「こんなに柔らかいものだとは思わなかった」
アルフォンスは枕元の一輪挿しに生けられた花に触れて笑った。
「覚えていても良さそうなものなんだけどね。目で見て加減するのと、やっぱり違う」
「だからお前は何に触る時も丁寧だったんだな」
ようやく合点がいった、と頷くエドワードに、弟は小さく溜息を吐いた。
「兄さんが乱暴すぎるんだよ。兄さんを基準にしたら誰でも丁寧になるって」
「悪かったな、がさつで」
ふくれっ面で当てつけのようにがたがたと乱暴な音を立てて椅子を引いた。どっかりと座るけれども、サイドテーブルにトレイを置く手つきは、存外穏やかだ。
含み笑う弟を見とがめてじろりと睨む。
花びらに触れていた手を、エドワードの頬へと伸ばす。触れようとしてやめて、そっと手を下ろす。
所在なく毛布の上に落としたアルフォンスの手に視線を落として、エドワードは苦笑した。
「…多分だけどな。鎧になる前のお前の手は、今より柔らかかっただろ。だから余計に、感覚と記憶にずれを感じるんじゃないか」
今のアルフォンスの手は、青年の手だった。幼い頃のふくふくとした手とは違う。
エドワードは、自分の右手をアルフォンスのそれに重ねてみた。
昔はほとんど変わりなかったのに、今は一回り以上も大きさが違う。まず骨格から違う。
アルフォンスは俯くエドワードをじっと見た。
見ているものは同じはずなのに、鎧と生身では感覚が異なるものなのだろうか、と内心首を傾げる。
「兄さんも、そんなに細くて柔らかいとは思わなかった」
「だっれが麦わらより細くて小さくて頼りないって？！」
「言ってないからそんな事」
立ち上がり暴れ出しそうなその腕を掴んでなだめる。
ひとつかみにできてしまう腕に、（ああ、やっぱり）と確信めいたものを感じた。
鎧の腕に比べれば、兄の腕は細い。細いけれどもそれはあくまでも比較の問題だと思っていた。
良く鍛えられてしなやかな筋肉のついた腕は、頼りなさとは無縁だった。機械鎧の無骨さともあいまって、力強かった。
生身の腕を取り戻した今も、あのころとそう変わってはいないはずなのだ。
かといって、今のエドワードの腕が「頼りない」わけではない。
それをうまく言い表す言葉が思い浮かばず、アルフォンスはエドワードの身体の線をなぞるように見た。
エドワードはアルフォンスの好きにさせていたが、やや居心地が悪そうだった。
「…オレにしてみりゃ、お前こそそんなに細いとは思わなかったけどな」
はあ、と大きく息を吐いて座り直す。
「まあねえ、栄養失調状態だったわけだし」
「もう少し遅かったらお前の身体、扉の向こうで餓死してたんじゃないかと冷や冷やしたぞ」
「間に合って良かったよねえ」
のほほんとアルフォンスは言うが、エドワードは本気で気が気ではなかったのだ。
エドワードは半眼で弟を睨み、トレイの上からスプーンを取り上げぐっと突きだした。
「今だってまだ全然細いぞ。だからまずは食え」
アルフォンスは兄から腕を離して替わりにスプーンを受け取った。
「…ところで、なにこれ」
サイドテーブルから膝の上に移したトレイをまじまじと見る。
載っているのは白いスープ皿で、中身は一言で言って得体が知れない。
じわりと滲む温かさやほかほかと立つ湯気、ほんのりと甘みのあるにおいは美味しそうだなとは思う。
けれどもそれは柔らかなオレンジ色を帯びたクリーム状の何かにしか見えず、今までアルフォンスの見たどんな料理名とも合致しない。
「何って、ポトフ」
「は？これのどこが？」
「だから、ポトフの野菜を全部裏ごししてペースト状にしてスープとミルクで伸ばしたんだよ」
良いから食ってみろ、と促されておそるおそる一さじすくって口に運ぶ。
見た目に違わず優しい味だった。野菜の甘みとほんのりとした塩味がすんなりと喉を通っていく。
ただこれをポトフと呼ぶには無理がある。おいしいけどさ、とアルフォンスはさじを進めていく。
「まだ固形物は早いだろってウィンリィもばっちゃんも言うしさ。でも栄養はつけなきゃいけないだろ」
何かアルフォンスの知らないところで攻防があったようだった。おそらく幼馴染みとその祖母が勝利した結果なのだろう。
いまだ本調子でないアルフォンスは心の底から彼女達に感謝した。
「…それ食ってちゃんと肉つけて、体力取り戻して初めてお前は本当に自分の身体取り戻したことになるんだからな」
食べることに専念する弟を見ながら、エドワードは静かに笑った。
「そしたら、花でもオレでも存分に触って良いからな」
ぴたりとスプーンを持つ手が止まる。
そのまま凍りついたように動かない弟に、エドワードは首を傾げた。