「鎧、暑くないの？」
いつものように兄を待ち一人ベンチに座っていたアルフォンスに、物怖じもせずに少女はそう話しかけてきた。
「えっと…暑くはないよ」
暑さも寒さも感じない。感じた所で、鎧を脱ぐ訳にも行かない。
その事実を見知らぬ少女に伝える必要はない。ただ、怯えさせないようになるべく軽くそう答えた。
だが、少女は神妙な表情で、そっと身を乗り出して声を潜めて聞いてきた。
「ねえ…もしかしてその鎧、ぬげないの？」
「えええええっ！なな何で？！」
心の底からびっくりしてアルはのけぞった。ありもしない心臓がばくばくと言っている。
得意げに少女は胸を反らして言った。
「ご本で読んだもの！」
「一体何の本を…」
「ご本では王子様はカエルにされていたわ！」
「え？」
「あなたも悪い魔法使いに魔法をかけられたのでしょう？」
どうやら少女は小さな錬金術師などでは決してなく、おとぎ話を本当だと信じているだけらしい。
にこにこと笑いながら少女はアルの隣に腰掛けた。
「…うん、そうだよ。魔法をかけられているんだ。それでこの鎧は脱げないんだ。」
「でも大丈夫よ。魔法はお姫様のキスで解けるんだから！」
天真爛漫な笑顔で断言する。
けれどもすぐに何かを思いついたように眉間に皺を寄せて思案する。
焦げ茶色の瞳がじっとアルの兜の奥の方を見詰めている。
「でもあなたのお姫様じゃないと解けないのよね。」
「へ？ボクの、お姫様？」
「そうなのよ、わたし、前にカエルの王子様を森で見付けてちゃんとキスをしたのよ？
でも王子様はカエルのままで元には戻らなかったの。」
思った以上に行動的な少女だった。
「ママに聞いたら、そのカエルはわたしの王子様じゃなくて、わたしも王子様のお姫様じゃないからよって」
「そ…そう…」
「妹にただいまのキスをする前にちゃんとうがいをしなさいって言われたわ。」
いつもちゃんと言いつけを守っているのに何でわざわざ言うかしら、失礼よね。
少女は憤慨しているが、アルから見ればなかなか出来たお母さんだ。
「わたしがあなたのお姫様で、あなたがわたしの王子様なら、あなたを元に戻してあげるんだけど。」
どこまでも真っ直ぐな視線に、懸命な兄の姿が重なる。
「ありがとう。でもボクのお姫様はもういるんだ。」
「そうなの？それならどうして魔法がかけられたままなの？お姫様はキスしてくれないの？」
そう言えば滅多にしてくれないなあとぼんやりと思う。
生身だった頃は挨拶のキスや肉親に対するキスを…やっぱりたまにしかしてくれなかった気がする。
鎧になってからもかなり上機嫌の時に冗談交じりでしか記憶にない。
「それとも、お姫様の愛が足りないの？」
派手な音を立ててアルフォンスはベンチから転げ落ちた。
「な…何でそうなるの？！」
「次にカエルの王子様を見付けたら、キスはしないでそっとしておきなさいってママに言われたの。
そのカエルが王子様じゃなくてカエルのままでもいい、カエルのお嫁さんになるんだってくらい好きじゃなければ魔法は解けないのよって。」
お母さんも結構な豪傑らしい。
「だからね、王子様かもしれないから、って気持ちでキスしたわたしはカエルに対する愛が足りなかったから魔法は解けなかったの。
あなたのお姫様も、そうかもしれないわ。」
「うーん…ボクのお姫様はちゃんとボクを愛してくれてるよ。ボクが鎧姿でも、そうでなくてもね。」
アルフォンスは穏やかに笑って言った。表情のない鎧だが、少女には伝わったらしく首を傾げている。
「ただ魔法使いがものすごく意地悪で、キスくらいじゃ解けないような魔法をかけてくれたんだ。」
「そうなんだ。大変なのね。」
「うん。それでボクのお姫様は魔法を解く方法を必死で探してくれてるんだ。」
「ふうん。見付かるといいわね。」
元気づけるように少女は笑う。アルフォンスも笑い返した。
じゃあもう帰らなきゃ、と軽やかに去っていく少女を見送りながら、アルフォンスは背後に声をかける。
「応援されちゃったよ、兄さん。頑張ろうね。」
そこには出て行くタイミングがつかめずにいたエドワードががっくりと脱力していた。
「誰がお姫様だ誰が…」
「乱暴でがさつでぶっきらぼうで、でも勇敢でやさしいお姫様でしょう、兄さんは。他に誰がいるって言うの。」
「言うな！鳥肌が立つ！」
「やだなあそんなに照れなくても。」
「…お前一度辞書を買い換えた方が良いぞ。言葉の使い方が間違ってる。」
取り敢えず、鎧の王子様は鋼のお姫様の抱えていた荷物の半分を引き取って促した。
「まずは魔法を解く手がかりを探そうよ。」
エドワードも、それにはこくりと頷いた。