鋼の錬金術師は東方司令部の一角に何故か置いてあったバケツの水を見事に頭から被った。
「何であんなところに置いてあったんだ？」
エドワードはホークアイから借りた真新しいシャツに袖を通しながら尋ねた。
よくよく思い返せば、今回の階段の踊り場だけではなく、廊下の隅等いたるところにバケツは置いてあった。
「大佐が何時何処で炎を出してもすぐに消せるようによ。」
さらりと答えが返ってきた。あまりにあっさりと言われたのでそのまま聞き流してしまいそうだった。
「…本当？」
「冗談よ。」
でも目は笑っていない。
多分推測が正しければ、この話題にはこれ以上触れない方が良いだろう。
賢明にもエドワードはそう判断を下して、大人しくボタンをかける作業に入った。
後ろから中尉が髪を丁寧に拭ってくれた。
「これ、ほどいた方が乾くの早いわね。ほどいて良いかしら？」
「あ、うん。」
ほどかれた髪は癖もなくしなやかに肩へと広がる。
「これなら乾くのも早そうね。…綺麗で羨ましいわ。」
「内側の方まで濡れてなかった？って別に普通だと思うけど。」
振り向いて見上げてくる幼い顔にホークアイは微笑んだ。
こうしてみると少女以外の何者でもないのに、どうして普段は少年にしか見えないのだろう。
男性陣はそのギャップに悩んでいたようだったが、ホークアイにはそれが却って痛快に思えた。
「女の子の服は着ないの？」
つい、口からそんな疑問が滑り出た。
サイズの大きい白いシャツを、ゆったりとしたワンピースのように錯覚したのかもしれない。
他意はなく、似合いそうだと思ったから言ってみただけだったのだが、思った以上に返答の声は固かった。
「着ない。」
きっぱりとした答えは、何処か憮然とした感じだった。
だからホークアイも、重ねて質問出来た。
「どうして？」
「…アルが笑うから。」
「そうかしら？」
寧ろあの弟なら大喜びの大感動で歓迎するのではなかろうか。
「アルフォンス君は笑ったりしないと思うけど。」
「…と言うか、笑われたりしたら絶対に嫌だ。」
「そんな子じゃないでしょ？」
「うー…でも、似合わないから。」
「そんなことないと思うけど。」
笑いをかみ殺す気配はエドワードにも伝わってしまっているだろう。
でも仕方がない。微笑ましい、と言うのはまさにこのことだろう。
「似合わないから。中尉は、大佐がミニスカート履いてるとこ想像付く？」
「…なるべくならそんな想像はしたくないけど、話が飛んでない？」
「飛び加減ならそんくらいだろうって。」
それは全く比較の問題ではなかろうが、本人は至って真面目だ。
「そうねえ…それじゃあ今度大佐に履いて貰いましょうか。」
「ええっ！？」
「それでもし万が一、似合ってしまったとしたら、エドワード君にも似合う可能性がある、と言うことでしょう？」
「え？え？そうなる？」
「可能性は同じくらいだ、と言ったのはエドワード君でしょう」
「言ったっけ？そう言う意味になる…のか？中尉は見たいのか？大佐のミニスカ姿」
「大佐はどうでも良いけど、ちゃんと女の子の服を着たエドワード君を見るためなら代償として高くはないと思うわ。」
「どんな等価交換だよ、それ…」
がっくりと肩を落としたエドワードの髪に櫛を通す。あらかた乾いた髪はさらさらと気持ちよく流れる。
「むかーしさ、まだ小さかった頃に一度だけ、着たことがあるよ。」
ぽつりと呟きが落とされる。
エドワードは、袖口から僅かに見える指先を見詰めて言った。
「女の子の好きそうな、白いワンピース。ひらひらしてて、可愛かった。」
ああ勿論服がだけど、と自嘲する。
「髪の毛もちゃんと結われて、きらきらしたビーズの髪飾り付けて貰って。
鏡で見た時には、一体誰かと思ったね。」
ホークアイには容易に想像が付いた。きっとお人形のように可愛らしかったに違いない。
やってのけたのは母親だろうか、さぞかし誇らしかっただろう。
だが、エドワードの表情は曇っている。何処か憂鬱そうな目で思い返している。
「何だか、オレじゃない作り物の何かみたいで。」
自分の前に立つ自分に瓜二つの人形。
或いは、自分の方が人形何ではないかという錯覚に、鏡の前から逃げ出したくなった。
だが、母の嬉しそうな表情に何も言えず、その上弟の唖然とした顔に居たたまれなくなった。
「…それで、オレは隠すとかそう言うんじゃなしに、オレの着たい服を着てしたいようにしてるんだよ。」
憂いを払うように、綺麗に笑う。
「…それじゃあ、無理には勧められないわね。」
「うん。ごめん」

「でも今度、大佐のウエストは測っておこう？」
悪戯っぽく笑うエドワードに首を傾げる。
「似合いそうなミニスカート、探しておくからさ。」
どうやら望みはまだ捨てなくても良いらしい。ホークアイも笑って答えた。
「そうね、メジャーを探しておきましょう。」