に折れぬ十分な強度を持ち、その足は確固たる大地を踏みしめている。
絵に込められた寓意と添えられた複雑な暗号で書かれた十六行詩の意味まで幼子が理解できているとは思えない。
鮮やかな色彩が目をひいたのだろう。ホーエンハイムはそう結論づけた。
錬金術師は自らの「作品」を改めて観た。
「作品」という「もの」を見る目であることを敏感に察した子供は、居心地が悪そうに目を逸らした。
「作品」は「我が子」と同意であったが、「ひと」と「もの」の境界は曖昧であったせいかもしれない。
金色の髪も目も自分と、ひいては自分の妹でありこの子の母親であった女と同じで、強い意志を持つところまで一緒だった。
男性か女性か、夢か現か曖昧な印象を持つのも似ていた。
「お前は、生まれた時の記憶があるか?」
つい口をついて出た疑問に、エドワードは首を傾げた。
書斎の穏やかな灯りを反射して揺れる金の髪に、アタノールの中ではぜる黄金色の光を思い出していた。
静かに見据える眸は、フラスコの中でたゆたう命の萌芽を彷彿とさせた。
薄く柔らかな肌の下で、星の瞬くように脈動する心臓はきれいだった。
小さな生命に凝集された、摂理、真理、この世界の全ては美しかった。
あの無垢で純粋な存在が何を思い何を感じていたのか、憶えているのならば知りたかった。
だが、エドワードは眉根を寄せて答える。
「何が言いたいのか解んねえ。」
ぽつりと唇をとがらせて言う。
何か堅い金属の殻のようなものを心にまとってしまったようだ。
そうでなければあの柔らかな中身は、無惨に傷付けられたに違いない、とホーエンハイムは妙に納得した。
それで頷いたのだが、子供は別な風に受け取ったらしく、かえってきつく歯を食いしばった。どこか泣きそうな顔に、父親は内心泡を食った。
「…エドワード」
思わず手を伸ばせば、すいと避けられる。
ホーエンハイムはあっさりと諦めた。そして別な話題を探した。
「…エドワードは、アルフォンスが好きか?」
苦し紛れに問うてみれば、今度も不審げな顔をされた。
「なんでそんな事を聞くのか、解らない。」
固い声で答えが返る。
「……そうか。」
そこになにがしかの落胆のようなものを感じ取ったか、エドワードは少し態度を軟化させて言った。
「えっと。オレが言いたかったのは、なんでそんな当たり前のことを聞くのか解らない、って意味だぞ?」
エドワードは、父親の表情を読み切れずに困っていた。
反応を返さないホーエンハイムに焦れて、もう話は終わったとばかりに身を翻して部屋を出て行った。
錬金術師であり父親でもある男は、ただひとり部屋に残された。

(220405)
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